ヤズルマの剣士と賢者の地下迷宮

亜行 蓮

プロローグ

 ──暗く冷たい石造りの通路に、複数の足音が響き渡った。


 壁に寸分の狂いもなく等間隔に配された緑色に輝くランプが、道の先をおぼろげに照らしている。

 どのような原理で動いているのかさえ定かではないランプの灯りを頼りに、六人は走った。


「はあっ、はあっ……クソッ! 一体なんなんだよあいつは! あんなのがいるなんて聞いてねえぞ!」


 擦れたり裂けたりして、オリーブ色の服のあちこちがボロボロになった若年の男──罠の発見や扉の開錠を得意とする盗賊のウィリアムが、息を切らせながら大声で叫ぶ。


「静かにせんかウィリアム。あやつを呼び寄せたらどうするつもりだ」


 ウィリアムのすぐ横を走る、ドワーフ族の老戦士バイゼルが言った。

 ずんぐりした体型に、地面に届きそうなほど長く白い髭。鋲打ちの頑丈そうな革鎧を着込み、大斧を肩に担いでいる。大きなリュックを背負っていて、動くたびに中の荷物がぶつかりあって音を立てた。


「ここまでだな。イーリス、すぐに道導みちしるべの魔法を使え」

「分かった」


 先頭の、鈍色の板金鎧に身を包んだ男が命令すると、十四、五歳ほどに見える少女が返事をした。

 白い外套をなびかせながら追走するエルフ族の魔女イーリスは、速度を維持したまま静かに目を閉じる。銀色の長い髪がふわりと不自然に宙に浮いて、人とは異なる先の尖った耳が姿を現す。


「あの死神はまだ追って来てる?」

「いいや。上の階まで戻ったところで急に気配が消えたな」


 イーリスの後ろでは、一組の男女が必死な様子のウィリアムとは対照的にいたって冷静な口調で会話をしている。

 真っ黒なローブを着て、眼鏡を掛けた背の高い男と、革鎧を身に付けた小柄な女──抗魔の知識を持つ神官であるレーゼンと、優れた射手である狩人のミレイユだ。


「行動範囲に制限があるってこと? それとも何かを守っているとか?」

「さあな。どちらにせよ、解呪ディスペルが効かないなら俺にできることはもうない」


 ほどなくして、イーリスが目を開く。

 右手に持った木製の細長い小杖ワンドを正面に向けて振ると、地面に金色に輝くラインが出現した。

 ラインは通路の曲がり角のさらに先まで伸びていて、その途中にはこぶし大の水晶が間隔を空けて落ちている。

 水晶から水晶へ、光の線が繋がっている。彼らが進むべき道を示しているようだ。


「魔物に出くわしたら、各自の判断で応戦しろ」


 板金鎧の男が指示を出す。

 男は、ヤズルマという辺境にある小さな町の下から発見された古い遺跡——その調査を、この地を治めるエルミナス王国から依頼された冒険者の剣士で、六人のリーダーだった。戸惑うような素振りを一切見せることなく、常に冷静な判断を下し続けている。


 遺跡の地下五階を探索し終えたところまでは、何もかも順調だった。

 しかし、六階へと足を踏み入れた途端——彼らは逃げ出した。


 ──死神。

 そう表現するしかないような存在が、突如として姿を現したからだ。


 黒いボロ布のような衣を頭からかぶった骨だけの体。腰から下は無く、宙に浮かんでいた。真っ暗な顔に貼り付けられたかのような無数の目が、せわしなく紅い眼球を動かし続けている。

 今もなお鋭利さを失っていない大鎌を握るその姿は、まさしく死神と呼ぶに相応しかった。


 死神には、神官レーゼンの祈りも、魔女イーリスの魔法も一切通じなかった。正面きって戦うには、あまりにも無謀に思えた。


 どうして町のすぐ下に埋もれていた遺跡の奥深くを、そんな化け物が徘徊しているのか。

 その理由は、この場にいる誰にも分からなかった。

 板金鎧の男は、即座に調査を中止して撤退することを決めた。


「イーリス。奴の正体はなんだと思う」


 走りながら、男が尋ねる。


瘴気しょうきの濃さから考えると、アンデッドのたぐいに見える」

「だろうな」


 アンデッド──それは、瘴気を含んで再び動き出した死者たちの総称だ。神官の扱う魔法の一つである解呪ではらうことが最も効果的であり、それはレーゼンの得意とするところでもあった。


