第22話:本懐を知る
割り切れるか、と問われたら無理だと答える。オレはなにも悪くないのに、クラスじゅうから蔑まれ、無視されるなんて。
でもダークボイスで言われた通り、説得も無理だ。最弱の位置に追い込まれたオレがどう言ったって、言いわけするなとしか返ってこない。
だから、切り替えた。
「ねえ、ばあちゃん。納屋にある板、もらってもいい?」
「いいよいいよ。なにか拵えるの?」
「オレ、文芸部に入ってさ。本棚が作れるかなって」
学校という空間から、あのソファーははみ出していた。校長室にある偉そうなのと違い、靴のまま寝転びたい感じがして。
あれが許されるなら、ほかにもあっていい。そう言うとパンツスーツの女の子も同意してくれた。
「へえ、文芸部。ご本を読むのね。それなら格好いい本棚にしなきゃねえ」
「だよね。顧問の先生も『肩ひじ張るような部屋でなにができる』って」
「いいこと仰るわ。あ、そうだ。おじいちゃんの使ってたペンキもあるわ。使えたらいいけど」
米作りをしていたじいちゃんは、簡単な木工なら自分でやっていた。納屋の本棚や道具棚。田んぼに機械を下ろす、スロープとか。
できあがった瞬間から、古い農家に馴染む柿渋色。じいちゃんの作った物は、オレも好きだ。
「ありがと、見てみる!」
当面の活動計画は、結局のところ作るのを諦めた。文芸部の活動以前に、部室を充実させる作業ばかりになりそうだったから。
まあ平日の放課後はすべてその時間に当てるので、予定が立ったと言えばそうなのかもしれない。
週末、まずは必要な長さに板を切り出した。じいちゃんの集めた材料は廃材ばかり。あちこち切り欠きや穴があるけど、気にせず押し進める。
電動のノコギリやドリルなんかが、これでもかと取り揃えてあって楽ちんだった。
途中、ばあちゃん言うところのペンキを見つけた。オレも好きな柿渋色は、一斗缶に防腐塗料と書いてあった。木材に塗っておけば、風雨に晒しても長持ちするみたいだ。
どうやってキャップを開けるのか、マイナスドライバーで四苦八苦したりして。
おにぎりとうどんを持ってきてくれたばあちゃんが、ドライバーの頭で殴ったらすぐに開いた。
途端、鼻の奥を突き刺す臭い。想像したシンナーくささと違い、酢みたいにツンと尖っていた。
浅いステンレスパンに防腐塗料を出し、木材に塗りたくる。大きなハケをなにも考えず左右にこすりつけていると、次第に毛が抜け落ちるようになった。
ハケが古かったのかなと、まだ袋に入った新品を使う。でもすぐに毛が抜け始め、塗った面に残る。
「ええ? なんでだ」
これも味と言い張ることはできたが、気になった。しかしいくら頭を悩ませても、ハケの使い方なんてさほど工夫のしようがない。
すると塗料との相性だろうか。別に専用の道具があるとか。
手を止め、しばらく考えた。すると縁側で正座のばあちゃんが「見当違いだったらごめんね」と遠慮がちに教えてくれた。
「大工仕事は分からないんだけど。筆のような物は、返し塗りをしちゃいけないのかもねえ」
「あっ、返し塗りか。聞いたことあるよ」
中学の技術工作で、そんなことも習ったなあ。色を塗るときは、一定の方向へ薄く。乾いたら方向を九十度変え、また薄く塗り重ねる。
その通りやってみると、ハケはほとんど抜けなくなった。
「ばあちゃん、ありがと。あとは乾かすだけになったよ」
塗り残しがないか注意深く確認し、オレも縁側に腰掛ける。のびかけた肉うどんの甘いしょう油の香りと、手についた酸っぱい臭いが絶妙な悪臭を合成した。濡れたまま放っておいた、ぞうきんみたいな。
だがなんとなく、これでいいやとうどんを食べきった。同じ手でおにぎりも。
「あら、組み立てないの?」
「学校に持っていってからやるよ」
学校だと電動工具がないけど、組み立てた本棚を運ぶのにまた苦労するよりはいい。七瀬ファンの先輩に取り囲まれるのは嬉しいけど、何度もは心苦しかった。
「そう。ユキちゃんが楽しいなら良かった」
「楽しい? うーん、まあそうかな。やることがはっきりしてるとさ」
答えて、ふと気づく。
ばあちゃんが縁側にいる。座って、自分のお茶を用意して、飲みながらオレの作業を見ていた。
いつもは台所と寝室とを往復するだけなのに。
「ばあちゃんこそ。オレがペンキ塗ってるの見て、楽しい?」
「楽しいわ。おじいちゃんがやってるみたいで」
じいちゃんが亡くなって、ばあちゃんは元気をなくした。田んぼの向こうに住む伯母さんが、オレをこの家に呼んだ理由だ。
そのじいちゃんのことを、ばあちゃんはいつになくはきはきと話した。
「ええ? オレそんなに器用じゃないよ」
「そうねえ。おじいちゃん、本職さんみたいだったから。でも、そうじゃないの。道具がね」
「道具?」
電動工具や延長コード、塗料の缶やハケ。溶剤にブルーシートなどなど、まだ使ったまま放り出している。
ばあちゃんはその一つずつ、時間をかけて見つめた。初めて見るその視線は、たぶん愛おしむと呼ばれるもの。
「何度も見てるはずなのに、こんな物があったのねって。私には使えないから、知らずに朽ちていくしかなかったのよ。値札付きのビニールがかかったまま、なんて寂しいでしょ?」
「ああ――でもオレも、ちゃんとした使い方じゃないし。壊したらどうしよ」
ばあちゃんの気持ちがよく分かった。実際に篭められた重さの、何十分の一かだろうけど。
代わりに使う、のはいい。思い出の品を台無しにしたらどうしよう。なんの気なくやったここまでが、ひどく罰当たりな気がした。
「いいのよ、道具は使ってこそだから。私も三途の川に持っていかないしね、重いもの」
「ばあちゃん……」
眉間にシワを寄せた、困り顔。笑顔とはたしかこうだ、と自信なく上げた口角。
それは変わらないのに、たしかに聞こえた。「うふふっ」と、ほんの一瞬の笑い声が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます