第18話:勝手な期待
「おいこら」
まつたけ風味の炊き込みご飯を食べようとした。と突然、ブレーキの壊れた引き戸が引き裂くような悲鳴を上げた。
撥ね返る戸を押さえ、反対の手を腰に。
「あれ、七瀬先生。どうしたんですか」
「どうもこうも、お前な」
この一週間、見ることのなかったパンツスーツ姿。来てくれればと願った次の日、さっそく来てくれた。
驚くより、嬉しかった。のは間違いないけど、なぜか機嫌が悪いらしい。それもオレが原因の口ぶりで。
どうすれば。
とりあえず箸に残った、エリンギの短冊を食う。そんな座ったままのオレに、また腹を立てさせたかも。
つかつかと、低いヒールが硬く鳴る。テーブルの向かい。女の子の腰から下が、天板に隠れた。
「昨日、なぜ来なかった」
「昨日って放課後ですか?」
「当たり前だ。クラブ活動の時間は、六限のあとと決まってる」
どうやらたまたま様子を見に来て、たまたまオレがいなかったのを責めているようだ。
毎日欠かさず活動しろと指示されてもないのに、それは理不尽と言わないか?
「――あ、ええと。とりあえず掃除は終わったんで」
教師に真っ向から反論する度胸はない。というか、そこまでムカッともしていない。せいぜい頬を膨らますくらいの気持ち。
それも野郎がしたって気持ち悪いだけで、ちょっと声を低くするのが精一杯。
「知っている。だから私も来た」
「えっ、知ってたんですか」
一瞬の間があって、力ない鼻息が吐き出される。気勢の弱まった声の意味するところに驚いた。
信じるなら、掃除の終わったのを見計らったことになる。
「毎日の昼寝は伊達じゃない」
ちらと振り返り、戻ってきた顔は笑っていた。この人独特の男前に。
「威張られても。途中で一度くらい顔を見せるとか、来る前に連絡するとか」
「はあ? お前もアレか。突然の電話ですみませんとか、わけの分からんことを言うクチか。突然でない電話などない」
わけが分からないのは、たった今その言葉だ。さらに堂々と胸を張る女の子は、仰向けに手を差し出した。
なんだろう。握手には角度が違うし、なにか寄越せと?
渡せる物というと、ちくわきゅうりくらい。しかし実行すれば、小さな手がマヨネーズまみれだ。
しかたなく、右手を乗せてみる。どうしてこのタイミングで、
「……なるほど」
十秒ほど、重ねた手がじっと見つめられた。おもむろに低空を飛ぶダークボイス。さらに翼でもあるまいに、反対の左手が掲げられる。
「
いい音がした。振り下ろされた手の平が、オレの手を打つ。小さいだけに衝撃が集中し、痛みを増すとかあるんだろうか。
「アホか。人に計画性を要求するなら、先にお前だ」
「え、ええ?」
「活動計画」
手をさすったのは大げさでなかった。でも言われて、すっかり忘れた。小さな手がもう一度、貢ぎ物を要求する。
「あ」
「あ、じゃない。お前の様子を見て、毎日活動するんだなと勝手に期待したのは私だ。勝手に落胆したのもな。だが人間とはそういうものだ」
活動計画を立てろと、たしかに言われた。そんなものまったく白紙だし、立てたとしても書いて見せなければ意味がない。
それを七瀬先生は黙って待ってくれて、きちんと区切りを見定めて来てくれた。
「忘れるな。誰かに言われて動くのは、どこまでも当たり前だ。勝手にかけられた期待にどれだけ答えられるかで、お前の世界を閉ざす門は開く」
それもまた横暴と言わないのか。正直、そう感じる。
しかし出された手が引っ込められて、追いかけてどうにかしたかった。でも、どうもならない。
「どうでも良ければ期待しないし、落胆もしない。できればこれ以上、失望させないでくれ」
両手を腰に、ゆっくり丁寧に。先生はこんこんと言葉を続けた。オレが目を伏せたせいか、いつもよりちょっと高い声で子どもっぽくもある。
「分かりました、すみません」
「そう落ち込むな、実はまったく怒っていない。最初に厳しく言っておけば、忘れにくいと思っただけだ」
いつもの声。ドスが効いて、本当の感情は分からない。
珍しく言いわけめいて、少し早口な気がした。だから言葉のまま信じることにして、落ち込んでいないと見せたくなった。
「大丈夫です。でもそれなら、先生はどうなんです?」
「なにがだ」
「片付けの途中、来てくれないかって期待してました。実際、一人だと動かしにくい物もありましたし」
上目遣いで、申しわけなさそうに。あくまでお伺いとして問う。
ニヤリ笑う女の子は、どう受け取ったか。答える前に椅子を引き寄せ、真正面に座った。
「私はいいんだ、大人だからな」
「ええ? それはズルくないですか」
厳しい目は、もうオレを見ていない。ばあちゃんの弁当を物色し、どれを摘むか手が泳ぐ。
良かった。笑ってしまった。大人の職権濫用を、責めなければいけなかったのに。
「大人とはズルいものだ。それに世の中、期待と称してタダ働きさせようとする輩も多い。気をつけろ」
小さな右手に備わった隼の嘴が、肉巻きポテトを攫う。
でも構わない。ばあちゃんの味付けが気に入ったのか、これまで一番の柔らかな笑顔が見られたから。
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