「倒せると思うか?」

「私の魔法やレーゼンの解呪が効かない以上、まともに戦ってどうにかなる相手とは思えない」

「同感だ。刃を当てるよりも先にあの鎌で魂を刈られる自分の姿しか想像できない」

「私もそう思う。だけど──」


 イーリスはそこで一度言葉を切った。


「可能性があるとするなら、途中で見つけた【賢者の魔導具】を使えば勝てるかもしれない」


 イーリスの提案に男は返事をせず、ただ足を動かした。

 そうまでして、あの正体不明の敵と一戦交える気はないという意思の表れだろう。


 イーリスの魔法によって生み出された光に従い、六人は迷うことなく通路を駆け抜けた。

 帰り道の途中には、大小様々な獣の死骸が転がっている。

 そのいずれもが、全身を黒くゆらめく得体の知れない影に覆われていた。遺跡を進む中で六人が倒してきた魔物たちだ。

 こうして遺跡が発見されるまで、何十年、あるいは何百年と地下に閉じ込められていたはずの魔物が今も生きて活動しているという事実が、この場所の異様さを際立たせている。


「レーゼン、まだ奴の気配を感じるか?」

「いや、もうないな」


 死神の魔の手から逃れられたことに安堵した一行は、ようやく走るのをやめて一息ついた。


「俺は絶対に戻らねえぞ! さっさと家に帰らせてくれよ!」

「落ち着けよウィリアム。誰もそんなこと言ってないだろ」

「遺跡の地下を徘徊する死神、か。しばらくはこの話をさかなに酒が飲めそうじゃわい」

「それにしても、こんな寂れた町のど真ん中にまさか伝説の賢者様の遺跡が手付かずのまま眠ってるとはな」

「しかも地上では見たこともない魔物がわんさかいるときたものだ。このヤズルマは、なんと奇妙な場所か」

「私たち、この魔導具を王国に渡したら幸せになれるかしら」

「どうかね。最悪、口封じに殺されるかもしれない。調査隊が俺たちだけなのも、色々と事情があるんだろうよ」

「兵士たちを送り込んで全滅させでもしたら、責任問題になるからじゃない?」

「なるほど。どうりで冒険者の命がこの世で一番軽いわけだ」

「冗談じゃねえ! こんな依頼、なんで引き受けたんだ!」

「あんたも思いっきり賛成してたでしょ……いまさら文句言わない」

「そうなる前にわしは故郷に帰るぞ。この遺跡は興味深いが、人間の面倒事に巻き込まれたくはない」

「そう慌てなさんなってバイゼル爺さん。アルフレッドに言えばなんとかしてもらえるかもしれないだろ」

「あの放蕩王子にそんな権限などあるものか。まったく……」


 思い思いに言葉を吐きながら、六人は不気味なほどの静けさに満ちた通路を歩き始めた。


「バルディオ。これからどうするの?」


 イーリスが鎧の男——バルディオに尋ねた。


「レーゼンの言うとおり、まずはアルフレッドと話す。後のことはそれから考える」

「良い返事がもらえなかったら?」

「その時はその時だ」


 幾度目かの通路を曲がり、何度目かの階段を上ると、ようやく六人の目は太陽の光を捉えた。

 彼らにはそれがとても神々しく、温かく感じられた。


「おかえり。無事だったようだね」


 入口のすぐ近くには、兵士たちを連れた一人の男が立っていた。

 背の高い、綺麗な金色の髪をした美男子で、白い立派なコートを着ている。その姿は誰が見ても高貴な生まれの者であると理解できる。

 ヤズルマの遺跡調査、その監督者であるエルミナス王国第四王子のアルフレッドだ。


「君たちは下がっていなさい。私は彼らと少し話があるから」

「いや、しかし……」

「彼らは友人だよ。危害を加えるような真似はしないから、安心してくれていい」


 アルフレッドに促され、兵士たちは渋々といった様子で待機場所へと戻っていった。


「成果は上々のようだね」


 アルフレッドは、バイゼルの背負っている荷物に視線を移しながら、満足そうに微笑んだ。


「フン、こっちは死ぬかと思ったわい」

「それはすまなかったね。報酬についてはできうる限りのものを用意しよう」


 バイゼルの愚痴にも、アルフレッドは親しげに応えた。


「では話してもらえるかな。君たちの見たものについて。そして、得たものについて」


 ──こうして、バルディオ・ニブルノア率いる調査隊の最初で最後の仕事は終わった。


 のちに人々から『賢者の地下迷宮』と呼ばれるこの場所は、五年が経った今もヤズルマの町の中心に存在している。

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