第1話 ヤズルマへ

「あんた、例の地下迷宮に行きなさるのか」


 街道を進む駅馬車がヤズルマの町の城壁に差し掛かったところで、マルクの隣に座っていた老人が不意に尋ねた。


「いえ。ヤズルマには行きますが、別の仕事です」

「ならばよいのだが……あそこには近寄らん方がいい。何事も命あっての物種じゃよ」


 老人は警告ともとれる口振りで言うと、それきり黙ってしまった。


 駅馬車の長椅子に座る、真っ黒な髪をした、黒一色の簡素な詰襟を着た少年——マルク・ニブルノアがヤズルマの町にたどり着いたのは、その日の昼を回った頃だった。


 馬車から外を眺めれば、野山には春を待ち望んだ色とりどりの花々が咲き乱れている。凍えるような寒さはすっかり去って、上着がいらないほどの暖かな陽気だ。

 天気は雲一つない快晴で、新しい生活を始めるにはうってつけの日和だった。


 ほどなくして、灰色で背の高い石造りの門をくぐり抜けたところで馬車が止まる。

 マルクは馬車から降りると、ベルトに吊るしていた革袋から小銀貨を三枚ほど取り出して御者に手渡した。


「ありがとうございました」

「せいぜい頑張りな。魔物がすぐ下をうろつく町に住むなんて、俺はごめんだがね」


 鞭を打つ音が聞こえ、馬車は町の奥へと消えていく。次の町に行くために馬を交替させるのだろう。

 去っていく馬車を、マルクは名残惜しそうに見送った。


 数度深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。それから、長時間座りっぱなしだったせいですっかり固まった身体をほぐそうとして、軽く伸び。


「ふう……」


 一連の動作を終えると、マルクは懐から一通の手紙を取り出した。マルクがこのヤズルマの町を訪れるきっかけとなった手紙だ。

 うっかり失くしてしまわないよう手にしっかりと力を込めると、マルクは多くの人で賑わう華やかな大通りを歩き始めた。


 五つの国が支配するアルネア大陸。そのほぼ中央に位置するエルミナス王国の最南端にあるのがヤズルマの町だ。

 この地域は区分としてヤズルマ地方と呼ばれている。王国の支配地域の中でも小さく、町と呼べるような場所はこのヤズルマしかない。それ以外では村がいくらか点在しているのみだという。


 マルクは大通りを歩きながら、町の様子を観察する。

 こうして実際に訪れるまで、マルクは王国内でも辺境に位置するこのヤズルマの町を寂れた場所だと勝手に想像していた。しかし、それはいい意味で裏切られた。

 その景観や規模が、実家の近くにあった町とは比較にならないほどだったからだ。


 地面は石畳できっちりと舗装され、決して粗末な造りではない白色の外壁をした立派な建物が整然と立ち並んでいる。露店には山と積まれた食べ物に加えて、剣や鎧まで置かれていた。


 ……ここがヤズルマか。僕が住んでいた村と比べて何倍も大きいな。


 生まれて初めて見る美しい町並を眺めながら、マルクは実家で過ごした日々を思い返す。


 王国東部の小さな村に住む男爵家の息子に生まれたマルクは、これまで家族とともに屋敷で平穏な日々を過ごしてきた。

 マルクには両親のほかに二つ年上の兄が一人いて、名をレオニールと言った。

 嫡男ちゃくなんであるレオニールは優秀な人物だった。

 父親と同じ綺麗な薄金色の髪をしていて、背も高く、端正な顔立ちという人目を引く容姿を持つ。当主である父ヨアヒムより直々に剣技を教え込まれていて腕も立ち、頭もよく回り、さらには人間の中では珍しい魔法を扱える才能まで有していた。


 実際にレオニールに会ったことのある上級貴族たちからは、小さな村の男爵家に留めておくにはもったいない人物だともっぱらの評判だった。そうしたこともあり、両親は出世のチャンスを逃すまいとしてなおさらにレオニールへの教育に注力したのだった。


