第4話 運命改変の力
ぜぇはぁと、椅子からずり落ちた昴が肩で息をしている。三枚目の金属板も無事に装着し終え、アザミは満足げに昴の顔を覗き込んだ。
「取り付けは無事に成功したようだな」
「本当に容赦ないですね……。孤児院で受けた仕打ちの方が可愛く思えるくらい、なんか凄くやばかったです……」
「とりあえず理論上はそれでセンパイと同じ力が手に入ったはずだ。さぁ、願え。自分の力で死の運命を退けるんだ」
「どうやればいいんですか? 全然わからないんですけど」
「知るか。とにかくセンパイは願っていた。たとえ無意識でも、この人を死なせたくないと心が思うと不思議なことが起きて死が離れていっていたぞ」
「死にたくない……そう願えばいいんですね?」
昴は椅子に座り直すと、まるで教会で祈りを捧げるように両手を合わせ、目を瞑って祈った。一分ほど経って昴が目を開ける。しかし死神であるアザミの姿は見えたままだった。
「おい、運命が変わってねぇぞ」
「ちゃんと願いましたよ。というか、本当にこんなことで運命なんて変わるんですか?」
「アア? アタシのことを疑ってんのか?」
「そんなわけないじゃないですか! ただ、どういう原理なのかなって思っただけで」
「あくまで仮説だが、簡単に言うとサブリミナル効果だ。とある映像の中に知覚出来ないほど短い瞬間だけ別の画像を差し込む。すると映像を見た者は無自覚のままその画像の影響を受けてしまう」
「あ、知ってます。なんでもない映像の中に、『コーラを飲め』だとか『ポップコーンを食べろ』といったメッセージを差し込んだだけで、商品の売り上げが伸びたんですよね。今は禁止されている方法ですけど」
「ああ。そんな感じで強磁性体の放つ特殊な電波が周囲の人間の持つ運命因子に干渉して、信号待ちをしていた車が突然追突をしたり、生きる気力を失っていた人間が急に生に執着し始めしたりしたんだとアタシは考えている」
「なるほど。だからボクが拠点を抜け出す時、掃除屋の弾はボクに当たらないし、トラックもタイミング良く路地に現れたんですね」
「そうだ。恐らくアンタの命を狙って今インビジブルの掃除屋がこちらへ向かってきている。それも運命が変われば、掃除屋はどういうわけかここへ辿り着けなくなるか、或いはアンタの代わりに死ぬかのどちらかになるはずだ」
アザミの頭の中で電子音が鳴る。タブレットを開くと太陽からメールが届いていた。指示された通り、局内の端末で昴の予定死因を調べて送ってきたらしい。
「掃除屋がこの部屋に入ってきて銃殺するのか。確かにこの家は両サイドにぴったりと並ぶ形で建物が立っているし、窓のある正面は広い公園になっていて狙撃手が潜伏出来るような場所はねぇ。占いで完全犯罪を成立させられんなら、直接乗り込んでくるのが手っ取り早いな」
周囲の状況を確認しようとアザミが窓の外を見渡すと、公園からこちらを見上げる人物がいた。橙色の翼を携えた見知らぬ女だ。手には身の丈ほどある大鎌を握っている。昴の魂を回収するために来た死神で間違いないだろう。
「予定時刻まであと十五分だ。そろそろ本当に来るぞ。さっさと死の運命を断ち切れ」
「そんなこと言われても……」
アザミが黒い翼を広げて昴の胸倉を掴む。驚いた昴はキャスター付きの椅子の上で慌てふためき、椅子ごと真後ろに倒れた。
覆いかぶさるようにしてアザミが両手を床についた。
「前に言っただろう。世の中の人間には誰しも強者になる資格がある。復讐をしたいなら何が何でも生き残れ! 生きて本当の自分の人生を掴みやがれ! センパイはな、誰かを生かしたいだの、あいつは死ぬべきだだのと、自分の意志をはっきりと自覚したから強者になったんだ。出来るだろう? アンタはこんなところで犬死していいなんざこれっぽちも思っちゃいねぇはずだ」
「何が何でも生き残る……?」
突然玄関の方で鍵の外れるカチャリという音がした。聞こえてはいけない音を耳にし、昴が声にならない悲鳴を上げる。
アザミが昴を置いて物音がした方へ移動すると、鉄で出来たドアが重々しい音を立てて開いていくのが見えた。
