第36話:部外者の言い分

 案内図によれば、百五十種以上の動物が飼育されている。でもこの旅には目的があって、動物園を楽しむことは入っていない。

 オレたちはまた、赤いアルカードに乗り込んだ。


「入場料も出していただいたのに、いいんでしょうか」


 四人が四人、ソフトクリームを手にしていた。オオサンショウウオを見終えた後、ベンチで寝転ぶ引率者が食べていたのと同じ。

 その当人の手にも、また新しいのがある。キツネ女子は自分の持つソフトクリームと見比べつつ、首を竦めた。


「部費ってものがある。ソフトクリーこれムは違うが、百円や二百円の物にそう恐縮されてもな。自分の非力さに気づいてしまうじゃないか」

「いえ、そんなつもりは。ありがたくいただきます」


 右手だけで、車はすいすいと走る。溶け始めたらどうするんだろう。

 恐縮するキツネ女子に、器用な女の子は言葉を続ける。大きな斜面ゲレンデのついたソフトクリームで、オレを指しながら。


「そもそもは、こいつが奢れと言ったからだ。明椿が遠慮する理由はない」

「ええ? オレはそんなこと――」


 言っていない。また食べているのを、さすがという意味を篭めて「おいしそうですね」と言っただけ。

 しかし、ちらと向いた横目が恐ろしく冷たかった。


「言ったかもしれませんけど」

「だろ?」


 さも満足そうに頷く、中学生女子。今さらだが、見た目と言動のアンバランスが半端でない。

 その後ろで、キツネ女子は口を押さえる。堪えているが「ふっ」と噴き出す声がたしかに聞こえた。


「あ、ありがとうございます七瀬先生。見嶋くんも」

「オレは関係ないって」


 そんなに面白かったか? 先生の言う通り、恐縮してばかりよりいいけれど。

 ようやくポニー先輩と顔を見合わせ、「おいしいですね」と食べ始めた。


「金だの物だの、ばら撒いても虚しいだけと知っている。そんなことで慕ってもらう企みもない」


 珍しく声が一段下がり、聞きとりにくかった。だがひとり言ではなかったはず。目がルームミラーに向き、「まあいいか」と呟いていた。


 どこの金持ちの感傷だ。ふっと考え、それが冗談になっていないのを思い出す。七瀬学園の件を聞いていなかった。


   ***


 なんの脈絡もなく、どういう関係ですかと聞く勇気がなかった。

 普通に順調に車は北へ向かい、次の目的地に辿り着く。国道を外れ、車同士のすれ違いも難しい道路を十数分進んだところ。


 僅かな空き地に車を止め、けもの道みたいな細い道に分け入る。登りも下りもせず、細い木々と背の高い雑草で見通しがきかない。

 こんな入り口、ネットで写真付きの記事を見ていなければ絶対に分からなかった。


 目的地までも記事のまま、およそ三分。先頭を行くオレが藪を踏みつけながらでなかったら、もっと早かった。

 そこで広がる光景、と言うと語弊がある。下りに転じた道の先は、オレも完全に埋もれてしまう背丈の草で覆われていた。


 だから見ようと思ったこの土地の姿は、半分も見えていない。緑の海に、二階建ての家屋だけがぽつぽつと浮かぶ。記事にあった古い木造の平屋は、一軒残らず沈んでいた。

 二階建ては、まだ住めそうに見えた。中でも新しいのと古いのとがあったけど、古いほうでもばあちゃんの家より断然に新しい。


 家が。いや、人の住む集落が呑まれる。誰かの綴った記事を読む分には、なんてことないと思っていた。

 だけど、これはヤバイ。蜘蛛の巣よけに持った棒きれを取り落とし、オレはしばらく声を出せなかった。


 中学の時、クラスメイトにうっかり見せられた、サメが人間を襲う動画。あれが頭の中で、何度も再生される。

 建物は悲鳴を上げない。粛々と、時間の流れに溶かされていく。その合間を人が歩いただろう道なんて、どこをどう結んでいるかも分からない。


 苦しくなった喉に、唾を流し込む。すると示し合わせたように、右腕へポニー先輩が。左腕にキツネ女子が、それぞれ手を添えた。


「限界集落を越して、消滅集落になってしまったようだな」


 オレとは別の突端に立ち、七瀬先生は伸びをした。決定的な言葉を吐いたというのに、軽やかに高原の散歩みたいな空気で。

 なぜ。疑問に思う気持ちが、オレの声を少し低めた。


「何年か前まで、住んでる人が居たはずなのに」

「そりゃあ居なくなったんだろうさ。引っ越したんだか、ほかの理由かは知らんが」


 それは分かる。限界集落とは若い人が居なくなって、人口の減少に歯止めのきかなくなった状態を言う。

 お年寄りだけが数人残ったのでは生活がままならないだろうし、どうにか居残っても寿命という限界が訪れる。


「隣の街まで、そんなに離れてないじゃないですか。車ならすぐだし、歩いてだって行けなくはないです。なんでこんな姿に」


 ついさっき、百軒や二百軒くらいも人家の集まった中を抜けてきた。土原学園の周囲と比べたって、それでもど田舎には違いない。

 だけど農機具の店や、駄菓子屋さんみたいなところはあった。真新しいJAの看板も見た。


「さあな、私に聞かれても分からん。お前がそう言いたいのだって、たまたまひいきの作家が生まれた土地だからだろう?」


 先生の声に、厭味や皮肉の臭いはない。気持ちよく駆ける風に相応しく、遥か遠くへ視線を投げる。

 なんなら次には、ヤッホーとでも言いそうだった。


 ひいきの作家、なんだろうか。ポニー先輩に薦められた中の、なんとなく選んで読んだ本。

 面白くて興味が湧いたけど、あくまで物語に対してで、書いた人にでない。


 探訪しようと考えた時、とりあえず作者の出身地かなと単純に考えた。物語の舞台は空想世界だから、それくらいしか行ける場所がなかった。

 ネットで調べてみると、限界集落を訪ね歩く趣味を持つ人が紹介していた。住む人が残っているうちに行けるなら、文集に載せる価値があると思った。


「最後に残った住人が、がまん強くなかっただけかもしれん。集団で病にかかったのかもしれん。事情は知らんが、その人たちには必然の結果だったはずだ」

「ないものねだりを言うな、ですか」


 たぶんそう言いたいんだろうと理解して、自分の声で聞けばなお合点がいった。

 さっきからのオレの言い分は、せっかく来たのに期待と違うじゃないか、だ。頬と耳が熱くなって、正面を見ているのがつらい。


「いや、お前の言葉は普通に善良だ。しかしわざわざ、隣の県から物見遊山に来た人間が言ったところでだ。偽善以上にならんと知れれば、それはそれで価値だろうよ」


 ああ。

 そうかオレは、たかが高校生だ。たかが感傷に責任を負う必要もない。

 先生の言葉を聞いて、ポニー先輩は腕をつかんでくれた。キツネ女子も、背中をトントンと叩いてくれた。


 旅の目的を一つ果たし、同行する女子たちと親しく触れ合っている。

 あとは荒くなりそうな鼻息をどうにかごまかせば、たかが高校生にはきっと及第点だ。


「さて、十分にいい空気も吸った。生家が見られなかった分、終の棲家を拝みに行くとしよう」


 沈む集落にくるりと背を向け、七瀬先生は藪を分けろと指を向けた。

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