第3話


 沙友里にとって、本は最高の友だちであり、最大の敵でもあった。

 時間を忘れて没頭でき、ここではないどこかへ連れて行ってくれるもの。時間を忘れて没頭してしまうからこそ、周囲から奇異の目で見られる原因となるもの。

 ひとり教室で物語に夢中になっていたときの喜びと、物語から顔を上げたときの恐ろしさの、そのどちらもを、沙友里は忘れることができない。

 しかし、今この時間はそんなことを思い出さずともよい。誰に奇異の目で見られることもないのだから。

「はー、おもしろかった!」

 冷房のよく効いた自宅のソファに寝そべって、沙友里はうーん、と伸びをした。昨日図書館から借りてきた本を一冊、さっそく読み切ってしまったのだ。物語の序盤はそう魅力を感じていたわけではなかったのに、中盤以降から急に加速度が増し、一気に読み終えずにはいられなかった。

「んー、どうしようかな……」

 沙友里は、読み終わったばかりの本の表紙を眺め、小さく唸る。どうしよう、とは、この本の一節を問題として「文学少女【公式】」に送ってみるかどうか、である。

 まあまあ有名なミステリー作家の、数年前に刊行された、まあまあ話題になった作品である。即座に正解を出されても納得はできるし、不正解であればちょっとラッキーでだいぶ嬉しい。

 しばらく唸ったのちに送ってみるか、と決めて、閉じた本をもう一度開き、どの部分を抜き出そうかと選んでいると、スマホがぴこん、と鳴った。


りっつ:数Ⅱの宿題、わけわかんない問題あるくない?


 クラスメイトの田中梨都菜からだ。沙友里が仲良くしている女子のひとりで、あと三人、計五人でボーダートークのグループをつくってやり取りしている。梨都菜への返答はすぐに送られてきた。


マナナ☆:え、どれ?

りっつ:チャートの53pの、演習問題3-1

マナナ☆:え、あたしまだそこまで行ってない~。

くるくる:それ、ワークの問題と同じ解き方でいけたよ。ちょっと待って、どのページだったか探すから。

りっつ:まーじー!? くるるんサイコー!! ありがとー!!!


 間髪入れずに送られてくるやり取りに、沙友里は口を挟むタイミングを逃した。


うさこ:つーか、りつ、宿題やってんの? 真面目か。


 沙友里は、どきりとした。真面目、と言われたのは自分ではないのに。


りっつ:だってさー、やることないんだもーん。どこにも出かけられないしさー。


 梨都菜が即座にそう返していたことに、なんとなくホッとする。少なくとも梨都菜にとって「真面目」という言葉は深く考えるに及ばないものなのだ。どうしてだろう、真面目とは別に、糾弾の意味など持っていないはずなのに、沙友里は自分がそう言われると責められているような気持ちになるのだ。


うさこ:そういえば、さゆ、よく図書館にいるって?

くるくる:え、そうなの?

うさこ:なんか、よく姿を見るって。あたしの叔母さん、図書館でボランティアしててさ。


 沙友里は、えっ、と短く声に出して、一瞬、固まった。うさこ……、宇佐見翔子の叔母が図書館に出入りしているなんて、知らなかったのだ。


さゆ:うん、よくってほどじゃないけど、たまに行くよ。図書館に行くって言うと、親が外に出してくれるからさー。


 既読がついているから、沙友里がスマホの画面を見ていることは全員に知られている。すぐに返事をしなければ、と沙友里は急いで返事を打った。


マナナ☆:あー、なるほどー!

りっつ:私も久々に図書館行こうかなー。


 返ってきた言葉を見て、沙友里は細く息を吐く。真面目だね、とか、優秀なんだね、とか言われずに済んだことに安堵した。もっとも、彼女たちはそういう揶揄をするタイプの子たちではないと、わかってはいる。だから、これは沙友里の勝手な恐怖だ。

 話題はすぐに別の内容に移り変わって、沙友里は先ほどよりよほど気楽な気持ちで文字でのトークに参加した。「文学少女【公式】」に問題を送ろうと思っていたことは、しばらくの間、忘れていた。

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