第46話:意向と修正
目覚めたのは午前五時。枕もとのアラームが鳴るのは、一時間後。
五時間も眠っていない。体重の半分が、腰から下へ集まったような感覚。だけど二度寝しようと思わなかった。
きちんとしなきゃ。と、なぜか義務感に駆られて。
顔だけ洗って食堂に行くと、真っ暗だった。手探りで灯りを点け、厨房へ。
きちんとするには、朝ごはんくらい作らなくてはと思った。
でも料理の腕はない。温めるだけでいいコーンポタージュを見つけて鍋に移し、食パンを調理台へ。まずはフライパンで、目玉焼きに取りかかる。
それからちょうど二つめを失敗したところで、誰かが食堂に入ってきた。たぶんメガネをかけていると予想したら、その通りだ。
「早いのね」
「やってみたくなって」
厨房の入り口で、明椿さんは止まった。手伝おうか、と言われるのを期待するオレ。それじゃダメだろ、と窘めるオレ。
三つめを失敗するまで、明椿さんは動かなかった。
「焼きものは殿さまにさせろ、って」
「え、なにそれ」
いきなり殿さまって。突飛なことを言いつつ、明椿さんはオレの真横へやってくる。三つ並べた皿を指さし「こうなるから」と。
一つめは、殻を割る時に黄身が潰れた。二つめは白身がなかなか固まらず、掻き混ぜているとマーブル模様になった。
三つめは白身だけを慎重に掻き混ぜたのに、なぜか焦げた。
「どうすればいい?」
「だから殿さま。網に置いたお魚が焦げ始めても、自分で勝手にひっくり返るんだろうって。それくらい放っておくの」
そんな殿さまは、合戦で役に立たない気がするけれども。まあ言いたいことは分かる。
「やってみて」
「う、うん」
火を点けて油を落とす間に、明椿さんは壁にあるエプロンを取りに行った。
今日はあちこちリボンみたいな結び目の、白いワンピース。うん、あれを汚すのはもったいない。
「火を弱めないと」
「うん」
「堅焼きにするなら、ひっくり返す? それとも水を入れる?」
「水を?」
半歩離れて、アドバイスだけをくれる。後ろに組んだ手は、出てきそうにない。
「白身がある程度固まったところで、小さいスプーンくらいの水を入れるの。それで蓋をして蒸し焼き」
「へえ、よく知ってるね」
オレには知らないことだらけだ。なのに明椿さんは、黙って首を横に振った。照れ臭そうに目を瞑って。
最初はきつい顔つきとか思っていたのに、今はそれが可愛く見える。調理中でなければ、ずっと眺めていたい。
「そろそろいいかな」
言う通り、蓋を取る。濃い水蒸気がムワッと、でもすぐに消えた。
ほんの少し残った水分が、白身の端をパタパタ踊らせる。真ん中の黄身は白く膜を張り、フライパンを揺すっても動かない。
「さすがだね!」
「う、ううん。そんなこと」
そんなことはある。なにしろ目玉焼きを作るのも、授業以外でフライパンを持つのもこの旅が初だ。
両手を取り合うくらいの喜びだけど、実際にはできない。オレがヘタレなせいと、明椿さんが後退りしたせいで。
「いい匂いがするー」
「あ、先輩。おはようございます」
「おはよ。見嶋くんがお料理してるの?」
くんくんと鼻を利かし、厨房に先輩が入ってきた。長いスカートをふんわり膨らませて。
後退中の明椿さんを受け止め、抱き締める格好でオレのほうに顔を向ける。
なんだなんだ、仲がいいな。あの間に挟まれたら、死んでもいい。
「お料理って言うには、失敗してます。明椿さんに教えてもらって、やっと成功です」
「ええ? 全然おいしそうだよ。たしかに一つだけ、凄く上手だけど」
先輩の優しさが泣けてくる。でもそれは、腹に入れば同じってレベルの話。オレ以外の誰か二人にも、失敗作を食べてもらわなきゃいけない。
先生なら三つとも食べてくれそうだが、仮にも目上の人だ。
「やっちゃってから言うのもなんですけど、食べてもらうのが心苦しいです」
「そんなことないよ。ねえ、明椿さん」
「ええ、まったく」
気をつけでじっとしていた明椿さんを、先輩は解放する。それから「うーん」と顎に手を添え、四つの目玉と視線を合わせていく。
「じゃあ、もうちょっと手を加えてみる?」
まだ袋から出してもいない食パンを、先輩は持ち上げた。もう焼き上がった卵が、どうにかできるらしい。
「教えてください」
時間はまだまだある。迷わずオレは頭を下げた。
というのが六時前。
間もなく明椿さんが先生を起こしに向かい、六時半に全員が食卓へ着く。
「先生。今朝は見嶋くんが作ってくれたんですよ」
「ほう」
限りなくあくびに近い返答で、先生は皿を持ち上げた。
濃いグレーのパンツスーツが、アイロンしたての感じでピシッとしている。できあがったホットサンドとよく似合う。
「レタスを敷く係か?」
「全部ですよ。先輩に操縦してもらって、ですけど」
隣に座った位置もあり、なんでやねんとつっこみたかった。
まあゆうべの体たらくでは、言われるのも仕方がない。現実として目玉焼きには失敗し、挽回したのでもある。
正直に、そのいきさつも話した。
「お前は目玉焼きを食わせようとしたんだろう? いいのか」
「いいのかって、なにがですか。うまくいったと思うんですが」
なんの確認か、見当もつかない。首をひねるオレを五秒ほど見上げ、先生はホットサンドにかぶりつく。
「ん。サウザンアイランドか、好物だ」
「それも先輩に教えてもらいました。らっきょうで作ったんですよ」
「ほう、そんな風にはまったく感じんが」
目玉焼きのホットサンド。バターと牛乳、コーン缶を足したコーンポタージュ。
甘めに作ったパンの耳のフレンチトーストには、バニラアイス。オレがホットサンドを食べ終わる前に、先生は全て食べ終えた。
「うまかった。しかし文句がある」
「ええと……」
最後のひと口を咀嚼しつつ、明椿さんがお代わりを入れたコーヒーを傾ける。
こういう時、ちょっと機嫌の悪い顔に説得力があり過ぎだ。
「足らん。この味と分量なら、十人前持ってこい」
「あー、それはすみません。コーンポタージュならもう少しありますけど」
「全部よこせ」
突き出されたスープ皿を、安堵の息で受け取った。足らなかったのは申しわけないけど、否定されたわけじゃない。
スープなら材料を足せばすぐに作れる。一リットルのパックを、先生は飲み尽くした。
今日は最終日。いい一日の予感がする。
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