第2話 僕らの養護施設

 考えを張り巡らせているうちに、養護施設の最寄りに着いていた。いつのまにか、外には雨がしとしとと振っていた。

 徒歩10分。家から駅までの距離と大差ない。しかし、その時間が異様に長く感じる。緑屋根の一軒家。それは昔と変わらずそこにあった。少し古くなったように感じる。それもそのはず。もうあれから25年も経っているのだから。

「あの、すみません。」

僕は、施設のドアをノックした。女性の方が出てきた。70代、といったところか。

「こんにちは。もしかして……?」

「そうです。お電話した……」

「トムね! こんなに大きくなって。立派になったものね。」

その女性は、僕を嬉しそうに抱きしめた。えっと、えっと。名前は……、そう。マーガレット先生だ。

「マーガレット先生ですね。」

「そうよ。言葉もすらすらと喋れるようになったのね。嬉しいわ。」

マーガレット先生は涙ぐんでいた。

「あらごめんなさい、中へどうぞ。」

僕は実に25年ぶりに、その施設のなかへと足を踏み入れた。なかには、多くの子どもたちがいた。元気に走り回っている子もいれば、静かに本を読んでいる子、先生にくっついている子もいる。僕たちは、たぶんいずれでもなかったのだろう。そんなことを思いながら、マーガレット先生に続いて階段を登った。


「改めて。お久しぶりです。マーガレット先生。その節は、大変お世話になりました。」

僕はそう言って、土産物を渡した。

「あら、おしゃれなものを。粋ね、マーマレードをくれるなんて。私の名前と響きが似ているものね。」

マーガレット先生は、嬉しそうにそういった。たまたまだ、なんて口が裂けてもいえなかった。

「今日ここに参った目的は、兄弟に会ってみたいと思ったからです。」

少し緊張しながら、僕はそう言った。

「そうだと思ったわ。というのもね、少し前にマットがここに来たのよ。一番年上の。まあ、あなたたちの年齢はわからなかったから年上っぽい男の子というべきかしら。」

マット、生きていたのか。それだけで、胸が高鳴った。

「マットがここに?」

「そうなのよ。あの子も、とても立派な大人に成長していたわ。少し冷たい感じがしたけれど、当時からどこか冷めていたところがあったものね。」

マーガレット先生は、ひとつひとつ思い出すようにゆっくりと話を進めた。マットも僕たちのことを探していたのか。

「それで、マットはなにしにここへ?」

「あなたたちを探しにね。でも、あなたの住所は教えることができなかった。あなたを引き取ったとき、あなたのご両親とお話して住所は伝えないように、との取り決めを交わしていたから。」

マーガレット先生は、眼鏡越しにこちらをじっと見つめた。

「ああ、両親も似たようなことを話していた気がします。別々にした方が良い、というお話だったとか。」

マーガレット先生がため息をついて下を向く。顔をあげたとき、彼女の眼鏡は涙で曇っていた。

「マーガレット先生?」

「ごめんなさいね。あの時の私の判断は本当に正しかったのか、今でもわからない。けれど、あなたたちは一緒にいるべきじゃないって直感でそう感じたの。ほら、あなたたちってとても……。」

マーガレット先生は言葉を濁す。だが、言いたいことはよく理解できた。彼女の言う通りだろう。尋常じゃない。僕たちが発見された時、僕らは裸で森の近くに並んで倒れていたという。言葉も話せず、ただ怯えて唸ったり鼻息を荒げたりしていたらしい。年齢も名前も不詳。ただ、その容姿から3、4歳くらいの年齢だと判断された。僕にも正式な年齢はわからない。だって、豚の年齢を人間に換算したら何歳かなんて検討もつかないから。

「先生がそう考えられたのも、無理はないと思います。」

僕はただそう答えるしかなかった。先生たちは、こんな僕たちを保護してくれてよくしてくれた。大人になった今、僕は心から感謝していた。

「ありがとう。先生は、あなたやマットが立派に大人になっている姿を見られたことが、何よりも嬉しいわ。」

先生はそのシワだらけになった顔で笑顔をみせた。あれからこんなに経ったのか。時の流れは早いものだ。僕は、生きることに必死だった。


「こんなことを聞いていいものかわからないけれど、過去についてなにか思い出せない?」

「すみません、よく覚えていなくて。」

嘘をついてしまった。だが、僕の過去は嘘で塗りたくるしかないのだ。それは僕の運命であった。

「そうよね。それならいいの。」

先生は少し悲しそうな顔をした。

「そういえば、マットにサイモンの住所は教えたんですか?」

「サイモン、あなたくらいの歳の子ね。あの子はね、最初親切な家庭に引き取られたのだけど、そのあと移った家で暴力を受けていたようでね……。それでまた、どこか違う家に引き取られたの。だけどその家の行方がわからなくてね。ごめんなさい、引き取り先の家庭がそんなだって見抜けなくて。」

