第41話:それぞれの役目

 ログハウスに戻るころ、すっかり暗くなっていた。動くのが三十分遅かったら、下りられなかったかもしれない。


「明椿さん、よくLEDライトなんて持ってたね」


 アイランドキッチンのまな板に向かい、ポニー先輩は微笑む。ひどいことをされて、まだ半年も経っていないのに。

 そう思うと、小柄な先輩がとても強く見える。学校の外、同性の話し相手がいるせいもあるだろうけど。


「電器屋さんの粗品です」


 オレが野菜、ポニー先輩がブロック肉を切り分ける。

 それをキツネ女子がトレイに並べた。なんだか通販かスーパーの広告みたいに、もううまそうだ。


 今日はバーベキュー。献立を決めた当人が、外で火を熾している。

 ぐったりしていたが、食事のためなら動けるらしい。燃え始めの煙さが、キッチンにも漂ってきた。


「見嶋くん、それどうするの」

「えっ?」


 怪訝な先輩の声に、玉ねぎを切る手を止めた。

 どう。って、バーベキューだ。網に載せ、直火で焼く以外にはない、よな?

 質問の意図が見えず、オレはただ首をひねる。


「焼き肉屋さんでさ。ほら、見たことない? 輪切りにするの。串切りじゃ、網から落ちちゃう」

「あっ、見たことあります。そうか、オレ外食ってほとんど行ったことなくて」


 生まれてこのかた、料理をしたのも何回あるか。小学校の家庭科は、焦げないように混ぜる鍋番専門だった。


「そっかあ、ごめんね。手、出していい? こうするの」


 先輩の手が、まだ切っていない玉ねぎを取る。手早く皮を剥き、頭と尻尾が落とされた。

 そのまま平行に包丁が入る。「ほら」と見せられた玉ねぎは、一センチくらいの輪切りになった。


「あー、じゃあ縦に切ったのはダメですね。どうしましょう」

「焼きそばの具にでもしよっか」

「了解です」


 鉄板があるか不明なので、焼きそばはさておき。残りの玉ねぎとナスを切る。大きなトレイが二つ、明椿画伯によって芸術品に仕上がっていった。


 十人前くらいありそうなんだが。あらかた終わり、不安に駆られた。

 と、通路の先で扉の音がする。きっと腹ぺこ女子の催促に違いない。


「焼き肉は中止だ。雨が降り始めた」

「ええっ? あんなに晴れてたのに」

「私に言われても知らん。降ってるものは降ってる」


 離れた窓へ行ってみると、たしかに水滴が付いていた。部屋の明かりに、数えきれない縫い針が太く光る。


「困りましたね、こんなに切ってしまって」


 傾けた頭を自分の手で支え、キツネ女子は呟く。ポニー先輩も「うーん」と悩む声を出した。


「困るって?」

「バーベキューならいいけど、煮たりすると嵩が増えるでしょ? それに焼くのと並行じゃないから、食べるのが遅くなっちゃう」


 キツネ女子に聞いたのだけど、答えたのはポニー先輩。どっちでも、もちろんオレは歓迎だが。

 量が増える。焼きつつ食べつつ、じゃないから時間がかかる。どちらもオレの発想になかった。


 このログハウスに泊まるのは今夜だけなので、食べきれないのは困る。

 時間がかかるのだって、激しい咆哮が誰かひとりの腹から聞こえてくる。

 たしかに問題だ。


「構わん、全て使いきれ」


 僅か数秒、考える間はあった。それからすぐさま、広いキッチンに低音が響いた。

 オレの耳には、砲身が灼け付くまで撃ち尽くせ、みたいに聞こえる。


「いいんですか?」

「余れば、管理する者に伝えておく。昼飯なりなんなりで、奴らが片づける」

「うわあ、それならちゃんと作らないと」


 悲鳴っぽく言いながら、先輩は嬉しそうに思えた。普段、図書室で会うより明らかに。


「そうだ。四人みんなで作りましょう、そうすれば早くできます」


 ぱちんと手を打ち合わすのと一緒に、ポニーテールも揺れる。ふわっと軽やかに、料理のできないオレとは真逆に。


「みんなでって。オレ、自信ないですけど」

「大丈夫。どうせコンロも二つしかないし、二人ずつでやろ」


 キッチンに備え付けのコンロと、カセットコンロ。ふた手に分かれて料理するのは、名案かもしれない。

 効率がどうこう以前に、部活っぽくて。オレ以外は女子ばかりで、どんな組み合わせでも料理にならないってことはない。


「オレと組んでも、恨まないでくださいね」


 戦力外の自己申告も、もはや楽しい。ジャンケンの結果、キツネ女子と組むことになった。

