第17話:気の持ちよう

 キツネ女子のを見たからと、なんの感想もない。つまり当人への視線も変わりようがない。

 と思っていたけど、次の日の見る目は少し変わった。


 朝、予鈴の鳴るぎりぎりに教室へ入る。前後にある出入り口の、後ろから。

 壁にもたれて雑談する数人をノールックで華麗に避け、かといって中央付近で楽しそうに話す茶髪女子や田村を視界に入れることもない。

 強まった胸の鼓動なんか、気づかずにいればいつか治まる。


 しかしオレの席だけを見据えても、手前に姿勢良く座る明椿倫子は目に映った。

 机の上におおむね直立させた本を、伸ばした腕で支える。昨日の印象もあって、武士か? とか考えた。


 長い黒髪は、黒いゴムで二つに分けられている。たしか昨日は一つにまとめ、白いシュシュだった。

 銀縁メガネは同じ。白いワンピースが、ゆっくりの自転車にもなびいていた。


 席に着き、寝たふりをしつつ盗み見る。定規で描いたようなアイロンしたての制服より、ふわっと膨らむ昨日のほうが歳相応に思えた。

 まあ眼光の鋭さに、睨まれた気がして顔を背けたけれども。


 窓の外は、はっきりした雲がひとつふたつ。ある意味で百点の青空だけど、薄く黄色のフィルターがかかっていて九十点ってところか。


 ……いや。予鈴が鳴り、学校じゅうが静まっていくと、聞こえ始める音がある。

 そよぐ小枝。さえずる小鳥。

 なんだか懐かしい。減点にしたモヤも、セピア色と思えばいい感じだ。百十点。


 そうか、アレだ。

 小学校から帰り、普段は行かない公園でクラスメイトの女の子を見かける。もちろん私服で、それだけで女の子の秘密を知ったような気分になる。

 キツネ女子に感じているのは、きっとそれだ。


 ただ秘密と言っても、当人はいつもの服を着ているに過ぎない。隠しごとを暴いたみたいな、いかがわしい高揚を覚えるのは、もしかしてオレだけか?


   ***


 初めて、昼食を社会科資料室でとる試みに出た。昨日はずっと窓を開け放していたから、埃もずいぶんマシなはず。

 すっかり乾いたテーブルに、風呂敷包みを置く。うん、歩いたくらいでは粉雪が舞ったりしないし、カビくさいのも薄らいだ。


 ばあちゃんの鮭弁当が、一段とうまい。これでポニー先輩も一緒に食べてくれたりすれば、最高なんだが。


 ねえねえ。これから私も、ここで食べていい? そうだ、文芸部に入ればいいんだね。そうしたらずっと一緒だね!

 ――なんてことに、ならないかなあ。昼の図書室の番人を、すっぽかすわけにはいかないんだろうな。


 そういえば、顧問の女の子は来ないのか。一度は食堂で捕獲したけど、毎日利用しているでもないらしい。

 部室作りを任せられたものの、たまには相談に乗ってくれてもいいと思うんだが。

 文芸部に必要な物が、まだ思いつかない。


 当面の何日か。一週間くらいは片付けに集中するしかないし、終わってから考えればいいか。とそれから、昼休憩も放課後も掃除に精を出した。

 具体的には、棚に詰められた荷物を残らず降ろして埃を落とす。

 テーブルと同じく長年の汚れが染み付いた棚を、一つずつ拭き上げる。


 隅から隅まで埃を排除した床に、ぞうきんで磨きを。でも気に入らず、汚れの一つずつを消しゴムでゴシゴシ。

 ここまでやれば、もうついでだ。壁にもぞうきんがけをして、荷物のこすれた黒ずみを紙やすりで削り落とす。


「ふうっ。どうだ参ったか、この野郎」


 終わった。と我ながら思えたのは翌週の水曜日、昼休憩。

 猛々しい字面とはうらはら、すっきりとした声が勝手に出た。魔王とは言わずとも、長年敵わなかった乱暴者を倒した気分だ。


 廊下側の隅に移設した、ダンボール箱ベッドに横たわった。百円のだけど水平器できっちり平行を出してある。

 意味があったのか分からないけど、寝心地のいい気はした。


 七瀬先生、来ないかな。

 オレも土日は来なかったので、入部届けを出して六日目。その間、パンツスーツ姿を目にしていない。

 ぞうきんのひと拭き、箱一つを運ぶだけでも一緒にできれば楽しかっただろう。

 いや手伝わなくても、ご苦労なんて言ってくれるだけでもいい。


 楽しそうと思ったのに。

 部屋の中も、開け放した扉の向こうも、オレ以外の誰もいない。


「そうだ、弥富先輩」


 優しいポニー先輩を呼んだらどうだろう。すぐ隣の部屋だ、図書室へ誰か来たってすぐに戻れる。

 上体を起こしてみたが、そのままうなだれた。来てもらって、どうするつもりだ。


 先輩がこの部屋を使うわけじゃない。オレが使う部屋をオレが掃除しただけ。

 それを褒めてもらうつもりだったのか? 子どもじゃあるまいし。


「疲れたな……」


 入部から六日目。オレは初めて、放課後の部活動を行わなかった。

 だがこのまま放任されたとして、弁当を食べる場所が確保できたのは大きい。

 顧問の女の子は、そもそも気まぐれっぽい雰囲気を醸し出してた。なら、気まぐれに来ることがあるかも。


 そう思えたのは夜、布団に入ってから。どうにも虚しい気持ちになったのは、きっと疲れていたせいだ。

 もし明日も来ないなら、校内放送でもかけてやるか。

 強気に思うと、とてつもない名案な気がしてくる。おかげで、いつもよりぐっすりと眠れた。

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