そこから、いかにもといった感じの黒い服を着た男が入ってくる。掃除屋だ。間違いない。
「来たぞ。ほら、さっさと隠れろ。アタシも魂を回収しにきた死神に見られねぇように隠れる。アンタはさっさとチートの力を使ってこの場を切り抜けろ」
「待ってください、PACさん!」
アザミは言うな否や天井裏へ上り、顔だけ出して状況を確認した。
こうなっては仕方がないと、昴はあたふたしながら部屋を見回し、ベッドの下の隙間に滑り込んだ。
掃除屋は玄関から入るなり誰もいない部屋を見回し、迷うことなく昴の潜んでいる自室の方へ足を進めた。
やはり死ぬ瞬間ターゲットがどこにいるのかわかっているらしい。
コツンコツンと、死へのカウントダウンのように靴音が昴のいる方へ近づいていく。未来がわかるからか、気配を隠すつもりもないようだ。
ベッドの下では昴が恐怖のあまりガタガタと震えている。アザミのいる天井まで彼の小刻みな息遣いが聞こえてきた。
「おい、こっちまで聞こえてるぞ。口を塞げ」
アザミが声をかけると、昴がひっと微かな悲鳴を上げるのが聞こえた。
それからは言われた通り手で口を塞いだのか、息遣いは殆ど聞こえなくなった。
ゆったりとした足取りで掃除屋が昴のいる部屋に入ってくる。死亡予定時刻が近づいているのだろう、公園にいた橙色の死神も部屋に入ってきた。
掃除屋は近くに大鎌を持った女が立っていることには気づくことなく、ついたままになっているPCに視線を落とした。
画面の中には占いの演算結果が表示されている。それでここにCherryがいると確信したらしい。
ズドン!
一発、床に向かって銃を撃つ。威嚇射撃に驚き、昴の隠れているベッドがガタンと揺れた。
掃除屋が口角を吊り上げ、ベッドに近づいていく。素早く屈んでベッドの下を覗き込むと、そこには拳を口に突っ込んで震えている昴の姿があった。
「
「あああああ!!」
昴は弾かれたようにベッドから這い出した。その背中を掃除屋の銃口が狙う。
昴はパニックになって半泣きになりながら、頭を抱えて叫んだ。
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、ボクは殺されるわけにはいかないんだ……姉さんのためにも!」
バチッ。
叫ぶのと同時に昴の赤くにじんだ瞳の中で火花が弾けた。太陽が運命を変える時と同じ現象が起きたのだ。勝利を確信し、アザミはほくそ笑んだ。
銃口に向いていた昴の視線がふと窓の方へ逸れる。
昴の目に映っていた橙色の死神が急速に色を失ったかと思うと、忽然と消えてしまったからだ。
現実のものとは思えない現象に呆然としていると、一瞬の気の緩みか、それとも本能が何かを感じ取ったか、掃除屋が昴の視線を追って窓の前を見た。
すると空間が震えるように歪み、橙色の翼を携え大鎌を構えた死神の女がにじみ出るようにして姿を現した。
「
「
掃除屋は昴に向けていた銃口を死神の方へと向けた。死神は突然予定者でもない人物に自分の姿を見られた上に、銃口まで向けられて慌てふためいた。
彼女が何か答える前に掃除屋が引き金を引く。死神の方も反射的に、掃除屋に向けて大鎌を振り下ろしてしまった。
銃弾が窓枠に当たり、ガンと鋭い音を響かせる。その直後掃除屋の胸から血しぶきが上がり、黒い服をまとった体が背中からバタンと床に倒れた。
倒れるはずみで腕が椅子に当たり、キャスター付きのそれが壁沿いの棚にぶつかる。棚が大きく揺れ、綺麗に並べられていた天使の置物が床に叩きつけられて割れた。
破片がゴロゴロと転がり、掃除屋の肩にぶつかって止まる。陶器で出来た天使の首が柔和な笑みを浮かべて死神を見上げていた。
「
死神は取り乱した様子で、掃除屋から浮かんできた魂の光を回収することも忘れてどこかへ飛んでいってしまった。
天井裏に控えていたアザミが代わりに魂を鳥籠に入れ、昴に微笑みかけた。
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