第3話:記念すべき入学式

 四月八日。

 それが初登校の日。同時にオレの、彼女の居ない人生が終わる日でもある。

 クラス分けを確認すると、一年A組となっていた。なんだか縁起のいい気がして、気分良く教室へ入ってみると一番乗りだった。午前七時五十分は、早すぎたようだ。


 校舎に入った時もだが、教室はいい匂いがした。化粧品めいた柑橘と花の香りが、そこはかとなくうっすら。中学校の教室は、きちんと洗わない雑巾の臭いだった。


 黒板に白い文字で、入学おめでとうと大きく書いてあった。その下に小さく、机に名前が貼り付けてあるとも。

 チョークを寝かせて使うでなく、イラストがあるでもない。飾り気のない祝福の言葉は、男の書いたものと感じた。

 担任は男か。

 重い息を鼻から噴き出し、黒板から目を離す。


 オレの席は窓ぎわのいちばん後ろ。カバンを引っ掛け、まずは座る。教室のあちこちを見てみたかったけど、その姿はたぶん怪しい。

 なんて考えるうち、二人目がやってきた。もちろん女子だ。


 腋くらいまでの黒髪を後ろで二つに縛った、センター分け。銀縁のメガネが、悪い意味で十歳くらい歳上に思わせる。

 オレと同じくらいも背があって、キツネ顔というのか、顔つきがキツい。


 開いていた引き扉を、きっちり閉める。わざわざ扉と向き合い、そっと丁寧に。

 オレが来た時、扉は開いていた。登校初日だ、開放感をってことだと思う。

 きっちりした性格は素晴らしいが、堅苦しいのはダメだ。雰囲気と相まって、キツネ女子に意地悪な印象を受けた。


 まあ最初の一人はこんなもんだろう。

 一旦はそう考え、我ながら偉そうが過ぎると思い直す。彼女を作るのだって、クラスメイトと仲良くしなければ難しい。

 いちいち見た目で判断するな。自分に言い聞かせ、両手は膝に。渾身の笑顔も浮かべた、はずだ。


 キツネ女子も黒板を眺めた後、机に貼られた名前を確認した。いくつか見れば、五十音順なのが理解できると思う。

 オレの隣の席が、出席番号一番。その向こうに男子の名前があって、また隣が出席番号二番。最も廊下側が田村。


 その前が出席番号三番で、以降はつづら折りに四番、五番。最前列まで女子ばかりだった。

 大事なことだ。三十人のクラス中、男子は三人。残りの二十七人は女子だった。


 案の定、四つ目の机まで見たところで、キツネ女子はスッスッと歩き始める。

 ん、まさか。

 上げた顔がオレの方を向く。正確には前か隣の席を見ているんだろう。不躾に見つめるオレの視線と、キツネ女子の視線がぶつかった。


「あ……」


 ひと言にも足らない、短い声が漏れる。

 なんだ、可愛いぞ。アニメのヒロイン声だ。ガラガラ声を想定してたのが申しわけなく、なにか言うべきと焦った。

 けれどもキツネ女子のほうが、立ち直りが早い。止めた足をまた動かし、目の前までやってくる。


「よ、よろしくね」


 ヤバい、可愛い。声だけは。

 挨拶されるのは予想できたのに、返事が出てこない。

 さすがオレ。中学生の時はクラスの半分が女子だったというだけで、まともな会話のほとんどなかっただけはある。


 よりによってこのタイミングで、なぜそんなことを思い出す。

 よろしくと言ってくれたんだ、オウム返しでいい。もしくは自分の名前を言うのでもいい。

 候補の浮かんだはいいが、今度は選択に迷う。


「ええと、大丈夫?」


 探るような声。高い頭の位置から見下す、細い視線。咄嗟に目を逸らし、二階の窓へ覗く桜の枝を見ているふりをする。


「お、おう。よろしく」


 どうにか声を絞り出したが、完全に挙動不審だ。最後のほうは自分の耳にも聞こえづらい。

 せめて身ぶりだけでもと、軽く手を上げてみせる。しかし横目に盗み見たキツネ女子は、既に隣の席へ腰かけていた。


 ――やらかした。

 こっそり手を下ろし、あごを支える。オレの眼は変わらず桜の枝へ。

 あっ、まだ花が一つ残ってる。

 とかどうでもいい。まだ挽回はできるはずだ。なんて言えば?


