第二章 右腕のしこり -1-



 何も口にしていないのに、酔った大人の足取りでミーナは帰路に就く。ふらつくのは少しの疲れと膨大な眠気。陽はゆらり、焦らして朝を差し出す。

 まだ夜でいてくれたらいいのに。睡魔は朝と交換できない。


「――~っ」

 大あくびを噛み締め、ミーナは森を抜けた。

 家はここから歌を二つ歌える距離にある。眠気覚ましに、とミーナは歌を口ずさんで歩いた。吟遊詩人のミディルがよく歌っていた、マイボニーという曲だ。

 夜のうちに棲み付いた埃の闇は陽に照らされて白く浄化され、キラキラと身をくねらせて宙を舞う。


 早起きをしなくてもいい動物に限って、早く目が覚めるのは、きっと神様の悪戯。

 人間はまだ起きてこない。閉められたカーテンが頑なに太陽を拒んでいた。

 ミーナは歌を一つ歌い終わり、二つ目の半分に差し掛かる。ここから道は大きく左へカーブする。


 アーチ状に道の両側の木が倒れ込み、涼しい木陰のトンネルを作る、一本道の終わり地点。曲がったら直線上に、ミーナの家が見えてくる。

 小さな可愛い家はドールハウスのようでミーナのお気に入りだ。

 たまに、内緒で出入りしている妖精がいるのも知っている。もちろん本人は気付かれてないと思ってるみたいだけど。

 でも今日は、少し違った。


 ――珍しい。


 ミーナは自然と足を止める。

 家の前で佇んでいるのは、妖精ではなく人間。

 クルトという、一番仲良しで三歳年下の男の子。まだ少しあどけなさの残る顔が、冷静さと相まって可愛い。彼はミーナに気付き駆けてきた。

「ミーナ! っどこに行ってたんだ」


「どこって……少し、散歩に」

 妖精と人間は仲が悪い。

 クルトは妖精が嫌いだ。

 ミーナは、クルトに自分が半分妖精であることも隠していたし、妖精と仲がいいのもあまり言わないようにしていた。


 エルフに限らず妖精たちにとって、ミディル王の駆け落ちは誰でも知っている大変なニュースだ。子としてミーナを授かったのも、誰でも知っている。

 知っていて、受け入れてくれた。


 妖精にとっての王は、人間の王よりも絶対的な力を持っていて、下剋上などあり得ない。妖精王はたくさんいて、中には、元々は神様だった妖精王もいるのだ。

 人間の血が混じっているからとて、妖精王の子を無下にはできない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る