第29話:ぼっちの頼み
開け放たれた扉を抜け、図書室へ。見回すと、ポニー先輩しかいない。まずは、ほっと安堵の息を吐く。
「あ、あの。相談が」
ちょっと手を上げた先輩を視界の端に、カウンターを回り込む。「うん?」と怪訝な声が、オレの鼓動を早めていく。
誘おう。一緒に行ってくださいって。
「ぶ、文芸部が、なくなるので。その、好きな本のことを。ええと、どうしたらいいか。相談に」
「ええ? ごめん、落ち着いて。なにがあったの」
めちゃくちゃだ。女性と話すのは緊張するけど、ここまで言葉に詰まるとは。
もう何度も話しているポニー先輩だから、頭の中の台本をまったく用意していなかった。
「す、すみません。文芸部がなくなりそうなんです」
「そんな。どうして?」
先輩と文芸部は関係がないのに、あらためて問う声は、とても心配そうだった。たぶんそれは、七瀬先生を恩人と言う人だから。
隠す理由もないので、いきさつを全て話した。何度か「どういうこと?」と問われつつ。
「そっか、津守先生が……」
「津守先生?」
結局はオレにもさっぱりの事態だから、存続の条件くらいしか内容がなかった。
そう思うのに先輩は、序盤で出た名前を繰り返した。
いつもの困った眉の間に、深いシワが寄る。でもさらにオレが言うと、静かに首を横に振った。
「ううん。それより部員を集めないといけないの、大変ね」
「そうなんです。恥ずかしい話、声をかける相手もいなくて」
「そんなことないでしょ。見嶋くん、話しやすいよ」
薄く笑ってくれたのが嬉しくて、同じだけつらい。いっそ洗いざらい、オレの立ち位置を話してしまおうか。
そうすれば哀れんでくれるかも。なんて計算をしてみても、本当に言いはしない。
この期に及んで、ないに等しい見栄を守りたいんだ、オレって男は。
「いや、全然ですよ」
「うーん。文芸部ならね、自主的に毎日やってるようなものだと思うんだけど」
けど。の後に、ごめんねと聞こえた。実際には言っていないが、噛んだ下唇と俯きかけの目が物語っていた。
「――いえ、それは。事情もなんとなく聞きましたし」
「うん、ありがとう」
言葉を継がずに待っていたら、先輩は最後まで言っただろうか。七瀬先生のいる文芸部には入れないと。
あと一分くらい、助けてという気持ちで見つめ続ければ、あるいは。
やってみる価値があったと思う。しかしできない。良くも悪くもオレは、自分の意図を女性に示すのが苦手だ。
「それで文集作り? 旅費が要らないなら、行きたい人はいると思うよ」
「ええまあ。オレもそう思うんですが、ぼっちなもんで」
タダで旅行をしないかと聞く相手もいない、ことの釈明が思いつかなかった。曇りのない先輩の眼に、嘘を吐ききれなかったとも言う。
一年A組での悲惨な状況はともかく、ぼっちくらい珍しくもない。と九割方のヤケクソで暴露した。
「うーん……」
「先輩?」
どんなリアクションなら、ダメージが少なかったか。それは分からないが、腕組みで黙られるのは痛い。
仕方なく自分で「ははは」と笑う声が、より寒々しさを増す。
「あっ、ごめんね。あれこれ考えてた」
たっぷり時間を使い、やがて先輩は現実に戻ってきた。
なにを? と聞いたら答えてくれるのか。迷う間もなく、カウンターに置いたダンボールが突き付けられた。
「見嶋くんは、どこに行きたいと思ってるの?」
「どこ、っていうか。先輩の選んでくれた小説がいいなと思ってます」
おととい読んだばかりの、ヒロイックファンタジー。ほかに選択肢がないと言えば身も蓋もない。
だが好きな本のことを調べると思いついたのが、そもそもあの本を想定してだった。
どの本か問われ、題名を答える。すると先輩は「うん、面白いよね。私も好き」と微笑んだ。
アメコミの
