第43話:具材の選択
「ええぇ……」
抗議したかった。しかし毒物とまで言われると、オレのほうがましかもと思う。
「分かりました、やります。でもなにを作るかが問題です」
「よし、献立の検討だな」
不本意な気持ちを、ため息で示す。でも先生は構わず深く頷き「うーん」と唸り始めた。
もう一度、大きく息を吐いた。
挑戦あるのみは分かるが、そもそも無理な目標を立てても意味がない。まともに文章を書いたことのないオレに、何千万部のヒット作を望むのは無謀だ。
ヒントがないか、調理台を挟んだ後ろを振り返る。先輩も明椿さんも背中を向けていて、手もとが見えない。だがもう、なにかの作業はしていた。
楽しそうに、普段作っているメニューの話をしているらしい。専門用語が多く、それも参考にならないけれど。
――あ。これってチャンスじゃないか?
ふと気づいた。先輩たちが二人で楽しんでいるなら、オレも先生とだけ話せる。
料理は作らないとだが、ずっと黙っているわけじゃない。
「ただ焼くだけのような物ならば、成功の可能性が残るんじゃないか? 後はそうだな、みそ汁やカレーライスなら、授業で作った経験があるだろう」
関係ないことを考える間に、先生はまともな対策を導き出していた。
焼くだけ、煮るだけ。なら、話す時間も確保しやすそうだ。
「焼くだけというと、ステーキとかですか。カレーにしても、メイン料理ですよね。失敗した時のダメージが心配ですけど」
「メインと考えなければいい。ステーキならひと口サイズ、カレーなら小鉢程度。少なく作ればメインになり得ない」
オレの駄作で腹を膨れさすのは、どうも罪悪感があった。
そこまで察したのか分からないが、先生の答えはオレを納得させた。
「ですね。カレーならルーの箱に作り方があるはずだし、それとステーキにします」
「そうしよう。私はなにをする? 結果は保証しないが、なんでも言え」
両手を腰の先生を前に、カレーの作り方を思い出す。唯一の記憶は、小学校の林間学校。
あの時はたしか、といだ米をひっくり返したんだっけ。
「ステーキ肉とカレーの肉を、って。肉と肉になっちゃいますね」
「シーフードカレーはどうだ」
「いいですね! それに使えそうな物を探してもらえますか」
ビシッと手を掲げ「請け負った」と。奥の壁いっぱいの冷蔵庫へ先生は向かう。オレは調理台の下から、野菜を見繕った。
人参とジャガイモと玉ねぎ。少ない量を四人分というと、二人分くらいか? それならこれでも多い気がする。厳選の結果、ジャガイモだけにした。理由はオレが好きだから。
皮を剥くのがひと苦労だけど、秘策がある。流しにたわしがあったので、これでこすりまくればいい。
「確保してきた」
泥を完全に落としてしまえば、少しくらい皮が残っても愛嬌ってもの。ガシガシやっている背に、先生の声がかかった。
振り返ると同時、「うわっ」と声を上げた。
長くない両腕に、どれだけの食材を抱えているのか。冷蔵庫か冷凍庫にあった物ばかりで、冷たいだろうに。
先生は動じず、調理台へ食材をばら撒く。牛肉、豚肉、エビ、ホタテ、あさりなどなど。それぞれ真空パックされていた。
「どれだけ入れる気ですか」
「具材は多様なほうがうまいだろう」
「そうでしょうけど、少なく作るって前提が」
「火を入れたら縮むんじゃないか?」
「あー、それはまあ」
納得させられた。
いやそれにしたって限度がある。流されかかったのを踏み留まり、厳選に入った。
「うわ、神戸牛ってなんですか」
「うまい肉だ」
「シーフードミックスって、これいいですね。ほかは要りません」
七瀬学園に関するつっこみは後だ。まずは料理の完成する目処を立てないと。
小さな魚介があれこれ入ったパックを見つけて、残りを戻すように言った。「要らんのか」と見上げる視線が、あからさまに拗ねている。
「要らないっていうか、入りません」
