第24話:選別の基準
普通に縦長の長方形になるはずが、どうも歪む。天井の板なんか、三十度くらい傾いている。
廃材で作ったから? いや欠けはあったが、平面の板だったはず。
まあいい。不格好だが、形にはなっている。棚は鑑賞するものじゃなく、本を並べるものだ。
「図書室に要らない本ってあるんですかねえ?」
「さあ、知らんが。新しい本が入るのだから、除かれる本もあるだろう。図書委員に聞いてみろ」
文芸部として本を持つのに、手っ取り早いと思った。さすが顧問は意図を察したが、もっともな返答。
そして提示された解決法は、難易度が高い。
「図書委員って、オレが聞くんですか……」
「当たり前だ。難しければ手を貸すが、まずお前がやらなくてどうする」
「いや、だから。難しいって話をしてるんですが」
一年A組の図書委員は誰だったか。誰だろうが、オレを無視する中の数人だ。
しかも要らない本があれば分けてほしいと、融通を頼むのが用件。冷たい反応になるのが目に見えている。
「アホか。同じクラスでなくとも、図書委員は山ほど居るだろうが。なんなら担当の先生でもいい」
「あ……」
これはバカにされて仕方がない。その通り、自分のクラスしか考えていなかった。切り替えると言いながら、全然切り替えられていない。
「そ、そうですね。盲点でした」
「やかましい、いやらしい顔をするな」
そうか、誰でもいいんだ。顔を熱くしてごまかしつつ、思い浮かんだ問う相手の顔に、だらしなく笑ってしまうのを抑えきれなかった。
***
月曜日の昼休憩。さっそく目当ての人と会うことにした。
風呂敷包みの弁当箱を手に自分の席を立っても、誰の視線も感じない。
むしろ気楽に教室を出ようとすると、俵が田村を誘っていた。オレを除く男子二人は、最近よく一緒にスマホのゲームをやっている。
今日も売店でパンを買い、昼休憩を費やす計画らしい。
気にせず鍵を借りに行き、社会科資料室へ。弁当は二の次で、すぐに尋ねたいのを堪える。
昼ごはんの邪魔をするのは良くない。というか、やはり図書室で食べているのか? するとオレも並んで食べても――。
妄想は楽しいが、頭の中だけに留めておこう。肩身が狭いのに、と迷惑がられるに決まっている。
昼休憩も半分を過ぎたころ、そろそろと見計らって移動した。こんな時こそ顧問が居れば、すぐ時間が経っただろうに。とうとう現れなかった。
図書室の扉を抜け、さりげなく鼻を利かしたが、食べ物の残り香はない。代わりにスプレーの消臭剤っぽい匂いはした。
いつも通り、貸し出しカウンターにはポニー先輩が居て、分厚いハードカバーを広げる。
オレに気づくと、小さく手を上げてくれるのがたまらん。
荒ぶる鼻息を絞り、先輩の正面へ。ぐるっと動かした視界にもう一人、別の誰かが映る。
出入り口からいちばん遠い席に、不自然なくらい姿勢のいい銀縁メガネ。キツネ女子だ。
オレの存在に気づいているのかいないのか、開いた本から視線が動かない。
「同じクラスだよね、明椿さん」
凝視したつもりはなかったが、ポニー先輩がそっと言った。見ると座ったまま、ナイショ話のように口もとへ手を当てていた。
くそっ、可愛い。
「えっ。ま、まあ」
「よく来るよ。見嶋くんも文芸部なら、そろそろ一冊くらい借りていけば?」
困った笑みで、これはからかわれている。
多少は親しみを持ってくれているのか? そう思うと勝手に、両手が拳の形になる。
「今日は本の相談に来たんですよ。借りるのとは違いますけど」
「うーん?」
「文芸部用の本棚を作ったんですが、並べる本がなくて。図書室で要らない本とかあるなら、分けてもらえないかなと」
図書室の番人に、借りない本の相談。聞いて斜めに下がったポニーテールが「そういうことね」と跳ねる。
「廃棄予定のもあるし、標準外もあるよ」
「標準外?」
頷きながら、先輩は椅子を立った。しおりを挟んで本を閉じ、カウンター後ろの扉へ。
扉の上のプレートには、書庫とあった。意識したことがなかったけれど、倉庫みたいな図書室の奥に本物の倉庫があるようだ。
「文部省指定の標準図書っていうのがあってね、その中から必ずこれだけは置きなさいって冊数が決まってるの」
白い手に招かれ、オレもカウンター内へ踏み込んだ。書庫の扉を開けた先輩は、質問にも答えてくれる。
「寄付された本は、もちろんリストにないのも多くてね。どれを置くか司書次第なんだけど、うちの学校にはいないから、図書委員の趣味になってるみたい」
「へえ、そんなルールが」
その時に必要な言葉を、ぽそっと置くだけのイメージがあった。しかし本の話をするには、すらすらと言葉が流れていく。
感心したオレの声にも、満足そうに頷いた。
「で、しばらくその趣味にも引っかかってない本が奥にあるの。ダンボールに入ってるのが、廃棄予定」
扉で立ち止まる先輩の横をすり抜け、書庫へ入った。あわよくばどこか触れないかとか、そんなことは考えない。意図的には。