 名前はなんだったか、机に貼ってあったのを思い出す。たしか、明椿あけつばき倫子のりこだ。

 よし、よく覚えてた。自分を褒めつつ、口にすべき言葉をひねり出す。

 ここは素直に「緊張してて、ごめんね」だ。威張る男なんか時代遅れも甚だしいし、オレのキャラじゃない。無理は良くない。


「あ、あのさ」


 さっそく振り返り、声をかけた。だがちょうど同じに、キツネ女子の閉めた引き扉が開く。勢い良く、けたたましい音を立てて。


「あっ、ノリ!」


 音を立てた犯人は親しげに誰かを呼び、グラデーションのかかった茶髪を揺らしながらやって来た。

 可愛い。四十八人でアイドルグループをやってそうだ。

 でもオレには見覚えがない。つまりキツネ女子の知り合いだ。ノリって言ってるんだから、当然だけど。


 ちらり見ると、キツネ女子も小さく手を振って答えていた。茶髪女子はオレなんて存在しないみたいに、こっちへ背を向けて机の上に座る。

 久しぶりとか言っているので、同じ中学出身のようだ。こうなると、割って入るわけにもいかない。


 挽回は先延ばしにして、この場は寝たふりでやり過ごそう。

 机の天板に腕を置き、顔を伏せる。ゆうべ緊張で寝付けなかったせいか、寝たふりが本当に眠くなった。


「これ誰?」

「名前、まだ聞いてない」

「最初から寝てるってヤバいね」

「体調悪そうだったよ」


 夢うつつに、そんな会話が聞こえた。

 なんだ、まだ変な奴認定はされていないらしい。それなら良かった。

 ほっと安心したオレは、眠気に身を任せた。


   ***


 目を覚ますと、辺りがザワザワしていた。席が全て埋まり、廊下をたくさんの生徒が歩いている。


「みんな廊下に出て」


 扉の位置から、黒い礼服のハゲ――おじさんが言った。先生に決まってるが、予想通りに五十歳くらいの男が担任とは。

 けれどもがっかりする必要はない。ざっと見回しても、可愛い女子がたくさん居る。別に芸能人と付き合おうってわけじゃない。クラスの誰が彼女でも、オレには文句なかった。


 そういえばと思い出し、廊下に出ると田村の姿を探した。すると七、八人前にいた。すぐ後ろに、もう一人の男子も。

 オレが寝ている間に、話を弾ませていたらしい。田村はなにやら楽しげに笑っていた。


 オレたちの中学からは、他に誰も来ていない。すると田村以外は全員がはじめましてだ。

 彼女を作るにはライバルだが、クラスにたった三人なら、もう一人とも仲良くしておかなければ。

 あとで田村に紹介してもらおう。


 体育館に入ると、保護者もかなりの人数がいた。オレの両親は来ていないが。

 上級生の陣取る間を抜け、前列の席へ順に座る。全校生徒はおよそ八百人だったか、ざわめきもやかましい。


 式は良くも悪くも普通だった。

 費やされる時間のほとんどが、校長や来賓の挨拶だ。それも判でおしたように、共学になったからには云々。

 聞くつもりはあったのに、結局まるで覚えていなかった。


「以上をもちまして、入学式を終了致します」


 司会役を務める女の先生は、アナウンサーばりの美声だった。風貌からして教頭とか学年主任っぽい。

 ともあれ今日の予定もほとんど終わりかと思ったのに、続く声が否定する。


「続きまして。十分の休憩時間を設けました後、各クラブ活動による勧誘演説となります。ご家族の皆さまはご退出いただいても結構ですが、時間の許す限りご観覧いただければ幸いです」


 入学式からすぐにクラブ勧誘とは面白い。高校はどこもそうなんだろうか。

 休憩時間に保護者席はほとんど空になったが、また元通りに埋まった。


 最初にステージへ上がったのは、合気道部。それから五十音順に、勧誘活動が行われる。

 文化系のクラブは、作成物をバックにした演説。体育系は、そのスポーツの特徴を活かした動き。


 どれも趣向を凝らし、五分の持ち時間を懸命に使いきった。オレ的にインパクトがあったのは、ハンドボール部による超近距離の高速パスだ。


「続きまして、文芸部です」


 だから、だろう。文芸部が姿を見せると、体育館じゅうがざわめいた。

 ハンドボール部は二十人くらいも居て、派手なユニフォームを着ていた。


 対して文芸部は、たった一人。しかもダークグレーのパンツスーツを着た、ショートカットの女の子。

 なにか手違いで、小学生か中学生が紛れ込んだかと思った。他の新入生や保護者も、きっと同じだ。


 でも誰も、その女の子をステージから下ろそうとしない。女の子も中央のマイクの高さを合わせたきり、なにも言おうとしない。

 やがて誰が窘めるでもなく、体育館は静まり返った。


「……文芸部。部員は居ない。つまり入部した者が部長だ。待っている」


 小さな身体からは予想しにくい低音。しかしはっきり、女の子は告げた。

 静まるまでの時間を除けば、ほんの十秒。それだけで女の子はステージを明け渡し、教員席へ戻っていった。

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