第3話 サイモンの謎

 マットに電話をかける。その行為がとてつもなく恐ろしいことに感じた。だが、家に帰ってからでは勇気が萎んでしまうこともわかっていた。施設の近くにある公園で、電話をかけてみることにした。

 携帯を持つその手が震える。発信、そのボタンを押すにも勇気が必要だった。

「もしもし。トムだ。あの、施設で一緒だった……。」

「俺に電話をかけてくるようなトムは、一人しか知らない。」

マットの声は聞いていた通り、冷たいものだった。

「……そんな怯えるなトム。俺は嬉しいよ。俺のこと、探してくれたんだな。」

「うん、みつかってよかったよ。マットこそ、僕らのことを探していたって聞いたよ。」

「そうなんだ。ある研究の話がしたくてね。きみならわかってくれるんじゃないかと。」

「研究?」

「ああ。詳しくは家に来てくれたら話すよ。今施設に来ているのだろう? そこから近いから、今日来たほうが良い。この後寄っていけばどうだ?」

「そうだな。頼む。そういえば、サイモンのことは知らないか?」

「サイモンなら、家にいるよ。研究を手伝ってくれている。」

「そうなのか。それなら、良かった。」

僕はひとまず安心した。サイモンが生きてくれていて、本当に良かった。


 マットの家まではここからさらに北のほうへ行く必要がある。バスに乗って1時間ほどだ。マップで調べたら、かつて僕らが住んでいたあの牧場の近くだった。

 僕はリュックから、モニスシリーズの第2作目を引っ張り出した。題名は『言い訳』。変わった名前だ。本作では、淡々とモニスの暗い少年時代が描かれている。親切な人に拾ってもらったモニスは、理由あって違う家庭に移ることとなる。兄弟とも離れ離れになり、打ちひしがれるなか、さらに新しい家庭で暴力を受けるようになる。その後も居場所を転々とする中で……。僕はあることに気づいてしまった。

 僕は主人公モニスに自分を重ねていたが、この主人公の人生はまるで、サイモンのようだ、と。一度浮かんだその考えは、僕の頭を支配していった。

 僕は夢中で第3作目を取り出す。題名は『居場所』だ。居場所を転々とするなかで、サイモンは自分の居場所を求めてご機嫌取りになっていく。周りの人間を喜ばせよう、その思想がエスカレートしたときサイモンははじめての殺人を犯してしまう。サイモンは苦悩するのだった。だが、一度犯してしまうと繰り返してしまうものだ……。サイモンは2度目の殺人を犯してしまう。

 そして最新作の第4作目は、『後悔』。連続殺人鬼と化してしまったサイモンは、どんどん自分を殺して精神的に追い詰められていく。だが、一方で感覚を麻痺している自分にも気づくのだった。そんなある日、彼は聖女のような女性と出会う。彼女に惹かれていくサイモンは、自分の行為を悔い始めるのであった。

 なぜだろう。まるで彼は、肉を食すことを殺人と言っているように感じた。本をみつめ、深く考え込む。もうモニスがサイモンであるようにしか思えなかった。その理由についてもう一度考えてみる。サイモン、モニス……、そうか。これはアナグラムだ。SIMONを並べ替えると、MONISになる。モニスはやはり、あのサイモンで間違いない。だとすると、これはまずいのではないか。僕の頭にはいやな想像が思い浮かぶ。

 マットの怖い目。マットの研究。真実を目の当たりにしたとき一緒にいたふたり。肉を食してしまったサイモン。サイモンはいま、マットの家にいる……。つながりそうでつながらないが、何か良くないことが起こっているということは安易に想像ができた。いや、僕の考えすぎか。そんな風には、決して思えなかった。

 外に目をやると、牧場があった。

「もうこんなところまで。」

牧場は、廃れていた。あのあと経営難になったという話をどこかで聞いたことがある。僕が養護施設に電話をかけようかと迷っていた頃、牧場についても調べてみたことがあるのだ。知りたくないけど、知りたい。それがすべてだった。寂しげに建っている豚小屋の近くには、墓碑があった。あれは、牧場主のものだろうか。僕は考えを巡らせる。

 気が付くと、マットの最寄りについていた。これから何が待ち受けているのかと思うと、心底帰りたくなった。バスの扉が開くと、そこにはやせ細った男がいた。それがマットであることは、すぐに察しがついた。

「このバスで来ると思っていたんだ。ひさしぶりだな。」

予想以上の歓迎ぶりに、少し身構えてしまう。だが、そういえばマットは本来心根の優しいやつだった。仲間に対しては。マーガレット先生の言ったことにとらわれすぎているのかもしれない。そんな気もしてきた。