「後悔しないな」
「しないことにします」
高らかに舌打ちをして、先生は冷凍庫へ戻る。少しだけ嵩の減った大量の食材を、名残惜しげに見つめながら。
さて。と気を取り直し、調味料の棚からカレールーを取る。高級ホテルの味とか書いてあって高そうな、と言ってもスーパーで見たことのあるパッケージ。
作り方は材料を炒め、煮て、ルーを入れるだけ。簡単だ。
「野菜はジャガイモだけか」
ちょっと痩せた芋を、慎重に切り分ける。どれくらいの大きさか悩んでいると、先生が覗き込んだ。
「量が増えますから。ほかの野菜が良かったですか?」
皮を剥いてしまったので、もう変更はきかない。でもさっきの悲しげな背中を思うと、希望を聞きたい気持ちもある。
「なにを言う。カレーにジャガイモ、至高だろうが」
満足らしい。腕ずもうをするみたいに、右手が差し出された。
オレも包丁を置き、力強く手を重ねる。合言葉は
「炭水化物バンザイだ」
***
ぐつぐつとあぶくの立つ鍋を、先生は睨みつける。指示通りに分厚く切った神戸牛は、まだ焼くのに早い。
突っ立って、三分。いや五分も経ったかも。無言の時間を終わらすため、何十回めかに唾を飲み込んだ。
「変なこと、聞いていいですか」
「変な答えでいいならな」
先生の目は、鍋から逸れない。何十秒でも大して変わらないと言ったのだけど、落ち着かないそうだ。
「どうして先生は先生になったんですか」
なんと問えばいいか、ずっと悩んでいた。
人気があっても、態度がいいとは言えない。金持ちなのだから、どうしても働く必要はないはず。
嬉しいとか楽しいとか、そういう感情も見えなかった。わけが分からなくて、逆に問いたいことが見えた。
「教師になどなるものじゃない、と聞こえるな。日本じゅうの教師に謝れ」
「えっ、すみません。でもそんなつもりじゃ」
珍しく茶化した口調の、意外なつっこみに驚いた。だがそうかなと思い、謝った。
「分かっている。おとといからなにか言いたげと思っていたが、それか?」
フッと鼻で笑われ、いつもの顔に戻った。ちょっと不機嫌に見える、低い声。
さっきの百倍、驚いた。
「ええと、まあ……」
「構わん。しかしどういう意味だ。私など教師に向いていないというのか、それとも金持ちが道楽で現場に出てくるなと?」
「そ、そんなこと言ってないですよ」
慌てて首を横に振った。でもすぐにやめた。言ってはないが、要するにそう言いたかったのかもと思ったから。
「ではなんだ」
「……なんでこの先生は、いつも好き勝手してるんだろうって思ったんです。だけどそれがオレなんかを受け入れてくれた理由かなって」
文芸部に入りたいと言われて、断る理由はないかもしれない。だけど丸投げで放置はできた。
それなのに。この人に真面目って言葉は死ぬほど似合わないが、ほったらかしとは反対の位置にいてくれる。
という気持ちが、ボソボソと言葉になった。
「受け入れた? お前という個人を強いて拒む理由が、私にあると思うのか」
ちら、と。横目が向く。それはすぐ鍋へ戻されたが、なんだか冷たいものに思えた。
忘れてください、と引き返す道はあった。ただそうすると、もう話す機会がなくなりそうだ。この話だけじゃなく、どんな会話も。
「分かりません。誰か当てつけるみたいに、暇さえあれば寝てるし。授業やるの面倒くさい、学校なんか吹っ飛べとか思ってそうだし」
「否定はせん」
「でもそれって、
言い始めると、止まらなくなった。失礼だし、ここまで言う気はなかった。
だが途中で止めても、もう取り返せない。思い浮かぶまま、ズルズルっと吐き出した。
「言ってくれる。知らずに悩まされるより、そのほうが助かるがな」
ニヤリ。先生は男前に笑う。
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