「聖地巡礼とはいかないね、空想の場所だもん。じゃあ作者さんの出身地に行くのかな」
「どこだか知ってるんです?」
読んだ本には作者紹介がなかった。ネットが使えればすぐに調べられるけど、オレの手にもばあちゃんの家にもない。
「隣の県だよ」
細くて柔らかそうな先輩の指が、校門のほうを示す。それは東で、オレたちの住む地方では最も大きな都市のある方向。
そしてダンボール紙のリストにも記載されている。
「ありがとうございます! 実はオレ、スマホなくて。先輩に調べてもらおうと企んでて」
「言ってくれれば、そのくらいすぐ調べてあげるよ」
むしろどうして遠慮するの。とでも言いたげに、水色のケースに収められたスマホが持ち上げられた。
いい人っているんだな。なんて考えるオレはチョロいのか、図々しいだけか。
さておき、概ねの行き先は決まった。あとは作者を調べられそうな場所や施設を、リストアップするだけ。
方法はいくつもあるだろうけど、やはりネットで調べるのが早い。
なぜか、先輩は急に整理整頓を始めた。さっきまで読んでいたハードカバーを脇に避け、持ち上げたスマホもそっと置く。散らばっていたペンなど、意味もなく何度も揃えられる。
「あの、せんぱ――」
「お願いがあるんだけど」
一分の隙もなく片付いたのを見計らい、口を開いた。だが同時に、圧倒的な早口で、先輩の声がかぶさる。
「はい?」
この可愛らしい人より優先されることなんてない。ましてや「お願い」とか言われれば。
どうぞお先にお話ください。と待ったが、しかし続きが聞こえてこない。
「先輩、お願いって」
「うん。あのね、凄く言いにくいんだけど」
「遠慮しないでください」
先輩の頼みなら、なんでもやります。まで言えればカッコいいんだろうけど、オレにはそんな勇気がない。
もじもじと先輩の指が、カウンターの手前を滑る。それを可愛いなあ、なんてニヤニヤするのがせいぜいだ。
「連休中に行くんだよね?」
「ですね。三日、四日、五日で」
「行くのは七瀬先生と、見嶋くんだけ?」
「ほかに二人は連れてこいって言われてるんですよ」
なんだろう。先輩の指は、カウンターテーブルを磨き続ける。視線も同じに動き、オレには向かない。
それで問われるのは、既に話したことの再確認。
まあ正直、もしかして? と浮かれ始めてはいた。
「学校の外だったらさ。その、私も連れてってもらえないかななんて。思ったりするんだけど、図々しいかな」
小さな深呼吸を挟みながら、予想通りの要求を先輩は言った。
心変わりの理由とか、学校の中と外でどう違うかとか。ポニー先輩がオレと一緒に行ってくれるなら、細かいことはどうでもいい。
カウンターを乗り越える勢いでつかみかかり、オレは叫ぶ。
「喜んで!」
「あっ、えっ、いいの? 部員にはなれないんだよ」
「いいに決まってます。良くなくても、オレが良くします」
「あはは、頼りになりそう」
これだけ気分が良くなれば、愛想笑いもどんとこいだ。「頼ってください」なんて、有頂天なセリフも言えてしまう。
「先輩が来てくれるなら、あと最低一人いれば行けます」
「一人ね。それなんだけど、私が誘ってもいいかな」
「へっ?」
間抜けな声が漏れた。
文芸部唯一の部員であるオレの仕事をやってくれると言うんだ、頼んでもないのに。
こんな幸運、あっていいのか。頼れと言ったばかりで、立場が反対になっていいのか。
悩むべきことはいくつもあったが、投げ捨てる。メンバー集めだけは、オレの力じゃ無理だ。
「それはぜひお願いしたいですけど、いいんですか」
「いいよ、楽しみにしてて」
力強く頷く先輩に、オレの不安はすっきりと消え失せた。
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