第2話

 夏休みの図書館は、にぎやかである。

 外出機会を減らしている今の世の中でもそうなんだな、と、ぼんやりそんなことを考えながら、沙友里は書架の間を歩いた。図書館といえば静かにしなければいけないところ、というのは、大人から子どもまで浸透している共通の認識らしく、騒がしくしているひとなど誰もいないのだけれど、沙友里の半分くらいの背の女の子たちが目配せをしあいながら絵本を選んでいたり、いつもは空席ばかりの学習ブースが参考書を開く学生で埋まっていたり、という光景は、沙友里の目にはにぎやかに映った。

 目的の棚の前で沙友里が屈みこんだとき、トートバッグの中でスマホが震えた。ボーダートークの着信通知だ。


文学少女【公式】:それは村上春樹『海辺のカフカ』の一節ですね。


「うーむ……」

 沙友里は、声になるかならないか程度の音量で呻いた。表示されたメッセージは、つい先ほど沙友里が「文学少女【公式】」に送った「作品名当て遊び」に対する返事だった。図書館に行く直前に自宅で送ったから、十分ほど前のことになる。

 今回は、かなり返事が早い。有名な小説だからそれはそうだろう、と思いつつも、沙友里は少し悔しかった。これで、一勝十七敗である。

 吉祥寺のカフェで「湖水パフェ」を食べた日から今日まで数えておよそ十日間ほど。沙友里は、一日に一回は「文学少女【公式】」に文学作品の一節を送っていた。まずは文豪と呼ばれる作家たちの作品を思いつくままに送り、それらのすべてに、ほぼ即座に正解が返されると、今度は今現在有名な、というか、よく売れている、というか、そういう作家の作品を送ってみるようになった。文豪のときよりも返事に時間がかかるようになったものの、こちらもほとんどが正解の返答だった。不正解だったのはたった一回きりで、先月発売されたばかりのライトノベルの新刊の一節を抜き出したときだった。初めて勝った、とは思ったものの、沙友里はなんだかズルをしてしまったような気持ちがしている。

「次は、どうしようかな……」

  沙友里は目の前に並ぶ本の背表紙を眺めた。比較的知名度のある作家で、でも、作品自体は知る人ぞ知る、というようなタイプのものがいいのではないか、と考えるのだけれど、すぐには思いつかない。結局、沙友里自身が前から読んでみたかった作品を数冊選んで、貸出カウンターへ向かった。

 この十日間で沙友里にわかったのは、読書はやっぱり楽しいということと、「文学少女【公式】」はあらかじめ登録された文言を返してくるタイプのアカウントではなく、誰かスタッフが手打ちで返信しているらしいということだった。いくら、沙友里のようにシステムに疎い女子高生でも、あれだけの量の文学作品が事前に組み込まれているわけがないということは察しがつく。

「いったい、どんなひとが返してるんだろ……」

 図書館のエントランスを通り抜けながら、沙友里は呟いた。運営スタッフ、と呼ばれるひとたちなのだろう、と思う一方で、沙友里はこの「文学少女【公式】」に、なんだか自分と近しいものを感じていた。アプリの公式アカウント、というだけの「お友だち」なのに。

「あっつ……」

 自動ドアを抜けた途端、強烈な日差しが沙友里を出迎える。母親に持たされたアイスブルーの日傘を開き、できるだけ日陰を選んで歩き出した。

 大通りの交差点で信号待ちをしていると、横断歩道の向こう側に見覚えのある赤い自転車を見つけた。

「あっ」

 沙友里は慌てて日傘で顔を隠し、街路樹に寄り添うようにしながら歩いて交差点から離れた。自転車に乗っていた人物は、沙友里に気が付いていないようだ。沙友里はほっと息をつき、少し遠回りだが、道を変えて帰ることにした。

 自転車に乗っていたのは、沙友里と同じクラスの男子生徒で、名前は宮本孝弘。教室ではわりと親しく話すけれど、学校の外で、それも夏休みに顔を合わせるのはできれば避けたい。なにか特別な理由があるわけではない。ただなんとなく、気まずいのだ。

 沙友里の首筋に、じんわりと汗がにじむ。早く涼しい部屋でアイスでも食べながら借りたばかりの本を読もう、と沙友里は炎天下の帰路を急いだ。

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