先生は申し訳なさそうに頭を下げた。サイモン、そうだったのか……。思わぬ出来事に、胸が締め付けられた。

「先生のせいではありません。先生は、いつでも僕たちにとって一番良い方法を考えてくれたはずですから。」

僕は先生の肩に手を置いた。先生は僕の手に自分の手を優しく重ねた。

「それでも先生心配でね。あなたが去った後、本当にいろいろあったのよ。」

先生の顔が、一段と老け込んだようにみえた。苦労をかけさせてしまったのだ、僕たちという存在を保護したせいで。僕にはいろいろの内容について、おおよその察しがついていた。

「いろいろ、とは。」

僕の心が聞くなと言っているなか、なんとか質問を口にした。

「なにがあったのですか?」

「この施設を去ったときのあなたはまだ、言葉もほとんど話せない、文字も読めない状態だったわよね。彼らは、この施設にいる間に読む書く話すといったスキルを身につけたの。その過程で、私たちは彼らにいろんなものを教えてあげた。これはこういうものなのって。」

先生がそこまで話すと、僕にはもうその先が理解できた。だが、ふたりがとった行動が知りたい。その一心で、熱心に耳を傾け続けた。

「ある日、彼らに教えてあげたの。私たちが普段食べているものについてね。お肉っていうのは、動物の体をいただいているのよ。その話をした瞬間、彼らは血相を変えてトイレに駆け込んだ。しばらくして戻ってきた彼らの顔は青ざめていて、その日中は震えていたわ。」

僕は黙って先生の話を聞いていた。ここまでの話は想像通りだった。真実を知った僕も、そうだったから。

「あなたも驚かないのね。」

「初めて知ったときは、僕も恐ろしいことだと思いましたから。」

「それはそうよね。初めてこの話をしたとき、動物がかわいそうだと言う子どもはいるわ。だけど、ふたりのそれは異様にみえたの。まあ、話を続けましょう。それからの彼らは、卵も肉も一切口にしなくなった。ベジタリアンになったの。そして、かなり暗くなってしまった。保護された当初も怯えていたけれど、徐々に明るい振る舞いをするようになってくれて、喜んでいたところだったのに。」

先生はとても悲しそうな顔をしていた。

「そんなことがあったんですね。」

僕は先生たちの苦労に思いを馳せた。そして、そんな子どもたちを養子にしようという家族がいたことにも驚いた。

「だから私はね、あの子たちを預ける家庭にベジタリアンを選んだの。まず、マットの引き取り先はあまり苦労せずとも見つかったわ。あの子は、あれからかなり勉強熱心になって頭がかなり良かったから、引く手数多だったの。あなたが去った1年後、マットが5歳になった頃だったかしら。」

ベジタリアンに預けられたと知って、とりあえずは安心した。そうでなければ、彼らのメンタルが押し潰されていそうで怖かったから。

「サイモンは?」

「マットが去った後、私たちはサイモンの心配をしていた。彼もあなたと同様、ずっとマットにくっついていたから。彼らは、他の子どもたちや先生と口を聞こうとしなかった。けれどね、マットが去った後、あの子は少しずつ周りの子ともコミュニケーションをとるようになってきた。そういう意味では、あの子は世渡り上手だったのかもしれない。そのうち、引き取り手も見つかったのよ。」

そして、その家族に暴力を振るわれたサイモンの行方はわからない、というわけか。

「マットの電話番号は、渡しておくわ。」

先生はそう言って、僕に紙を握らせた。僕はお礼を言って施設の外へ出る。少し歩いたところで、マーガレット先生が慌ててやってきた。

「待って。」

「先生、どうしたんですか?」

「マットは、あの子はどこか怖い目をしていた。施設にいた時以上に。あの子を、救ってあげて。」

よほど、何かを感じたに違いない。僕の心は恐怖に震えた。だが、マットを救えるのは僕かサイモンしかいないのもよくわかっていた。

「先生、ありがとうございます。努力します。」

自信のないまま発したその言葉は、自分のものではないように感じた。

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