第38話:期待はずれ

 突如、ばさばさと賑やかしい。なにやら雪崩式に物の落ちた音だ。視界の端で、栗色の頭が飛び上がりもした。


 丸い目の先輩を経由し、振り返る。なにがと探すまでもなく、床に這いつくばる引率者がいた。

 四つん這いの周りに、白い包装のなにかが散らばる。


「こんなに買ってどうするんですか?」

「もちろん食う。一つ二百円は買い得だ」


 近くにいたキツネ女子が手を伸ばし、クスと笑いながらしゃがむ。テーブルから落とした本人も、素早く掻き集めた。

 どうもお土産品の食べ物らしい。ポニー先輩と顔を見合わせ、手を貸しに行く。拾って見ると、八角堂のクリームパンとあった。


 両手にちょうど一つが収まる。それをこの大ぐ――健啖家は十個買うようだ。テーブルの上には、五個しか残っていなかった。

 報酬に一つずつ貰ったので、都合七個になったけれど。


 博物館を出た時点で、午後一時を過ぎていた。ちょうど昼食も手に入ったし、食べながら移動する。

 乗車までに三つを平らげた七瀬教諭は、車を高速道路の方向へ走らせた。


   ***


 途中でコンビニのからあげを補給しつつ、到着したのはキャンプ場。

 出発した集落から、直線でも百キロ以上。東の県境を歩いて越えられる山の中が、今日最後の目的地。


 とりあえずは荷物を宿泊場所へ運ぶ。駐車場の向こうにテントやコテージが建ち並ぶけれど、地面がむき出しの遊歩道へ先生は進んだ。


 軽自動車なら通れそうな幅が几帳面に均してあり、とても歩きやすい。薄く下草の這う林に、さんさんと日光が降り注ぐ。

 少し行くと、分かれ道の先にもコテージが見えた。でもさっきのとは違い、一つずつがかなり離れている。


「こんなところに別荘があったら、楽しそう」

「そっか、別荘地なんですね」


 先輩の言葉に頷く。また七瀬学園の持ち物があっても不思議でない、とは言わなかったが。


「ここだ」


 間もなく目の前に、二階建てのログハウスが現れた。ここまで見たほかのコテージより、明らかに一回り以上も大きい。四隅の柱は、両手が回るか疑うほど太かった。

 入り口前のテラスに、ゆったりとしたカーブを持つイスが置いてある。先生はそこへ腰かけ、鍵をキツネ女子に投げ渡した。


「ゲストルームは二階だ。しかし悪いが、二つしかない。弥富と明椿で、一階の主寝室を使ってくれ」


 可愛いと楽しげに言い合い、女子二人が鍵を開ける。

 昨日の宿泊所と同じだ、建物の中も外も、綺麗に掃除がしてある。流れ出した空気にも、閉めきっていた感じがない。


「お邪魔します」

「あ、お邪魔します」


 ログハウス内に向け、キツネ女子は律儀に頭を下げた。もう二歩ほど踏み込んでいたポニー先輩も慌てて足を戻し、並んで同じ格好をする。


「明椿さんて礼儀正しいよね。私、見倣わないと」

「堅苦しいと言われてしまいますよ」


 そんな心配は要りませんよ、と言いたかった。だけど今は、奥へ消えていく背中を見送る。

 到着した今が、気がかりを問う機会と思った。


「早く荷物を置いてこい。ついでに私のも」

「分かりました」


 持ち主の半身くらいは入りそうなバッグを受け取り、それでも動かず見つめる。

 聞くのはいいが、なんて? この人が何者だろうと、いちいち開けっぴろげにする必要はない。


「どうした」

「いえ、ここも七瀬学園かなと思って。だからどうしたと言われても、気になったってだけですけど。すみません」


 次の予定がある。車を降りたのが午後三時直前だったから、時間がない。

 だからとっさに、思い浮かんでいた言葉をただ並べてしまった。


「なにを謝る、隠すことでもない。大声で触れ回られれば鬱陶しいが」


 半ば寝そべる形の背もたれに、先生はくつろぐ。向かい合っていた視線が外され、まぶたを閉じた。


「ですか、そんなつもりはないです。東京や北海道にまで施設があるみたいなので、規模が大きいんだなと。興味本位です、すみません」

「だから謝るな。七瀬学園で検索すれば、昨日の研修所などはウェブサイトに載っている。お前だって手続きすれば、使える施設もある」


 このまま昼寝としゃれ込む気か。ふっと気にした可能性は、この人に限って冗談にならなさそうだ。

 などと余計なことを考えて、危うく聞き流しそうになった。


「え?」

「なんだ?」

「オレも使えるって――ああ、お金を払えば誰でもってことですね」


 七瀬学園とオレとの関係が分からない。しかし誰でもいいなら、そういう経営もあるだろうと理解した。

 が、今度は七瀬先生が首をひねる。


「なにを言ってる? お前は土原学園の生徒だ。すると七瀬学園の施設を利用する権利がある」

「ええ……?」


 土原学園と七瀬学園。違う名前と、自分で明言しているじゃないか。なにを言ってる、はオレのセリフだ。

 頭の中がぐちゃぐちゃになりそうで、ぼりぼり掻いた。そんなオレを「ああ、そういうことか」と見開いた眼が睨む。


「入試要項の末尾にあったはずだが。土原学園を運営する法人が七瀬学園だ。全国に七つの学校を持っているが、どれも学園と名付けられている」

「七瀬学園、の土原学園ですか。紛らわしい……」


 言われてみれば、複数ある学校を全て七瀬学園と呼ぶのも不便かもしれない。それなら七瀬学園、土原高等学校とかにしてほしいけれども。


「同感だ。しかし私の曾祖父が、学園と呼ぶのを好んだそうだ。それで既に通ったものを変えるのも難しい」

「はあ、そういうことですか」

「そういうことだ」


 つまり先生は、経営者の一族。名前からして、当然ではあるけれど。

 そう思うと昼寝ざんまいだったり、二年目にしてベテランじみた態度だったり。納得できるところも多い。


「分かりました、荷物を置いてきます。教えてくださってありがとうございます」


 少し、がっかりした。

 真相を知った正直な気持ちはそうだ。なぜと問われても答えに困るが、たぶんオレの期待と違っていた。


 いつもなにかに抗うような態度は、なんだろうと。思いもつかないような敵と戦っているのでは。

 獣頭の主人公やアメコミのダークヒーローに、きっと姿をダブらせていた。


「おい」

「なんでしょう」


 オレの声は、おそらくいつもと違う。戻したくても、いつもがどうだったか分からない。

 なのに先生はニヤリともせず、どうかしたかとも聞かなかった。


「三時十分には出発する。弥富たちにも伝えてくれ」

「分かりました」


 だが仕方がない。この人は学校の先生でしかない。現実にはゴッサムも、悪の宰相も存在しない。

 ましてやオレの気持ちを読み取るなんて、できるはずがないのだから。

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