第44話:素材の風味
「答えるのに、やぶさかでない。だが一つ、私も聞かせてもらえるか」
土原学園のジャージがよく似合う。腕組みで、体育祭かな? と。実際に開催されるのは、来年らしいが。
「なんです?」
交換条件と言うなら、こちらもやぶさかでない。
やぶさかって、問題ないとかそういう意味だったよな。馬から矢を射るのがどうしてそうなるか、繋がりが分からないけど。
「お前はなぜここにいる?」
「なぜって、夕ごはんを」
「そうではなく、なぜ私の前にいるのかと聞いた。なぜ文芸部に入った? なぜ土原学園に来た? お前の親元は遠いはずだ」
じっと鍋を睨むだけで、先生の表情は変わらない。急にどうしたと思うものの、オレの質問も似たようなものかと呑み込む。
「ええと、中学の時もぼっちで。でも田村が誘ってくれて。恥ずかしいですけど、女子ばかりの学校っていいなあと思いました」
「アホだな」
「そう思います」
はは、と照れ笑い。でもやはり、先生の視線は鋭いまま。バカにされただけじゃなく、叱られたかと思うくらい。
「文芸部は、勘です。七瀬先生と会って、先生の部活なら面白そうだと」
「ほかに行き場がなかっただけだろう。三つも選択肢があれば、お前は文芸部を選ばない」
先生は文芸部を潰したかったのか? なぜ入部したのか、責められた気がした。
文芸部以外に行き場があったって、きっとオレはあの社会科資料室を選んだ――のか?
「北校舎は居心地いいですよ。ほかの可能性は、よく分かりません。今が楽しいと思うだけで、そうじゃなかったら、なんてイメージできません」
刺すような視線が、オレの背丈を測るように上から下へ。それから顔に戻って、先生は頷く。
「お前は真面目だな」
「初めて言われました」
褒め言葉に縁がない。
ポニー先輩が優しいと言ったのは、入れてもいいんだろうか。あとは小さいころ、ちょっとしたお手伝いをして「えらいね」とか。
「残念ながら、あまり褒めていない」
「えっ」
また照れ笑いでもしていたか。見透かした先生は鼻で笑い、鍋に入れたままのお玉を取る。
「目の前に転がった一つのことに囚われすぎだ。相手が固く話せばその通り。好みの女がいれば、スケベ根性が顔を出す。もう少し自分を飾って見せる工夫をしろ」
耳が痛い。そして恥ずかしい。自分の人間性になんとなくの自覚はあったけど、こうまではっきり言われると。
それはつまり先輩や明椿さんからも、同じように見えるってことだ。
「芸術家にでもなるなら、そういう人間が向くそうだがな。本棚を見る限り、その才能はありそうだ」
「いやいや……」
気休めか、皮肉か。どちらにしても、オレのダメージが深刻だ。質問の対価として、ここまで必要だったのか。
先生は自分のことを話すのが嫌で、こんな話を? そう考えたほうが自然に思う。
「ああ悪い、責めたわけじゃない。お前の真意を聞こうとすると、いつの間にかな」
「いえ、すみません」
なんだかもう、生きててすみませんという気分だ。
重い息を吐いて、気づく。これも先生の言う、目の前に囚われすぎってことかと。
「さて十分聞いたし、私の番と言いたいところだが」
「だが?」
「どうも妙な臭いがする。これでいいのか」
ぐるぐると、先生はお玉を回した。言われて鼻を利かせてみると、たしかにくさい。というか、焦げてる。
「えっ、これまずいです!」
「ど、どうする」
言う間も先生の手は掻き回し続け、鍋の中が茶色に染まっていく。まだカレールーは入れていないのに。
やがて大きなあぶくがボコッと音を立て、真っ黒な物体が水面に浮かぶ。
「これはなんだ」
「貸してください」
お玉を奪い、泥の海に浮かぶ島をつついた。それは簡単に割れ、中に白い断面が見える。
「ジャガイモ、みたいです。溶けてまた固まったのかな――」
