第4話 マットの研究
「きみの研究とは、一体何なの?」
僕は恐る恐る、その言葉を口にする。
「人間を、豚に変える薬の開発さ。」
彼の顔は、嬉しそうだった。だが、僕と久しぶりに会ったときのあの顔ではない。もう二度と、あの時のマットには会えない気がした。
「きみは、その薬を完成させたっていうのか?」
半信半疑だった。まだ、信じたくなかったのかもしれない。
「ああ。残念だよ。トムなら喜んでくれると思ったのに。」
「その薬を、なにに使うっていうんだ?」
「わからせるんだ。自分たちがどうやって生きながらえているのか。命を奪うということの恐ろしさを。」
「彼らを、殺すのか?」
「俺は彼らを殺めないよ。命を奪うことの恐ろしさはわかっているつもりだ。」
じゃあ何なんだ? 何に使うんだ? ますますぞっとする。
「まって、サイモンは? 彼もこの研究に協力しているっていってたよな? サイモンはなんて?」
「彼は、言った通り進んでおれの研究に協力している。まあ、今から会わせてやるよ。」
そう言った彼は、やけに残酷な顔をしていた。地下室への階段を降りていく。薄暗い闇のなか、空気もひんやりと冷たかった。その部屋には、理科室のような実験道具と、パソコンが置いてあった。僕は、目を順番に移していく。
「こっちだ。」
マットに言われて部屋の奥に進む。壁沿いに、牢屋があった。そのなかに、ひとりの男が閉じ込められていた。やつれた顔をしているが、しっかりとした体格をしている。
「トム、トムなのか?」
「もしかして、サイモン……なのか?」
僕は恐る恐る声を発した。信じたくなかった。
「そうだ。」
「マット! お前はなんてことを! 僕ら兄弟だろう?」
僕はマットに掴みかかる。マットは薄い笑みを浮かべていた。
「待ってくれ、トム。俺が望んだことなんだ。マットを責めないでくれ。マットは、家族思いの良いやつなんだよ……。」
「家族思いの良い奴が! こんなことをするわけがないだろう?」
「違うんだ! 俺が、裏切ったんだ。マットを、家族を裏切った。だから、マットを責めないでくれ……。責めるなら俺を……。」
僕は、マットを掴んだ手を離した。僕らはこの人間社会で、唯一の仲間であり家族だった。何が僕らを変えてしまったのだろう。
「言ったはずだ。サイモンが望んだことだと。」
「だからと言って……。」
「彼は、食べたんだ。」
「食べたって……。」
何を? なんて野暮な質問は、必要なかった。それだけで僕は理解することができた。
「牛、鳥、魚……、それだけではなく豚肉も。」
「豚肉も……。」
「信じられないだろう? 俺らが家族であっても、許されざる行為だと思わないか? あの日のこと、真実を知った日のこと。脳に刻みつけていれば、そんな行為ができるはずなどないんだ。」
マットは、目を見開いていた。血走ったその目は、狂気に満ちていた。
「サイモンにも、きっと事情が……。」
僕は、モニスの過ごしてきた日々を頭に浮かべていた。暴力を振るわれ、いじめられのけものにされてきた。自分なんていなくなってしまいたい。そんななかで唯一優しくしてくれた家庭に、受け入れられたいという一心だったのだ。そこから、彼は……。
「サイモンから話は聞いている。だが、それは言い訳でしかない。俺たちは、トムが去ったあと、真実を知った。そして、約束したんだ。いつか仲間をたすけよう、と。トムは、言われずも動物愛護の活動をしている。だが、約束したこいつはどうだ? 助けるどころか、罪を重ねているだけだったのだ。」
マットの苦しさも伝わってきた。マットにとっては、僕じゃなくサイモンが心の支えだったのだ。どれほど苦しくても孤独でも、一緒に頑張っているはずの相手がいると思って努力してきたのだろう。マットの目は潤んでいるようにもみえた。
「二人で話をしていろ。すぐに戻る。」
マットは早歩きで階段を駆け上がった。
