第25話:秘密基地
さっそく本を載せてみる。目線くらいの棚板に。
きゅうっと嫌な音で鳴き、本棚の全体が揺れた。慌てて押さえると、並べた十冊が滑り落ちた。
「あらら――」
強度に重大な問題があるらしい。それに一枚ずつの棚板も、前かがみの傾斜があるようだ。
せっかくポニー先輩の選んでくれた本に、変な折り目を付けてしまった。拾ってテーブルに安置する。
傾斜を直すには、新しくネジ穴を空けないと。強度はどうしたら? 分からないが、電動ドライバーだけでは難しい気がした。
仕方がない。帰ってから、じいちゃん作の本棚を見てみよう。棚くらい簡単と思って、参考にしなかった。
本を置いたら、使えるでしょと自慢するつもりだったのに。こうなると、やることがない。
放課後になっても、それは同じだった。とは言え顧問の来る前に帰ると、また叱られる。
神出鬼没の人だから、呼びに行っても無駄骨の可能性が高い。会おうと思ったら、待っているのがいちばんだ。
でもそれまで、なにをする?
もうポニー先輩は帰ったはず。行く当てもなく、ぐるり見渡す。と、あり余る社会科教材、数えるのも面倒な大小のダンボール箱。ほかにはテーブルへ積んだ本だけ。
どう時間を使えと。
こういう時、昼に見たDVDプレイヤーがあれば、それこそ映画でも見られるのに。まあ機械だけで、ディスクがないけど。
「あ」
ソファーに横たわって思い出した。ここを定位置にする人の財産を。
過去、ベッドだったダンボール箱が、部屋の隅に積み重ねてある。そこにお菓子が隠してあった。
ガラクタ入りのダミーの箱を抜き、奥を探る。たしか触れた面を横にずらし、すぐ下に現れる二重板を手前に引くのだった。
ちょっとした隠し金庫の出来に感心する。それはそれとして三角形のせんべいと、ぬるいお茶を手に入れた。
これは私の背徳だ。それをお前がたまたま見つけたとして、勝手に食われても文句を言う道理がない。
とかなんとか。誰かに見つかっても七瀬先生のしたことだから、オレに責任はないって理屈らしい。
お菓子くらいでそこまで考えなくてもと考えるのは、オレが甘いのか?
責任を気にする割りに、今度は冷蔵庫を持ってくると言っていた。保守的なんだか革新的なんだか、よく分からない。
確実なのは、この部屋を秘密基地に改造しようとしている。
真面目なオレは眉をひそめざるを得ない。が賛成だ、どんどんやろう。
「うーん」
せんべいを食べても時間の流れは早まらないし、スーツの女の子を召喚する贄にもならなかった。
食べ終わって壁の時計を見ても、五分かそこらしか経っていないのに愕然とする。
いよいよどうしよう。見倣って昼寝でもするか。そんなことをしたら夜が眠れない。
オレのスペックはこんなもんじゃないはずだ、考えろ、考えろ。などとどこかで聞いたようなセリフを胸に、実際巡らすのは暇潰しの方法論。
やがて諦めの境地に達し、テーブルの本に目を向けた。
「読むか……」
文章を読むのが嫌いとは思っていない。ほかに漫画やアニメ、映画があるのに、わざわざ? と感じて食指が動かなかった。
こうまで追い詰められないとその気にならないのは、重症になりかけかもだ。
ともあれ、十冊の表紙をテーブルに並べた。タイトルも作者も、聞き覚えのある気がする程度。
つまりどれでも同じ。表紙の絵で選ぶ。
トラだか狼だか、小説の挿し絵にありがちな曖昧な描き方。とにかく主人公の頭は、獣の姿らしい。
筋肉隆々で、アメコミヒーローに見えた。ポニー先輩も、そう思って選んだのかも。
お茶を含み、ページを捲る。久しく読まなかった細かな活字に、目まいの感覚が襲う。
もう一度、お茶を。
最初の一ページを読んでしまえば、あとは惰性だった。喉が乾いたとか、読む以外のことはすっかり忘れた。
主人公は剣や魔法の存在する、ファンタジー世界の住人。
獣人かと思えば、普通の人間だ。豊かな王国の王子で、真面目なのが取り柄の男。飛び抜けて優秀な才能はないが、文句を付けられることもない。
その主人公を、敵対する宰相が失脚させた。弟の第二王子を次の王にするためだ。