八畳くらいの奥。指さされたほうを見ると、言う通りに棚や箱へラベルが貼ってあった。
「ボロボロかもだけど、内容は面白いのもあるはずだよ。表の棚に収まりきらないっていうだけだから」
「分かりました、見せてもらいますね」
手近な一冊に手を伸ばしても、先輩は入り口から見守ってくれた。まさか盗まれないかの監視でないと信じたい。
ちょっと急かされる気分にもなり、すぐに本を戻した。
ジャンルはさまざまだ。時代小説や、サスペンスドラマの元ネタみたいなミステリー。SFもラノベもある。
タレント本に、海外小説も少し。画集や図鑑もだ。
誰でも知っているような名作を並べれば、カッコいいかな。でも読まない物をもらうのも悪い。
じゃあ自分の趣味でと思っても、オレはほとんど本を読まない。さてどうしよう、と手が止まった。
「いいのなさそう?」
背中の側から、しおれた声がする。ここにどんな本があっても、ポニー先輩のせいじゃないのに。
「いえそんなことは。でもオレそんなにたくさん読むほうじゃなくて、こんなにあると迷っちゃうんですよ」
意味もなく見栄を張ると、先輩は首を斜めに笑ってくれる。困った眉が、泣き出す寸前みたいに錯覚させる微笑みで。
「そっか。じゃあ私が見繕う?」
「お願いできますか」
「もちろん」
カウンターに誰か来ないか見ていて、と位置を入れ替わった。
先輩はざっと棚を眺め、さっさっと三、四冊を取っていく。
「好きな映画とかドラマってある?」
「えっ。まど――いや、映画ですか」
急に振り返り、聞かれた。咄嗟にアニメのタイトルを答えようとして留まる。
危なかった。だが映画は、テレビの映画番組くらいしか見る機会がない。それでも好みはあったはず、と必死にひねり出した。
「アメコミが好きなんだね」
「そういうわけでもないんですけど、言われてみればそうですね」
クモとかコウモリとか鉄とか。挙げた結果は先輩の総括で間違いない。アニメを避けても、あまり変わらなかった。
「アメコミはないけど、それならこういうのかなあ」
どう参考にしたのか、また何冊かを選び出した。都合、十冊を持った先輩は「よいしょ」と抱え直そうとしてよろける。
もちろんオレは、すぐに駆け寄った。
「重いですね、すみません」
「大丈夫だよ。でもありがと」
文芸部への貸し出しとして、図書担当の先生に言っておくね。先輩は自分の手首をさすって言い、カウンターの椅子に戻った。
「選んでもらってありがとうございます。ところで先輩、そこにあるのも図書室の機材ですか?」
「ん?」
当初の目的を果たした部外者のオレは、速やかにカウンターの外へ出なければ。
分かっているが、座ったポニー先輩の足元の黒い物体が気になる。どう見てもDVDのプレイヤーと小さなモニターだ。
「ああこれ? 参考映像を見るのに用意したらしいんだけど、ほとんど使わないから外しちゃったんだって」
以前はそこにあったらしい、とカウンターの隅を先輩は指さす。
「それも借りられたりしないですか?」
「え、文芸部に要るの?」
「たった今、教えてくれたじゃないですか。本と映画は関係が深いって」
目ぼしい品を目の前に、即興の言いわけとしてはできがいい。うちの顧問がどう言うか分からないが、居心地よくしろと言われている。
「どうかなあ。うーん、分からないけど聞いておくね」
「すみません、お願いします」
困り眉が、ぎゅっと幅を縮めた。図々しすぎたかと思ったけど「やっぱりやめます」なんて言うのも節操がない。
ポニー先輩にはなにかお礼を考えるとして、とりあえず撤収することにした。
カウンターを出て、先輩の前を通り過ぎる。図書室を出る前に、もう一度お礼を言おうと思っていた。
でもそれより先に呼び止められる。
「ねえ見嶋くん」
「えっ、あっ、はい」
名前を呼ばれると、なんだか知らないがわくわくしてくる。本の重いのも忘れ、さっと振り返った。
「ゴールデンウィークって、学校に来る?」
「あー。そうか、もうこの週末ですね。考えてませんでしたけど、今のところ来る予定はないです」
体育系の部活はもちろん、文化系の部活も練習を欠かさないところはある。
質問はそういう意味だろうけど、我が文芸部に練習の文字はない。
「そっか。うん、ごめん。連休になにするのかなって、聞いてみただけ」
なんでもない、と先輩は手を振った。
他人の休みの過ごし方を聞くのは分かる。自分には思いもつかないなにかがないか、そうそうあるはずのない返事を期待する気持ちだ。
「先輩は来るんですか?」
「ううん。図書室を開けなくていいし、私も予定はないの」
「そうですかあ。なにか楽しいことあればいいんですけどね」
そろそろ手が痛くなってきた。先輩がこくこく頷き「そうだねえ」なんて同意してくれて、オレは気分よく社会科資料室へ戻った。
戦利品の十冊を、自慢の本棚へ並べるために。
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