文学少女【公式】

紺堂 カヤ

第1話

 沙友里が「文学少女」というアプリを知ったのは、吉祥寺のカフェ・リューで「湖水パフェ」を食べ終わったときのことだった。「湖水パフェ」というのはブルーのゼリーとか、ふわふわのクリームとか、水色に色付けされたやマシュマロなんかを綺麗に飾り付け、まるで「夏の湖畔にいるような気分」にさせてくれる、とSNSで話題になっていたスイーツだ。

「美味しかったぁ……」

 誰にも聞こえないくらいに小さな声で、沙友里は呟いた。沙友里にとって、はじめての「おひとりさま」だった。いつもなら、友だち数人と連れ立ってやってくるところだが、今はそれが容易にはできないご時世になってしまった。でも、沙友里はこの「湖水パフェ」をSNSで写真を見て以来、食べたくてしかたがなかったのだ。ひとりでカフェに入るのは凄くどきどきしたし、友だちを出し抜いているような気がして後ろめたかったけれど、アクリル板で仕切られた席に座り、注文を済ませた末にテーブルに出されたパフェを前にした瞬間、それらの不安はきれいさっぱり消し飛んだ。

 宝石のようにきらきらしたパフェを、沙友里は入念に撮影してから細くて長いスプーンでそうっとすくい、口に運んだ。風味豊かなクリームと、酸味の爽やかなゼリーのバランスが絶妙で、見た目だけでなく味も伴ったパフェに沙友里はいたく感動した。

 パフェの写真をSNSに載せるときには、お母さんと一緒に来たことにしよう、と思いながら会計をして、レジ脇にポストカードやリーフレットが並べられているのに気がついた。お洒落なデザイン、キレイなイラストのものばかりで、沙友里の手は自然と伸びた。

「あ、どうぞご自由にお持ちくださいね」

 カフェスタッフの女性ににこりとされて、沙友里ははにかみ、数枚を手に取って店を出た。

「……文学少女?」

 ポストカードサイズのリーフレットの文字を読み上げて、沙友里はふふっと笑った。特に笑ったことに意味はない。

「2022年ローンチ予定のスマホアプリ『文学少女』……。現在、ボーダートークにて公式アカウントのお友だち登録受付中……。ふーん?」

 どんなアプリなのか微塵も伝わってこなかったけれど、文学少女という言葉には魅かれるものがあった。沙友里はけっこう、読書が好きなのである。ボーダートークは日常的に使用しているチャットアプリだ。見慣れた緑のアイコンをタップして、リーフレットに印刷されていたQRコードを読み取り、「お友だち登録」をした。


文学少女【公式】:お友だち登録ありがとうございます。文学少女【公式】アカウントです。アプリリリースまでの情報を随時発信していきます!

文学少女【公式】:好きな文学作品の一節を送ってみてください。作品名を当ててみせますよ!


 ぴこん、ぴこん、と立て続けにメッセージがふたつ表示された。お友だち登録したことによって自動的に送られてくるタイプのものである。

「好きな文学作品の、一節……?」

 沙友里はちょっと首を傾げながら歩き出す。道ゆくひとは皆マスクをしていて沙友里の思案顔など、ちらとも見ない。もっとも、マスクをする習慣のなかったころからそうだったかもしれないけれど。

 一時間ほどかけて帰宅し、沙友里は自室の本棚の前に座り込み、数冊、文庫本を引っ張り出した。


さゆ:私はその人を常に先生と呼んでいた。


 先ほど「お友だち」になったばかりのアカウントに、メッセージを送る。


文学少女【公式】:それは夏目漱石『こころ』の一節ですね。


 すぐに反応があり、沙友里はへえ、と呟く。作品名を当ててみせる、というのは本当だったらしい。

「まあ、このくらいは、ね。有名も有名だし。じゃあ次は……」


さゆ:いつか霧がはれてそら一めんのほしが、青や橙やせわしくせわしくまたたき、向うにはまっ黒な倉庫の屋根が笑いながら立って居りました。


 沙友里は文庫本とスマホ画面を見比べながら慎重にフリック入力をして、先ほどよりも長い文章を書き送った。

「ちょっと、システム相手に意地悪しちゃったかなー」

 にやっとしながら、棚に文庫本を戻す。臙脂色のスピンが棚の端に垂れ下がって並び、小さな滝のようだ。

 沙友里は立ち上がって、本棚の前からクローゼットに移動しようとした。と、スマホがぴこん、と鳴る。


文学少女【公式】:それは宮沢賢治『シグナルとシグナレス』の一節ですね。


「え、マジか」

 トーク画面のメッセージを見て、沙友里は軽く目を見張る。有名な作品ではない、とはいわないが、宮沢賢治といえば『銀河鉄道の夜』とか『セロ弾きのゴーシュ』の方が知名度が高いはずで、しかも、沙友里が送ったのは『こころ』のときのような冒頭の部分ですらない。これに対応できるなんて、この「文学少女【公式】」のアカウントはいったいどれだけの量の文学作品を対象にしているのだろうか。

「へー、やるじゃん」

 沙友里は、この新しい「お友だち」とのトーク画面をしばらく眺めてから、画面をSNSに切り替えた。今日食べた「湖水パフェ」の写真を、アップしなくてはならない。

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