第15話:同じひとり

 閉じた図書室の扉を、少し眺めた。

 待とう、と明確に考えたわけでない。とは言え立ち止まる理由を問われれば、ほかの返答もなかった。


 キツネ女子は自分の席で、いつも本を読んで過ごす。先生の来る直前にはきちんと収めるし、誰かに呼ばれればすぐに気づいて答える。

 しかしひとりの時間ができると、必ず本を取り出すように思う。


 だから図書室に来るのも似合いで、待ち構えるオレはどうしたいのか、オレ自身分からない。

 たとえばたった今出てきたら、なんと声をかけるのか。


 やあ奇遇だね、なんの本を借りたんだい? みたいなのが当たり障りないだろうけど、オレが言っていいものか。

 単なるクラスメイトでなく、絶賛無視られ中のオレが。


 というか最初も最初、会話未満のところで失敗した相手だ。都合よく忘れかけたのに、おかげでありありと思い出した。

 扉の向こうの、声をかけようもない相手を勝手に待つ。

 このオレをまたクラスの誰かに目撃されたら――小さく身震いがして、図書室に背を向けた。


「さてと」


 なんて掛け声を、きっと初めて口にした。まだしも、よっこらしょのほうが言ったことのある気がする。

 それでやることといえば、たかだか社会科資料室の鍵を開けるだけ。扉もスムーズに開くし、踏み入るのになんの障害もない。


 そのはずだけど、またオレは足を止めた。資料室の前、廊下の手すりの向こうへ、南校舎が見える。

 正面は二年生の教室。居並んだ窓の向こうで、顔も名前も知らない先輩たちが思い思いの時間を過ごす。


 逆光になるので、よほど窓に近い人以外はシルエットだ。多くは机を挟んで、窓の柵に寄りかかって、友だちと話す。

 だがひとりで居る姿もたくさんあった。まだ弁当を食べている人。勉強か落書きか、なにやら書いている人。

 オレもあの人たちも、同じひとり。


 一つ下の階へ視線を下ろし、次に左へ動かす。すうっ、と端から二つ手前の教室まで。北校舎西端の社会科資料室前から、南校舎東端に近い一年A組の中は窺えない。

 でもまあ他の教室と大差ないはずだ。そんなことを七瀬先生も言っていた。


 だから、見えなくて良かったのだと思う。あの教室とオレとには、隔てる溝ができてしまった。

 南北の校舎に挟まれた中庭より、それはおそらく深くて遠い。


「見嶋くん?」


 どれくらいか、しばらくぼうっとした。誰かの発した自分の名前に、びくっと背が縮こまる。

 ただし振り返る前に、何者かは分かった。土原学園で、声質と顔の一致する相手は数えるほどだ。


「お、ええっと、その。なに?」


 平静に振り返り、冷静に答えたかった。けど現実はよろめいたし、口ごもった。


「ええと……」


 痩せた頬に銀縁メガネ。鋭い眼が、かなり歳を増して感じさせた。悪口を言いたいわけでないけれど、正直に言えば老けて見える。

 ただ声だけは、間違いなく校内一の可愛さだ。アニメの配役で言えば、けなげに主人公を支えるお姫さまやお嬢さま。


「なにもないんだけど。なにしてるのかと思って」

「ん、ああ。部室の掃除」


 どの距離感で接していいやら、咄嗟に判断がつかなかった。おかげで単語だけのカタコトみたいな口調になる。

 資料室を指さしもしたから、伝わりはするだろうけど。


「そ、そうなんだ。忙しいのに話しかけてごめんなさい」


 借りてきたらしい本を抱え、キツネ女子は頭を下げた。深く、最敬礼と言っていい角度まで。

 再び頭を上げるのと、階段へ方向を変えるのとが同時に行われる。


「いや別に」


 のあと。忙しくなんかないよ、大丈夫だよ、まで続ける暇がなかった。キツネ女子は駆け足で階段を下りていった。


「逃げなくても……」


 なんだか胸にモヤモヤとガスの溜まった気がして、大きく大きく息を吐く。

 どうしたら良かったんだよ。と思うが、掘り下げるのはやめた。叶う見込みのないことで、虚しさを募らせるのは不毛だ。


 よし掃除だ。

 よし、ってなにがかはさておき。ようやく資料室へ。どうにも道草を食ったもんだ。

 相変わらずカビと埃のにおいが強い。ダンボール箱とテーブルとを早足ですり抜け、奥の窓を開け放った。


 白く舞う埃が、こごった空気を連れて宙へ飛び出す。カーテンも開けたので、外光が床やテーブルを照らした。照明を点けなくても、箱に詰め込まれた資料の分別ができるくらいは。


 掃除道具用のロッカーには、自在ほうきが一本あるだけだった。

 まずはぞうきんとバケツを用意する。それが文芸部員として、オレの活動の第一歩だ。

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