第31話:サプライズ
五月二日。連休の谷間っていうのに、至って普通に授業があった。
こういう日はもうついでに、休みってことにしようよ。と思うのはオレだけじゃないはずだが、世の中ままならない。
ましてや次の日から、ポニー先輩との旅が待っている。
どんな車で移動するんだろう。先日のボックスワゴンか。隣に先輩が乗ってくれるかな。
どんな部屋で寝るんだろう。まさか誰かと同じ部屋に?
妄想が捗って、もはや方程式も化学式もあったものじゃなかった。
放課後。教室から出るのは、例によって一番だ。まあ今日に限って、茶髪女子を中心になにやらみんな集まっていたせいもある。
どうせ連休中、どこかへ行こうって相談だ。オレが居ても互いに気分が悪いだけだし、気にせず下校した。
昼休憩に顧問からも「明日に備えろ」と言われた。
助言の通り夕食にばあちゃんのトンカツを食べ、早々に風呂へも入り、あとは寝るだけ。だが気になるので、念のために荷物の点検を。
電話がかかってきたのは、そんな頃合いだ。
「ユキちゃん、学校の先生からよ」
呼ばれて時計を見ると、午後八時を過ぎていた。
家に電話をかけてくる先生となると、一人しか心当たりがない。しかし明日の朝には出発という時、嫌な予感しかしなかった。
「もしもし、七瀬先生?」
「私だ」
名乗らなかったオレもオレだが。私だ、って。
特殊詐欺なら、まったくの人選ミスだ。顔を合わせずに聞いた声は完全に、シナリオ終盤で闇堕ちするライバルキャラだった。
「七瀬先生ですよね。どうしたんです、明日のことでなにか変更でも?」
「変更はない。既に参加者を拾い、お前のところへ向かっている。およそ十五分だ」
「えっ」
どういうことだ。待ち合わせは明日の朝、学校に近いショッピングモールのはず。変更はないと言われても、もう参加者を拾ったと聞いた。
説明を求めようにも、電話は切れた。冗談ならいいが、本当ならポニー先輩がここへやってくる。
「ば、ばあちゃん!」
なんだか分からないが、これから出発らしい。予定の変更をばあちゃんに伝え、用意していた服に着替えた。薄汚れた中学のジャージ姿なんて、先輩に見せられない。
長袖シャツにカーディガン。綿のパンツ。財布と、ハンカチと、それからええと。
準備は万端だから、確認には十分でも余る。しかしあせる気持ちが、落ち着いて考えさせてくれない。
だからそのまま、これでよしと思うより先に玄関のチャイムが鳴った。
「あらまあ、可愛らしいお友だちね」
出迎える声が聞こえた。違うばあちゃん、たぶんそれはオレの友だちじゃない。
慌ててバッグを担ぎ、玄関へ。やはりそこに、いつも通りちょっと機嫌の悪そうな顔以外の来客はいなかった。
「私。土原学園の教諭職に就いております、文芸部顧問で七瀬と申します。これより校外活動にて、ご
勘違いを気にしたそぶりもなく、堂々とした挨拶と共に先生の頭が下がる。「えっ?」と見開かれたばあちゃんの目が、オレに確認を求めた。
「七瀬先生、こんばんは」
角の立たないように、は無理だった。なにも気づかないふりで、真実を告げた。
ばあちゃんは一度ぎゅっと両目を閉じ、頷いてから前に向き直る。
「ま、まあ、そうなんですか。これはとんだ失礼を」
「いえ、教師に見えないとよく言われます」
だから間違えるのも無理はない。とでも言いたげに、土原学園教諭は何度も頷く。
それでもばあちゃんは、まだ謝ろうと言葉を探しているようだった。なんだか気まずいこの空気を、オレはまったく読まずに断ち切ることにした。
「先生、お願いします。ばあちゃん、行ってくるね」
「あ、ああ。はい、気をつけてね」
メイキのスニーカーを履く。先に戸を抜けると、先生は頭を下げてオレのあとへ続いた。
「あっ、ユキちゃん忘れ物!」
「え、なに?」
普段は聞かない、ばあちゃんの大きな声。なにごとか驚いて戻ると、大きなレジ袋を渡された。
それほど重さを感じない物ばかり、パンパンに膨らんでいる。透けて見える感じでは、お菓子が詰まって見えた。
「みなさんでつまんで」
「うん、ありがと。行ってくる」
「楽しんでおいでね」
オレが玄関の扉を閉めるまで、ばあちゃんは手を振ってくれた。鍵をかけても灯りが消えず、たぶんまだそこに立っている。
特別に用意するものなんてないと言っておいたのに、このお菓子はサプライズみたいなものだろうか。
なにかお土産、買ってこないと。
心の中でお礼を言い、道路へ向く。そこには同行者たちの乗る白いボックスワゴンが――なかった。
あるのは濃い赤のミニバン。ミニと言っても七、八人が乗れる大きな車体。トコタ自動車のアルカード。
「これが先生の車ですか」
「いや、身内の物を借りた」
「へえ……」
七瀬先生ぽくないな、と思って聞けば案の定。この人の家には、いったい何台の車があるのか。
「なにをボケッとしている。早く乗れ」
「は、はい」
立ち尽くしていると、バッグを毟られた。それはハッチバックを開けた中に放り込まれ、乗れと指されたのは助手席。
もちろん素直に従い、重々しいドアを開けた。すると厭味でない、薄っすらいい匂いが鼻に抜けて消える。
目に入ったのは革張りの座席。毛足の長いフットマット。車には詳しくないが、どう考えたって高そうだ。
「あの。いいんですか、乗って」
「アホか。お前だけ自分の足で追いかけると言うなら止めんが」
「はあ、まあ」
いいらしい。さっさと運転席へ乗った小柄な女の子が、どうにもアンバランスに見える。
しかし覚悟を決め、唾と息を飲み込んで乗り込む。今までのどんな車にもない、ふわっと静かに沈みこむ感覚が、心地よくて恐ろしかった。
「ところで、それはなんだ」
「えっ、ああ。ばあちゃんがお菓子を」
「それはありがたい」
今度はレジ袋が奪われた。
遠慮なんて言葉はこの世に存在しない。そんな心意気の女の子は、コンソールの上で逆さに振る。
ガサガサッとスーパーの特売の音がして、せんべいやらボーロやらが落ちてきた。
「見嶋のおばあさんからだ」
上から二、三袋を鷲掴みに、先生は分け前を後席へ差し出した。
そうだ、参加者はもう揃っている。振り向けばポニー先輩と、その友だちが座っている。
サッと目を向けたいが、まずは深呼吸。幸福感に溺れそうだ。
「ありがとうございます」
お菓子を受け取る手が伸び、お礼の言葉が聞こえた。
それは間違いなく、ポニー先輩の声でなかった。つまり先輩がこの旅に誘った、先輩の友だちという人の声。
しかしオレは、この声を知っている。
嫌な予感。いや、悪寒かも。震えさえ感じながら、後席へ目を向けた。
こんなサプライズは勘弁してくれ。勘違いであってくれと願いながら。
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