サイモンとふたりきりになる。
「トム、あの日のことを覚えているか?」
「あの日って、牧場を抜け出した日のこと?」
「ああ、そうだ。みんなの様子がおかしくなってきて、いろんな人間が集まって僕らを囲んでいた。このままだと殺されるって父さんに言われたよな。みんなが必死に暴れながら、柵に小さな穴を開けてくれた。僕らも病気のせいで頭は回っていなかったけれど、みんながつないでくれた命を必死に守らなきゃって。それで、脱出したんだよな。」
久しぶりに思い出した。苦しくて、頭がおかしくなりそうだった。そんななかでも、みんなが助けてくれたから、そしてマットとサイモンがいてくれたから助かったんだ。
「僕はあのとき、脱出したあと、森に向かって走り続けてしまったよね。苦しくてどうかしてて、みんなの声も耳に入らなかった。僕はそのあと、気がついたら森の外で人間の姿になっていたんだ。」
「ああ、そうだったよな。トムはまだ一番幼かったからね。あの時、俺もトムを追いかけたんだ。だけど、マットはあのときしばらく俺に追いついてこなかった。」
「どういうこと?」
「きっと、見てしまったと思うんだ。その、光景を。彼はそんなこと言わないけどね。彼は、それをひとりで抱えてあの施設でもずっと、僕らのことを守ってくれていたんだ。僕はね……、それをわかっていた。なのに、彼を裏切ってしまったんだよ。」
サイモンが初めて笑顔をみせた。こんな悲しい笑顔は見たことがなかった。
「サイモン。君には君なりの事情があったんだろう。」
「事情があったって、僕は許されざる罪を犯してしまったんだ。」
「サイモン……。俺が出してやるから。」
「やめろ。これが俺にできる唯一の贖罪だから。」
サイモンの顔は、決意に満ちていた。
「誰に対しての贖罪っていうんだ。」
「本当の家族、それからマットに対してだ。俺はここにいたいんだ。」
何が正解なのかわからなかった。だが、サイモンの望みがそうであるなら、自分にそれを否定する権利もないのではないかと感じた。
「サイモン、お前がそうしたいのか。」
サイモンの表情が、ほっとしたように緩んだ。
「ああ。だけど最後にひとつ頼みがある。これだけは聞くと言って欲しい。」
サイモンの最後の頼みか。
「もちろんだ。何なんだ?」
サイモンは鍵をこちらに投げてきた。
「その鍵に俺の住所が貼ってある。本当はあいつに頼もうかと思っていたんだけどな。頼みなんてできる立場じゃない。だから頼む、トム。俺の家の原稿を完成させてほしいんだ。俺の物語を終わらせてほしい。それだけが、頼みだ。」
「原稿って……。」
「俺の人生について綴った本だ。お前に嫌われるかもしれないけどな。気に入ってくれることを祈るよ。」
「わかったよ。お前のいう通りにする。」
「ありがとう。それと、もうひとつ。もしもあの部屋に女性が来たら……。ありがとうって、伝えてほしい。」
その時、マットが戻ってきた。
「感動の再開は楽しめたか。」
「マット……。」
「俺はな、これまでの人生であの日のことを思い出さなかった日はない。あの時の無念、絶望、痛み。そして真実を知った日の恐怖、怒り。人間のことを知れば知るほどその感情は膨らむばかり。俺はそれらを晴らすために生きてきたんだ。」
マットのこれまでの日々は、きっと僕ら以上に苦しかったのだろう。
「だからって、サイモンは兄弟じゃないか。彼をどうするっていうんだ。」
「俺は、あの日の奇病について、たくさん調査をしてきた。気温や餌などの条件も。だが、もうひとつほしい材料があったんだ。俺からとろうと思っていたが研究に支障が出る、とためらっていた。奇病にかかったものの血がほしかったんだ。」
「サイモンの血をとるだけなのか?」
「ああ、命には支障はなくとも日常生活に支障が出る程度にな。兄弟に俺の体を使って実験してもらおうとも思っていたのだが、そんなとき変わってしまったあいつに出会った。そこからは……。」