 一方のマルクはと言えば、母親譲りの珍しい黒髪を除けばいたって普通の人間で、成人するまでそれが変わることもなかった。

 自分なりに努力はしてみたものの、剣技は人並以下、魔法については才能がないので一切使えない。


 これといった特技もなく、何の影響力も持たない下級貴族の出であるマルクは、扱いも平民と変わらない。

 どこかの商会にでも勤められればよかったのだが、どんな仕事でも成人に達する年齢であれば何かしらの経験者であることが重要視されたので、未経験のマルクには就職先など無かった。

 要するに無職である。


 ……そりゃあ、僕の努力が足りなかったのは間違いないんだけどさ。


 マルクはそんなふうに自分自身を分析していた。

 マルクにはこれという人生の目標がなかった。そのせいか努力の方向が定まらず、何事に対しても情熱が持てず、結果として中途半端な人間になった。


 加えて、兄のように容姿や知性のみならず魔法の才能すらも持ち合わせている人間を目の当たりにして育ち、ことあるごとに比較されながら生きてきた経験から、自分にはこの世界のどこにも居場所などないのではないかとまで考えるようになっていた。

 屋敷で両親が兄を褒めそやすたび、マルクは居た堪れない気持ちになった。


 そうして成人となる十六歳の誕生日が迫っていたある日の事だった。叔父のバルディオから『自分の仕事を手伝って欲しい』と書かれた手紙が送られてきたのは。


 就職先を求めていたマルクはすぐさま叔父に承諾の返事を送り、こうしてヤズルマの町を訪れるに至ったというわけである。


 マルクは田舎者らしくあちこちを眺めながら、大通りを進んだ。

 大通りには、人間以外の種族もいた。

 長く尖った耳に、肌が白いエルフ。ずんぐりした体型で、長い髭を生やしたドワーフもいる。

 マルクの住んでいた村には人間しかいなかったので、実際にこうして別の種族を目にするのは初めてのことだった。


 彼らについてマルクが知っていることと言えば、エルフは魔法を操ることを、ドワーフは武具を鍛えることを得意とするという程度だった。

 普段は自分たちの国からあまり外に出ない彼らが、人間の国の一つであるエルミナス王国にこうしてやってきているということは、相応の需要がこのヤズルマには存在するということなのだろうとマルクは考えた。


 活気に満ちた町の様子から察するに、ヤズルマの財政はさぞや潤っているらしい。

 その理由については、マルクにも心当たりがあった。


「賢者の地下迷宮……か」


 今から五年ほど前に、そう呼ばれている大昔の遺跡がこのヤズルマの町の下から発見されたからだ。

 そして、迷宮に入り様々な品を持ち帰ることを生業なりわいとする『探索者たんさくしゃ』と呼ばれる集団を管理しているのが、マルクの叔父であるバルディオが長を務める探索者ギルドだった。


 マルクは元々予定していた通り、バルディオに到着を知らせるためギルドへと向かうことにした。

 送られてきた手紙には、簡単な地図と一緒にギルドの目印となる看板の絵が描かれた紙が入っている。それらに目を落としながら、マルクは大通りを進んだ。


「町の北門から入って大通りを進んだ先だから……この辺りかな」


 目的地である探索者ギルドは、マルクがヤズルマの町に入る際に通った北門から大通りを直進した先にある。

 地図に従ってしばらく歩いたところで顔を上げると、白い壁をした横長の大きな二階建てが現れた。壁から突き出た鉄の看板には、盾の前で交差する一対の剣が彫られている。持っている紙に描かれている模様と同じだ。

 どうやら、ここが探索者ギルドのようだ。


「あったあった……ここみたいだ」


 ようやく目的地に到着したことで安心したマルクが入り口をじっと見ていると、建物の扉が勢いよく開いた。

 出てきたのは、剣や斧を携えた山賊か何かにしか見えない風体の男たちだった。


 彼らを目にしたマルクは、自分がとんでもないところに来てしまったのではないかといまさら後悔した。

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