黒いところはカリカリで、白い部分はペースト状だった。底に張り付き、焦げてしまったので間違いない。
絶望を感じながら、茶色い液体を飲んでみる。と、鉄サビみたいな苦味だけを感じた。
「どうしましょう。ここにカレー粉入れたら、食べられますかねえ」
「やってみるか」
言うが早いか、先生はカレールーのパッケージを取る。いつものオレなら、やってみましょうと言ったかもしれない。
「いや、やっぱり無理そうです。先輩に助けてもらってもいいですか」
「好きにしろ。この調理に関して、私はお前に従うと言った」
なにか後ろ髪を引かれる言葉。しかしどうにも対処を思いつかない。宣言通りにヘルプを叫び、先輩と明椿さんに惨状を預けた。
どうにか使える材料を救出し、二人はポトフと和風おろしステーキを完成させた。エビやイカの風味なんてしなかったけれど、凄く凄くおいしかった。
***
夕食の後、部屋に戻ってベッドに倒れ込んだ。
申しわけない気持ちと、恥ずかしさが少しずつ。この旅最後の夜なのにやらかした、って後悔が少し強い。
でも大丈夫、少し疲れた気分なだけだ。ほんのちょっと休めば、なかったことにできる。
夏なら花火でも買っておいて、このあとみんなで楽しめるのに。誘い出す口実がないななんて、だるくもない手足を「うーん」と突っ張った。
「入るぞ」
短い通路の先で、扉の開く音がした。ノックはあった気もするけれど、答える猶予がまったくなかった。
「えっ、はっ、先生?」
「なんだ、もう寝ていたのか」
「いえ寝転んでただけですけど」
起き上がるより早く、先生は「そうか」とベッドの端に腰かけた。
「お前の質問に答えていなかったからな」
「ええと、答えてくれるんですか」
その前に、遠慮という概念について質問したい。声にしなかったので、当然に答えはなかったけれど。
「なぜ私が教師になったか、だったな。面白くもない話になるが」
同じベッドにいては良くない気がして、備え付けの冷蔵庫へ向かった。昼間に買ったペットボトルが二本、両方を取り出す。
一つは飲みかけの炭酸。もう一つは社会科資料室と同じお茶。先生に渡したのは、もちろんお茶だ。
「私は大学で教育学部だった。すると普通は教師になるな」
「資格を取ったから先生になった。それが答え、ですか」
ベッドの隣の椅子を、通路まで引き摺る。オレが座ると、先生はペットボトルの蓋を開けた。普段の豪快な飲み方でなく、唇を濡らす程度でまた閉じる。
「不足か?」
オレの聞きたいのは、ではなぜ教育学部を選んだか。こういう言い逃れをする人とは。
がっかりだ、と思いかけてポニー先輩の顔が浮かぶ。
そのまま言えばいい、と言われたっけ。
そうすればきちんとした答えが必ずある、と先輩は考えている。どうにもならない窮地を救ってもらったから。
居場所をもらったという意味では、オレも同じだけど。
「それはまあ。でも不足分の予想はしました」
「ほう、言ってみろ」
教育学部に進んだ人間は、教師になる。七瀬先生自身の希望が排除された言い方は、なんなのかと考えた。
なぜ考えたかと言えば、素直に答えを聞くのが癪だったから。出されたもので安易に満足しないと。
「七瀬学園を運営する家族なんでしょ? だから先生になる以外は認めないとか、選ぶ余地がなかったんだと思いました」
ベッドと椅子と、一メートルの距離は近い。それ以上離すと、オレは通路の陰になってしまう。
だから先生の表情が、細かく見えた。目を閉じ、思わずという風に笑い、物珍しそうな視線がこちらへ向くまで。
「完全に百パーセントの正解だ。ただ採点するなら、五十点しかやれない」
「それはどういう?」
「ヒントは田村卓哉だ」
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