第26話:条件は二つ

 深く座ったソファーに背中を預け、文芸部顧問の顔が少し上向く。思い出に浸っている。のではないだろうから、まだ考えがまとまらないんだろう。

 もしそこにタバコがあれば、ひと息で燃え尽くすくらい。長く長く吸った息を、同じ時間をかけて吐く。


「まず言っておく。文豪を生んだでなく、私個人の思い入れもない。つまり文芸部がなくなっても、誰も困らない」


 明言された声はオレの頭上を越え、壁と天井の境あたりへ飛んだ。

 しかしもちろん、オレの耳は正確に聞き取った。一瞬遅れて、きゅっと泣いたオレの喉の音も。


「ただし」


 と、付け加えがなかったら。この後の言葉を、きっとオレは聞かなかった。耳には入っただろうけど、諦めてしまっていた。

 先生はオレと真正面に、顔を向き合わせる。


「お前の整えようとしている、この部屋は居心地がいい。このソファーは、私の家のベッドよりも安眠できる」

「いやそのソファーは先生が持ってきたんじゃないですか」


 運ぶのは手伝った。部屋の掃除もした。出来の悪い本棚なんか、昼寝に関係ない。

 七瀬先生の安らぎとやらに、必ずしもオレは必要でない。


「アホか。そんな話をしていないだろうが」

「ええ? じゃあ、どんな話なんですか」


 学校椅子の背もたれに寄りかかる。ブランデーを揺らしていそうな先生に対し、両手で白湯を抱えてそうなオレ。

 目に見える姿勢の違いが、立場の違いだなと思う。

 先生と生徒、ってことではなくて。先生はこの部屋がなくても、たぶん居場所に困らない。


「どんなと言うなら、今のは私から提示できる前提だ。行うべき話は、対処するかしないか。しなければ廃部が確定する。するなら、お前の行動が必要になる」


 困るのはオレだけだから自分で決めろ、か。聞くところでは顧問をしたって給料も増えないそうだし、先生の言い分はそうだろう。


「対処、対処って、具体的にはなんですか。どうして廃部になるのか、まだ分からないんですけど」


 オレの言い分は? と問われたら、考えるまでもない。この部屋が使えないと、弁当を食べる場所にも悩む。少しは話のできるようになった、ポニー先輩との接点がなくなる。


 しかし問題の大きさ、難易度によって、天秤にかけられるかが異なる。

 廃部の危機をアイドルになったり戦車に乗ったりして救うのは、アニメの中だけだ。


「そう吠えてくれるな。私もむざむざと潰したいわけじゃない」

「あ、いえ」


 いちいち男前の苦笑に、慌てて語気を緩める。

 本当に湯呑みを握っていたら、オレの手は火傷をしていた。痛む手のひらを開いてみれば、くっきりと爪の痕が付いている。


「条件は二つだ。夏休みまでに、部員を三名以上にすること。九月の文化祭で、一定の成果を発表すること」


 一つ、二つ、と指が立てられる。それはそのまま隠し金庫へと向けられた。

 たしかに喉が乾いた。お茶を二本と、ポテトチップスをテーブルに置く。


「三人も? 仮入部期間は終わったんですよ。なんでその前に言ってくれなかったんですか」


 入学から二週間で、部活をしたい生徒は行き先を決める。決めかねている場合もあるだろうが、先週よりも格段に人数が違うはず。

 そうでなくとも、同じクラスで声をかけられないオレには難易度が高い。ほかのクラスならいいが、目立つことは避けたい気持ちもある。


「悪い。私が聞いたのも昨日でな」

「ああ……」


 ほんのちょっぴりの緑茶を口に含ませ、先生はペットボトルを置いた。交代にポテトチップスを袋ごと抱え、大きく開けた口へ流し込む。

 普段から、一度に何枚も口へ放る人ではあった。でもこんな、ハムスターみたいなほっぺたになるのは初めて見た。


「そ、そうだ。先生が声をかけたら、すぐに何人でも――」

「それはできない」


 言い終える前に、先生はきっぱりと断った。ポテトチップの欠片こそ飛ばしたが、声は平坦だった。

 すまんが。みたいな前置きもくっつきそうになく、ギロチンを落としたように。


「ええと、なんで」

「話せば長い。生徒を個別に勧誘することが、私にはできん。そういうものと理解してくれ」


 またオレの声にかぶせて、できないものはできないと。長くても構わないが、話す気はないらしい。


「ですか。じゃあもう一つの、一定の成果ってどんな物です?」


 先生がイライラしたり、目を逸らしたりしなくて良かった。そんな態度を見てしまえば、オレは話す気力をなくしたに違いない。

 ため息を鼻から抜くだけで、まだ座っていられた。


「そちらはさほど厳しくない。本を読んで感想文を書くとか、小学生の壁新聞のようなレベルでなければいい」

「はあ、なんとなく分かりますけど。具体的なようで具体的じゃないですね」


 優しいと言うなら、そういう顔をしてくれればいいのに。ついさっきまでの、どことなく固い表情でなくなっただけ。

 つまりいつもの、なんだか機嫌の悪そうな顔。それではまるで説得力がない。


「そうだな。たとえば休部になる以前の文芸部は、独自の文集を作った例がある。自分たちで製本したり、印刷所へ依頼した本格的なのも」

「文集は、らしい・・・ですね」

「だろう?」


 空になったポテトチップスの袋が、ゴミ箱へ投げ入れられた。舌なめずりしつつ、同じ口に緑茶が吸い込まれる。ごっ、ごっ、と。


 文芸部、文集と言えば、学園ミステリーもののアニメにそういうのがあった。何十年も前の学校の秘密と、文集が深く関わっているという。

 解き明かした内容を文集に綴っていたけど、そんな都合よく学校の秘密が湧いたりしない。


 しかも四人で、編集の経験者も居た。文集と呼ぶにはかなりのページ数が必要だし、文章も含めた才能がオレにあるのか?


「どのみち、オレ以外の部員が必要ってことですね」

「分散はする、な」


 廃部へ傾いた天秤を戻すのに必要なおもりは見えた。オレでなければ、簡単に対処できると思う。たとえば、あの茶髪女子ならすぐだ。


 どうすればいい?

 オレはオレでしかなく、ぼっち生活の真っ只中。目の前の一人を除けば、相談する相手にも事欠く。

 喉が乾いて、うまく唾が飲み込めない。それでもテーブル上のペットボトルを、ただ睨みつけた。

 切れていないキャップの封を、いつまでともなく。

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