第30話:ポニー先輩

「私もね、見に行きたいところがあるんだ」


 先輩の顔がはっきりこちらへ向いたのを、随分と久しぶりに感じる。気づけば色白な頬が、ほんのり赤くなっていた。


「近いんですか」

「どうかな。調べてみるね」


 オレの探訪に付き添ってくれるだけでないらしい。

 それは望むところだ。三日間の全部をオレだけに託されても、きっと時間が余ってしまう。


「あー、ちょっと遠いかも」


 先輩は床に置いたカバンから、ノートを選び取った。自分の行きたいところと、オレが調べたい作家の関係する場所と、聞き馴染みのない地名を列記していく。

 小学生が使っていそうな、ペンギンのイラスト入りノートが微笑ましい。


「そうですねえ。電車とかで行けるんならいいですけど」


 次のページに、その県の形がざっくり描かれた。大きな町の位置関係も書き込まれ、調査対象の場所が点で打たれる。


「電車かあ。七瀬先生、運転上手だから。車で連れて行ってくれるんじゃないかな。移動のお金も要らないって、たぶんそういうことだよ」


 話す間に、探訪マップができあがった。もちろん変更も加わるだろうけど。

 こんなのをすぐに書くとは、もしかするとポニー先輩は、とんでもないくらい頭のいい人だ。


「そうかもですね。あとで聞いときます」


 マップによるとオレの行くべき場所は、隣の県でも県庁所在地付近に散らばる。先輩の行きたい場所は、さらに東へ進んだ県境に近い辺り。

 およそ百キロも離れているらしい。電車なら何時間もかけるか、新幹線だ。


「そこは?」


 スマホを操作し続ける先輩は、マップ上へまた新たに点を打った。県庁に近いのでオレの担当と思うけど、動物園と書き添えられる。

 獣の皮をかぶせられた主人公だから? けれども空想の生き物だ。現実の動物園に、ピンとこない。


「オオサンショウウオが飼育されてるみたいなの」

「オオサンショウウオ?」


 名前を聞いても、どんな生き物だったか。しかもオレの読んだ小説には、やはり登場しない。

 首を傾げるオレに、先輩はスマホの画面を見せた。


「ほらこれ。可愛い顔してる」


 どす黒いウーパールーパー。でなければ苔の付いた漬物石。

 先輩の笑んだ口もとを見ると「本当ですね!」と言いたいのはやまやま。だがどうしても、頷こうとした首に急ブレーキがかかる。


「お、面白いですね。これが出てくるお話なんですか?」

「うん、そう」


 どうもオレでなく先輩のお目当てらしい、という見当はその通り。告げられた題名と作者名は、聞き覚えのあるものだった。

 いつだったかの国語の教科書に載っていたかも。しかし内容はまったく覚えていない。


「早く見たいな。ねえ、見嶋くんもほかにないの?」


 良かった。早々に話題が逸れた。

 それから昼休憩の終わるまで、どこへ行くかの候補を挙げていった。途中、文集に載せる記事を頼んだりもしながら。


「先輩も調べたことを文章にしてもらえませんか」

「書くのは好きだけど、ほかの人に見せるんでしょ?」


 七瀬先生に関わったことが知られてはいけない。という先輩の縛りを、もちろん忘れていなかった。

 あわよくば素通りしないか、狙ったのは内緒だが。


「公開しないと文芸部の実績にならないですからねえ。二年生、女子、くらいの匿名じゃダメですか?」

「うーん……二年生は女子しかいないんだよね。でもそこまで言うなら、一人称を僕とかにして書くよ」


 さっきまでの笑みは消えていた。考える素振りも、相当に悩んでのことだろう。

 しかし断れば、完全なタダ乗りになる。優しくて真面目な先輩は、おそらくそれを気にして請け負ってくれた。


「すみません、助かります」


 文集が作れなければ居場所を失うオレも、察してなお遠慮しない。


   ***


 次の日の木曜日。探訪マップには、行き先の点が十個近く増えていた。

 理由は聞かなくとも、いや聞いたけど。もう一人の参加者が行きたいところだ。

 それが誰なのか「私の友だち」としか教えてもらえなかった。


「ええ? 教えてくださいよ」

「ダメ、内緒」


 ポニー先輩以外は、上級生の名前なんて知らない。それでもなんとなく知りたいのが人情ってものだ。

 唇に指を立て、教えないと言われたので引き下がったけど。萌え死ぬかと思った。


 出発には五日あったが、引率の七瀬先生にも準備があるはずで、探訪マップを完成させた。

 オレとポニー先輩ともう一人。それぞれに三、四ヶ所ずつが最終候補だ。当日の都合次第で削ることも想定して。


 シャーペンで書いたのを、先輩はボールペンで清書する。ちょっと丸みを帯びた、でも読みやすい字だ。

 丁寧に消しゴムをかけ、スキャナーに読み取り、プリンターで四枚を印刷。先輩の作業には迷いがなかった。


 授業でしかパソコンを使ったことのないオレには、かなりの専門技術に思える。図書室の機材なのだから、本の整理によく使うんだろう。


 図書室登校なのに。という言葉が、ふっと浮かんだ。なにか事情があって、図書室にしか来れない先輩。

 それがどうかしたのか?

 自問しても、くっつける言葉が見当たらない。でもたぶん、オレはこの人を称えたかったんだ。


「どこか変だった?」

「い、いえ。先輩はいろんなことができて、凄いなって」


 渡されたマップを見つめ、オレはしばらく黙っていた。

 ミスがあったか、覗き込んでくる顔。咄嗟にうまく言葉が出なかった。


「えっ、なんにもだよ。おだてられても、なにも出せないし」

「出ないんですか? 次はもっとおだててみますね」


 生真面目な声と表情で、両手を振って否定された。やっぱり可愛い。

 打ち合わせに使った何時間か。五日後から泊まりがけの旅。同じ時間を過ごせることが夢のように思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る