その続きは理解できた。僕は必死で言葉を探す。なにか、サイモンを救う手立てはないのだろうか。
「牢屋に閉じ込める必要はないんじゃないか? サイモンは出ようとしないだろう?」
「もう、あいつとは同族だと思いたくないんだ。俺のなかであいつはもう、実験材料だ。兄弟、なんて言ってくるな……。」
もうそれ以上、僕が反対してしまうとサイモンに危害が及んでしまうのではないかと感じた。僕は、黙り込むしかなかった。
「さて質問だ。トム、きみはこの研究に賛成してくれるかい。」
この質問で試されている気がする。今までの人生の意味が。本当は、マットの生き方が僕ら兄弟のなかで、一番真っ当なのかもしれない。だが、父の言葉を思い出す。強く自分を持て、と。自分の今までの人生で学んだことはなんだったのだろう。本当に憎むべきは人間なのだろうか。その全てが悪者なのだろうか。
「マット、僕は反対だ。」
「なぜ? なぜだ? お前だって、見てきたはず。仲間の死骸をなんとも思わずに食す彼らを。食すだけでない。食すために殺した死骸を、食さぬまま廃棄することすらざらにある。彼らを、正すべきだとは思わないのか?」
マットの言葉は、僕の胸をえぐってくる。ずっと、抱かぬようにしていた憎しみという感情。僕だって、今の両親に引き取られていなかったらマットのようになっていただろう。
僕は、両親に聞いたことがある。ベジタリアンじゃない人たちのことをどう思うか、と。両親は、自分がベジタリアンだからといって人の生き方を否定しようとは思わない、と言っていた。自分が食べたくないから食べない。でも、その考えの根底には受けてきた教育の違いや環境の違いもあるだろう、と。
「マットの気持ちもよくわかる……。だが、人間に限った話じゃない。生を受けているものはみな、生まれもった環境のことを当たり前だと思ってしまうものだから。生まれた環境のなかで、自分たちは精一杯優しく生きていくしかない。そんなふうにも思うんだ。」
マットは呆れたように口角を上げる。
「周囲の人間が行なっていることは、どうだって良いっていうのか?」
間髪入れずに聞き返す。
「マット、お前は植物を食していないのか?」
僕が一度、悩んだ問題だった。動物は食べないのに、植物は食べる。それでも良いのか、と。
「食している。」
「罪悪感は?」
彼は考え込んだ。
「罪悪感は感じないが……、感謝はしている。」
「豚のときから感謝をしていたのか?」
「いや、当時はしていなかった。当たり前だと、思っていた。」
「そうだよな。実際、それが現実なんじゃないかと僕は思うんだ。」
マットは、しばらく黙り込んでしまった。
「俺は、どうすればいいんだ。少しわからなくなってしまったよ。」
「マットのペースで考えればいい。僕もいつでも駆けつけるし、サイモンだって力になってくれる。」
「悪い。今日は帰ってくれないか。しばらく考え直したい。」
マットに背中を押された。サイモンの方を振り返ると、少し嬉しそうな顔をして笑っていた。ありがとう、と口を動かしているのがわかった。
「元気で! モニス。」
考えるよりも先に口が動いていた。サイモンは驚いた顔をして、肩をすくめてみせた。この一言が、サイモンへのメッセージになればいいと思った。僕はきみにずっと元気をもらっていたのだと。
地下の階段を上がっていく。さっきと変わらない、どんよりとした部屋がそこにはあった。
「マット、また連絡くれよ。」
その言葉にマットは頷くこともせず、そっと僕を外に追いやった。
「トム、お前はお前の人生を歩めよ。」
彼は、その言葉を最後に、しばらく行方知れずとなるのであった。
人間になった僕たちは @hamanobe
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