第20話:自分にできること
ソファーを持ってきたのは、本格的に入り浸るってことか? 放課後、社会科資料室へ向かいながら考えた。
人気者がいつもあの部屋に居る。となったら二年生や三年生が、ちょくちょくやって来るのでは。
運び上げる時は煩悩を抑えたけれど、間近にいい匂いを振り撒いていた先輩たちが。鼻の下の伸びる自覚はあった。
だが今は、誰もいない北校舎の三階へ向かう道中。自粛する理由は思い当たらない。
「見嶋くん?」
三階も目前の踊り場で、名を呼ばれた。
歩くことに四割、妄想に六割くらいの意識を向けていた。オレはいったい、どんな顔でどんな歩き方をしていただろう。
うろたえたのは、呼んだ声がポニー先輩だったからだ。
「なんだか楽しそう」
ちょうど膝丈のスカートを揺らし、先輩が下りてくる。顔を取り繕うオレの真横まで。
「え、そうですか?」
「うん。なにかいいことあったって書いてある」
すみません。すみません。二年生でも三年生でも、誰でもいいとか考えて。可愛いと思ってるのはポニー先輩だけです。
どうしよう、やましい気持ちを察せられたら。あせる気持ちが、頬を熱くさせる。
「ん?」
困り眉とセットの微笑が、首をひねると別の表情に変わった。それこそ書いてあると言うなら、顔を赤くしてどうかしたの? と不思議そうに。
「い、いえ。なんでも」
「そう?」
「そうです。あ、でもそうだ。七瀬先生がソファーを持ってきてくれたんですよ。革張りの、立派なやつ」
たぶんオレは真っ赤だ。なのに先輩は深く追求しない。それをいいことに、思いついたでっちあげで話を逸らした。
「ソファー? ええと、社会科資料室ね」
「そうですそうです。座り心地いいんで、良かったら試しに来てください」
ただの言いわけ、思いつきだったが、いつの間にか先輩を誘う口実になっていた。グッジョブと自分を褒めたい。
「あー、そっか。うん、いいね。また今度、行けたら試させてもらうね」
あれ。
西日を斜めに背負うポニー先輩は逆光の中でなお、表情を翳らせた。これは果たされないパターンの、行けたら行くだ。
「ええ、良ければ……」
いつも憂いを湛える先輩に、無理強いはしたくない。理由だって聞かなくとも、図書室登校に関係したこと。
オレの声が一つ音調を落とし、なにか察したと先輩も察したはず。次の言葉の前に目を逸らしたのが、証拠と考えていいと思う。
「うん。またね」
カバンの取っ手に腕を通し、ポニーテールはゆっくりと階段を下りていった。
どうにかしてあげたいと願いながら、背中を見送るしかオレにはできない。
「ふう」
なんだっけ。ついさっきまで、楽しいことを考えていたはず。
しかし一転、オレの足は動きを鈍くした。残り二十数歩を、たっぷりのろのろと歩いた。
借りてきた鍵を使い、扉を開ける。正面のど真ん中に置かれたテーブルの手前に、今日運んだばかりのソファーが背を見せた。
提供者を見倣い、倒れ込もうと思った。けど、できなかった。
「七瀬先生?」
「んー」
閉じたまぶたに自分の腕で蓋をし、横たわる。その格好は昼休憩から変わっていない。
あのまま眠っていたのかと思ったが、返事がすぐにある。
「授業、あったんじゃないんですか。先生がサボるのはまずいんじゃ?」
「アホか。きっちりこなしたに決まっている」
声は疲れているだけで、寝ぼけた感じはなかった。なにより、よだれを垂らしていない。三人でも座れる座面を、わずかも明け渡す気はなさそうだけど。
仕方なくテーブルの反対、おなじみの学校椅子に座る。
それにしても、上着くらい脱げばいいのに。いつもピシッとしているパンツスーツが、しわくちゃだ。今さら手遅れだけど。
マラソンでもしたように疲れていたから、構う気力がなかったんだろう。
「そのソファー、寝心地良さそうですね。どうしたんですか?」
「物置きで埃をかぶっていた。なにかに使うかもとそのまま、よくあるアレだ」
とりあえずやることもなく、殺風景な部屋に一つだけ豪華なソファーを観察する。
オレのイメージする学校の部室に、こういう物は存在しなかった。しかし実質は誰かさんのベッドになるとしても、そこにあるだけでなにやらいい感じだ。
「そうなんですね。けっこう重かったし、高そうです」
骨董の知識なんかないけど、少なくとも新品には見えなかった。それにビニールでなく、本物の革っぽい。
ディスカウントの店で数千円、とかではないと思う。
「ああ、重かった。家の者が運ぶのは、そうでもなさそうだったんだが。金額は大したことないし、使わなければ捨てられる運命だ」
家の者って。ああ両親とか、きょうだいとかか。こんな物の入る物置きがあって、車へ積むのに家族が手伝ってくれて。
勝手にひとり暮らしを想像していたけど、違うらしい。
「そんなヘトヘトになるまでやらなくても、重いのはすぐ分かったでしょ」
「そりゃあ分かる。しかし落ち着かない、自分がどれだけできるか知らずにいるとな」
聞いて咄嗟に「へえ」と。ほとんど無意識の返答だった。でもすぐにあると思った次の声が、なかなか聞こえてこない。
なにかまずかったか?
考えていると、小柄な身体がのそのそ動く。猫みたいに伸びをしながら、ソファーにゆったりと座り直した。
「意外と言いたげだな。お前にはだらしない格好を見られている、当然だが」
「いえそんな」
ちょっと機嫌の悪そうに見えるのが、この人の普通だ。そう思うとあくび混じりに緩んだ表情は、機嫌のいいほうかもしれない。
変な汗をかきつつ、弁解を組み立てる。
「いつも先生は、聞かれたことにすぐ答えてるじゃないですか。いつもたくさんのことを想定して準備しないと、そうはいかないと思います。ときどきだらけたくなるくらい、誰でもですよ」
なんて口に出してから、たしかにと再確認するオレ。いいかげんなもんだ。
だから「フフッ」と笑われたのにドキッとした。たぶん失笑だったのだけど、見透かされたようで。
「持ち上げるな。私はお前の見たまま、欲深くて自堕落な人間だ」
「そんなこと見てませんし、思ってませんよ。先生は凄いと思います」
極端な言葉や行動は、完璧主義なのかもしれない。百パーセントの達成以外は、すべて失敗っていう。そんな目標、オレは掲げるのも嫌だ。
そんな風に見えるストイックさを、これは素直に称えた。
「そうか。一応はありがとう、と言っておこう」
言葉だけでなく、先生はダンボール箱ベッドのひと箱からスナック菓子を取り出した。
自分の手に一つ。オレにもう一つを投げて寄越す。
「ど、どうも」
「ところで恵美須むつみの件。概ねのことは分かったが、聞くか?」
鷲づかみを口へ押し込むように、豪快な食べっぷりで、突然に話題が変わる。
袋を開けあぐねていたオレは理解が追いつかず、バカみたいに「え?」と口を開けた。
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