「マット、ひさしぶりだな。」

「探したぞ。」

実際に会ってみると、マットは思っていたよりも嬉しそうにしてくれた。だが、僕が握手をしようと手を出すと、マットはその手をじっとみつめたまま戸惑っていた。感情を表すのが苦手なのだろう。きっと、彼も彼なりの苦労をしてきたのだと思った。僕は手を下ろす。

「元気そうでよかったよ。サイモンはどうしているんだ?」

「電話でも話した通り、研究の手伝いをしてくれている。まあ、慌てるな。研究のことは家に着いたらすべて話すから。ここから20分ほどかかるが。」

「わかった。今日、サイモンにも会えるんだな。夢のようだよ。」

「トムの方は、最近何をしているんだ?」

「僕は、動物園で働いているよ。動物愛護の活動もしている。変わりものだって思われているけどね。」

マットは、それを聞くとほっとしたような顔をした。

「トムが変わっていなくて本当に安心したよ。僕らは、人間社会になじめるはずのない存在なんだ。変わり者といわれたほうが、真っ当なもんだよ。」

僕は、サイモンに思いを馳せる。だとしたらサイモンは……。

「トムは普段、何を口にしているんだい?」

「えっと。うちは家族がベジタリアンだったから、ずっとその料理を食べているよ。」

家族、と言ってしまったことに後悔したがもう遅い。マットは僕を軽蔑するような顔をした。

「家族、ねえ。まあベジタリアンなのは、良いことだ。ところでトムは、まだそこに住んでいるというのか?」

「え、まあ。僕の、引き取り先はとても良くしてくれたから……。」

僕の発言がいつ、マットの引き金を引いてしまうかと思うと落ち着いていられなかった。

「俺は、大学進学とともにすぐに家を出た。今まで俺を育てるのにかかった費用もすべて返した。」

マットは僕を否定するわけでもなかった。彼は、どこか葛藤しているようにもみえた。きっと人とあまりかかわってこなかったのだろう、と察することができた。僕には家族がいたけれど、マットにはその存在がいなかったのであろう。

「マットは、えらいね。昔からいつでも、自立している。確固たる自分を持っている。」

「そこは、変わらない。だけど、最後にお前といたときよりは随分と、変わってしまったよ。」

マットは、救いを求めているようにもみえた。


「そういえば、来るときに牧場の近くを通ったんだ。」

「ああ、廃れていただろう。」

「うん、あんなところに墓碑が立っていたんだな。」

「あれは、俺が立てたものだ。」

マットは、なんでもないことかのようにそう言った。

「マット……、きみは。」

「俺は、あの日を忘れたことなんてない。それから、真実を知った日も。」

彼の声は、少し震えていた。僕は、あの日のことを必死で忘れようとしていた。頭がおかしくなりそうだったから。忘れよう、忘れようとしても頭に浮かんでくるあの日の光景は、僕に暗い影を落とし続けていた。動物を大切にしよう、そんな呼びかけに応えてくれるひとが自分のおかげで増えるとも思っていなかった。ただ、贖罪をしたような気になって気を紛らわし続けていただけだ。それなのにマットは、彼はずっと向き合ってきたのだろう……。


「着いたよ。」

マットは静かにそう言った。顔を上げると、かなり大きな一軒家がそこに建っていた。

「すごい大きい家に住んでいるんだな。」

「入りなよ。まあ、獣医学で功績を残したから。俺にたくさんお金を出してくれる人がいたんだ。」

僕は、家に上がった。物のなにもない部屋がそこにあった。空気がどこか湿っている。どんより、というわけではない。ずっしりとした重みを感じた。

「聞いたよ。エリート一家に引き取られたって。」

「たしかに彼らは、俺を良い大学に入れようとしていたな。道具のように思っていたんだろう。大学、大学院を出て、俺は今までかかったすべての金を返した。もう、関係は残っていない。」

当たり前だろう、と言いたげだった。野暮なことは聞いてくるな、と。彼は、そのまま続けた。

「俺は、不快でならないんだ。今自分が人間のような見た目をしていることが。だが、屈辱的な姿になったこと自体に、意味がなかったとは思っていない。」

人間のような、という口ぶりに身震いがする。僕は、すっかり人間になっていたのだと改めて気づかされる。

「マットが見つけた意味は、なんだったの?」

「さあ今から話そう。俺が真実を知ったあの日から、ずっと温めていた研究について。それが、ついに完成に近づいていることについて。」

彼の顔にはもう、温かみなど存在していなかった。憎悪が彼を支配していた。僕は聞きたくなかった。帰りたかった。だが、先生の言葉を思い出す。マットを救うことができるのは自分だけだ、と。それに、サイモンに会わずには帰られない。

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