 相変わらず律儀に「お願いします」と頭を下げられた。慌ててオレも、同じ角度に腰を折る。


「外食しないって、おばあさまと住んでるから?」


 すぐさま調理開始。与えられた指令は、既に薄く切られた豚肉を叩く。包丁の背で、千切れるくらい叩きのめせと。


「いやそれは高校に入ってから。うちの親、共働きでさ。決まった休みが正月だけなんだよ。それも寝正月」

「そうなのね。でも、私も同じかも。父がお休みなのは、お盆とお正月だけ。それもほとんど、ご挨拶のお客さまがいらっしゃってるけど」


 どこが同じだ。うちの正月は買ってきた餅と数の子以外、そういう雰囲気がない。初詣だって、最後に行ったのは子ども会の催しだった。


 話しながら、叩いた肉が炒められる。マッチ棒みたいにされた人参と、同じくナスも投入。

 ごま油のいい匂いがしばらく続き、最後にしょう油の香ばしさが加わった。


「できた。ナスと人参のきんぴら」

「へえ。きんぴらって、ごぼうじゃなくてもいいんだ。うまそう」

「本当に? 良かった」


 フライパンを覗き込むと、キツネ女子は食器棚へ逃げた。銀縁メガネをずり上げながら、そそくさと。

 なれなれしかったか……。

 オレのライフに大ダメージだったが、素知らぬふりをする。


「ど、道場って大変そうだよね。明椿さんも挨拶しなきゃって言ってたし」

「そうね、なにかって言うと会食があって。料理して、お膳を運んで、お酒を出して。お手伝いも頼むんだけど、お母さんと私とずっと走り回ってる」


 聞くだけで疲れる。きんぴらを皿に移し、次の材料らしい牛肉の下拵えが堂に入っているのも納得だ。

 オレはと言えば、しょうがの千切りを仰せつかった。

 薄く切ったのを重ねて切る。と言葉では簡単だが、かなり難儀した。具体的には、十五分を計った圧力鍋と同じだけ。


「酔っ払う人とか大変そうだ。ていうか、自分たちが食べる暇もないんじゃ?」

「そうね。でもそうしないと、お父さんや兄さんたちの立場がないから」


 フライパンに煮汁と調味料が入り、しょうがと共に煮詰まっていく。頃合いで煮えた牛肉も加わり、甘辛い匂いがオレの腹を鳴らす。


 火加減を見ながら、キツネ女子はサラダを作り始めた。もうオレの仕事はないらしい。

 手際を見れば、口だけでないと瞭然。父親や兄のためと言うのも、笑いながらだった。


「三が日が終わるとね、旅行に連れて行ってもらえるの。今年は北海道だった」

「いいね。オレ、行ったことないや」


 キャベツ、プチトマト、カイワレがガラスの容器に積み上がる。たぶんこれは、映えってやつだ。


「その旅行中、お母さんと私はどんな我がままを言ってもいいの」

「え? ああ、バランスってことか」

「そう。と言っても、大したことは言わないけど。だけど夕食の時、お父さんが言ってくれるの。『お前たちのおかげで私は偉そうにしていられる、ありがとう』って」


 偉そうと自分で言うのはどうなんだ。

 どろどろに煮詰まった牛肉と煮汁を、キツネ女子は器に移す。やはりその顔に、マイナスの感情は見えない。


「古い家って感じがするね」

「そう思う。私が嫌なら手伝わなくていいって、お母さんも言ってくれるの。でも嫌とは思わない」

「なんで? あ、いや。悪い意味じゃなくて」


 ダイニングテーブルに、できた料理を運ぶ。先生と先輩が作ったのは、まだない。


「うん、ありがとう。それはね、お母さんと同じに私も思うから」


 配膳用のトレイを脇に抱え、素早く。しかし音を立てずに器が並ぶ。背中を見ていても、オレには手を出す隙がない。


「『剣道なんか、正直なんの興味もない。だけど伝統を守りたいお父さんの気持ちを支えたいから、喜んで裏方をやる』って」


 オレの持つトレイも渡した。明椿道場の娘、明椿倫子の受け取る所作は、それこそ武道の型みたいだった。

 皿を持ち上げ、テーブルに差し出し、置く。また次の皿を取るために、腕を縮める。

 それらが日本刀を抜くように錯覚したのは、さすがに妄想しすぎだっただろうか。


「ああ、いいね。オレは考えたことなかったけど、気持ちを支えるっていいと思う。なんか小学生みたいな感想だけど」

「大丈夫。ありがとう」


 振り向いた明椿さんは、きっと驚いていた。しかしすぐ、柔らかく笑ってくれた。

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