第7話:針のむしろ

 とてつもなく視線が重い。

 無数の針を突きつけられたような。いや針でなく、手かも。首が締め付けられ、胸や腹を押さえられ、既に苦しい。


 どの視線を見返すこともできず、顔を向けられるのは、床にだけ。フロアタイルの目をアミダクジみたいに追いながら、頭の中身を搾り出す。

 なにをした?

 なにがあった?

 今日。昨日。おととい。順に辿るけれど、なにも引っかからない。


 じゃあ、どうしたんだって聞けばいい。二言三言で伝わるみたいだから、簡単なことだ。

 でも怖い。オレがとんでもないことをしでかしたなら、自覚のないのを責められそうで。


 いやそれでも聞かないと。声を出そうとして、喉が引っかかった。咳払いをすると、乾いた目が痛くて押さえた。

 すると今度は、片手に持ったカバンが重い。よし、机まで行こう。カバンを置いて、それから聞こう。


 半歩ずつ、音を立てないように。オレが進めば、視線も追いかけてくる。しかしどうやら到着し、手から重荷が解放された。

 と、足音が。

 机の天板だけが占める、オレの視界。その外から、タイルを踏む音が迫る。


「なに座ろうとしてんの」


 茶髪女子の声。机のすぐ向こうに、恵美須むつみが立った。顔を上げなくても、きっと睨んでると分かる。


「いや、あの――」


 上目遣いでは、首までしか見えなかった。下向きに溶接された頭を、上げなければいけない。

 覚悟を決め、ひそかに深呼吸をする。と同時に、机に本を倒す乾いた音がした。


 見るとそこには当然と言うか、閉じた文庫本を置いたキツネ女子が居る。不思議そうに辺りを見回し、最後にオレのほうを向いた。

 クラス委員の子がそうだったように、彼女もなにも知らないらしい。


 だがすぐ、その目が見開かれた。二言三言どころか、見ただけで知れるなにかがあるのか。

 オレ自身に心当たりはない。それならと、一気に顔を上げてみた。


「あっ」


 どこが、なにが、と捜す必要はなかった。目の前に答えはあった。

 茶髪女子を知っている人なら一目瞭然。オレの前に、茶髪女子は居なかった。恵美須の髪は、真っ黒に変貌していた。


「ええと……」


 髪染めを具体的にどうやるのか知らない。でも茶色を落としたって、黒に戻りはしないはず。

 するとこれは染めたんだろう。キツネ女子の髪とは違う、スプレーで噴き付けたようなツヤのない黒。


「その態度。やっぱりあんたなのね」

「え、ええ?」

「とぼけるつもり?」


 とぼけるもなにも、責められてるってことしかオレには分からない。髪色が違っていることさえ、この詰問と関係ないのかもだ。


「そんなことないけど」

「じゃあ認めるんだ?」

「いや、じゃなくて」


 茶髪女子は、笑っていた。口角を上げ、ひと言を発するたびにこみ上げる笑声をこらえていた。

 ただ見開かれた眼と歯ぎしりしながら喋るのが、楽しさとは違う感情をオレに伝える。


「なに? 知ってるか知らないか、はっきりしなさいよ」

「その、オレは」

「おれは?」

「ええと。その髪のことか?」


 聞いた途端、茶髪女子の目が吊り上がる。持ち上がった腕が、オレの胸を押した。

 それほどの力じゃない。しかしこの雰囲気に、文字通り地に足ついていなかったオレはよろけた。

 何歩か後退って、バランスを戻せずに尻もちをつく。


「髪のことか? とぼけないでよ、それ以外なにがあるって言うの!」


 茶髪女子は机を押し退け、転んだオレの足先に立つ。腕を組み、抑えきれない怒りが漏れ出るみたいに鼻息を荒くして。


「あの、ごめん」

「ごめんで済むと思ってんの!」


 とぼけるなと言われたから、そんなつもりはないと謝った。なのに茶髪女子はますます声を大きくし、怒りが最高潮に達する。


「あっ、いや違う。じゃなくて」

「ごまかすなって言ってるでしょ」


 頬をひくつかせ、蔑む視線が降ってくる。なにを言っても、オレのせいなのは確定のようだ。

 周囲の女子たちも「クラスの仲間なのに」「サイテー」などと、オレの罪を挙げ連ねる。


「ちょっとからかったからって、こんな仕返しするわけ?」

「からかっ……ああ」


 金曜日、からかわれたのを根に持っての犯行。

 オレと同じく茶髪女子にも、身に覚えのない仕打ち。そうと分かっても、やはり恵美須になにがあって髪色が変わったかさえ知らない。


「なんであたしが、ここまでされなくちゃいけないの」


 イライラと舌打ちしつつも、問いは続く。なんのことかさっぱりとオレが言わなきゃ、終わるはずもなかった。

 だけど登校三日目で、昨日までは普通に接していたクラスメイトが全員、豹変するとは。

 こんな予想外の中、すぐさま弁解できる奴なんているのか?


「まあ立てよ」


 驚くばかりで、うまく言葉が出てこない。立つことさえ忘れたオレの腕を、誰かが抱えた。

 田村だ。同じ中学から同じ志を持って進学してきた男が、オレを立ち上がらせてくれる。


「わ、悪い田村」

「いいって」


 こいつなら、オレの無実に口添えしてくれるかも。根拠のない期待が胸に膨らむ。

 だが見事に、それは打ち砕かれた。


「なあ見嶋。言いわけとか考える前に、とりあえず認めろよ。話はそれからだろ」

「いや。オレはそんなの知らないって」


 やれやれ。と書いてある顔で、田村は諭す風にオレの背を叩く。なんでもない時なら、どうしてそんな勝ち誇ってるんだと言い返した。


 でもオレ自身、そんな強い気持ちを失っていた。そのうえ周りの女子たちが、段々と包囲の輪を縮め始める。


「知らないって、じゃあ誰のせいって言うの」

「こそこそやっといて、自分がしたことも正直に言えないとか信じらんない」


 誰かがオレの肩を押す。大した力でないけれど、痛かった。胸の奥が。


「ねえ、なんとか言いなさいよ」


 何度も繰り返し、何人もに代わる代わる、肩が押される。取り囲まれて、もう教室のどちらを向いているのか分からなくなった。

 一つ衝撃があるたび、お前が悪いと烙印を押されたようで、味方のいない現実が釘として刺さる。


 不意に、チャイムが鳴った。予鈴なのは分かっているが、みんな習性として時計を確認する。

 オレはその隙を縫い、教室の外へ逃げ出した。

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