殺せば証拠が残る。だから宰相は主人公の喉と顔を潰し、獣の皮をかぶせた。
王国の支配も及ばない、遠くの山々に住む者の村へ主人公を追いやる。行方不明を悲しむ王や王妃には、王位継承が嫌になったと偽の手紙が示される。
ページを捲る手が、最後まで止まらなかった。
今となっては、それほど斬新な話じゃないかもしれない。でもこの物語は、何十年も前に書かれたようだ。
設定や展開の物珍しさなんて関係なく、読まされてしまう。次はこうなると想像がついても、なぜか手に汗握らされる。
本の終盤、主人公は宰相を討ち果たす。でもそれでハッピーエンドとはならなかった。一国の重鎮を殺した犯人として、追われる身となる。
それでこの本は終わり。このまま読み終えても十分に満足する話だったし、二巻以降も続いて発刊されているみたいだ。
「ふうっ」
胸に溜まる熱い息が漏れた。ちょっと心臓がどくどく言って、部屋の温度も上がったように感じた。
喉へお茶を流し込み、時計を見る。もう午後六時近い。
むせるところだった。咳払いと共にペットボトルから口を離し、廊下の気配を窺う。
ほかに部室もない北校舎の三階は、ひっそり静まり返った。
さすがに帰っていいよな。
鍵を返しに職員室へ、それから下足室、校門を出るまで。七瀬先生の姿を探したが、見つけられなかった。
翌日。
例によって昼休憩は、ぼっち飯だ。大食ら――健啖家な人が、社会科資料室で食事をするのは見たことがない。
今日も食堂か、誰かに捕まっているのかなと思う。
食堂で食べてみたい気持ちはあるが、ばあちゃんが作ってくれる弁当を要らないとは言えない。なによりうまい。
食べ終わって、図書室へ行ってみた。ポニー先輩は、DVDプレイヤーを持っていっていいと言ってくれた。
「ありがとうございます、助かります!」
「ううん。良かったね」
なにが助かるのか、聞かれなくて良かった。困り眉の微笑みに胸を萌やし、モニターとプレイヤーと配線を運ぶ。古い物で、見た目より重い。
今日は本棚の改良案も持参した。放課後は忙しいな、なんて眺めていると、閉じたばかりの扉が開く。
振り返ると、社会科資料室の主がいた。
「あれ、七瀬先生?」
「ああ」
ちょっと機嫌の悪そうな、実際の感情の読めない顔。昼休憩に来るのは珍しいが、なにしに来た、と言うのもおかしい。
曖昧に半疑問形で名を呼ぶ。
答えるほうも曖昧に頷き、部屋に入った。オレはそそくさと、ソファーから対面の椅子へ移る。
「どうかしました?」
悪いな、ともなく。どかっと腰が下ろされた。広いテーブルに載せたDVDプレイヤーへ、視線を向けて。
しかし言及がない。いつもの先生なら、いい物があるなとか言って当たり前だが。
「ちょっとな。考えている」
微妙に間が空いて、答えがあった。目はまだテーブル上を、見るとはなし。
悩んでるのか? これも珍しいと言えば失礼だが、珍しい。
「オレ、なにか役に立ちます? できることならやりますけど」
なにも考えずに言った。唇の動くまま、自然に声が出た。すると先生の目が、ぎろっとオレを捉える。
やらかした? 不安にさせる視線で。
「役に立つというか、対処するならお前にやってもらわねばならん。しかし対処しない選択肢もある」
「はあ。やったほうがいいならやりますよ」
やらなくてどうにかなるなら、大したことでないのかも。それならなおさら、オレにできる対処とやらを知りたい。
請け負ったにも関わらず、「ふむ」とまだ保留が続く。
「なんなんです? 対処できても、しないほうがいいって話ですか? それがなにか、さっぱり分かりませんけど」
「いや我がままになると思ってな。私のだ」
「先生の我がまま?」
それは今さら、とは口に出さない。
なんであれ具体的な中身も分からずに、これ以上のことも言えなかった。黙っていると、やがて「そうだな」と先生は頭を掻く。
「このまま行くと文芸部は廃部になる」
肝心の言葉は、やけにあっさり放り投げられた。続く声もなく、「はい?」と聞き直すのがようやくだった。
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