第3話 CherryとPAC
昴はぼうっとした様子で目の前に立つ人物を見上げていた。
その人は腰まで伸びた黒い髪を揺らしながら昴に歩み寄り、ぬぅと顔を近づけた。
「やっぱ見えてんだな」
「PACさん……。あの、どうしてですか?」
「そりゃあアンタに死の運命が繋がっちまったからに決まってんだろ」
「そ、そんな……」
「おい、この場所はインビジブルの奴らは知らないって言ってただろ。インビジブルが占いをするにはターゲットの位置情報が判明している必要があるはずだ。まさかキサマ……」
「言うわけないじゃないですか! インビジブルに見つかったらボクは死ぬんですよ? 位置情報がバレたのは多分占いのせいです。きっとボクが拠点を飛び出してからどこへ逃げたのか占って、目ぼしい場所に掃除屋を派遣しているんでしょう。ボクもそういう追跡はしたことがありますから」
「要するにどこに逃げ込んでも居場所が特定されるのは時間の問題だったというわけか」
「もう少しかかると思っていたんですけどね……。少し舐めていました」
「だがアタシとしては好都合だ。いちいち画面越しに話してちゃあ、ちぐはぐになって面倒だっただろうからな」
アザミは『境界』から持ってきていたビデオ通話用のゲームパッドを消し去り、代わりにタブレットを取り出した。メール画面を開き、目にも留まらぬ速さでキーボードを打って太陽にメールを飛ばした。
『今Cherryの名前が死亡予定者リストに挙がっているはずだ。死神局の端末からCherryの案件を検索し、予定死因の詳細をアタシに送れ。それから、死亡予定時刻を過ぎても予定者欄にCherryの名前が残っていたら、アタシが時間稼ぎをするから即こっちに来い。センパイの力で死の運命を断ち切る』
今の太陽は魂の回収に出ているはずだ。いつ返事が来るかはわからないが、間に合うことを祈るしかない。
昴は生きているのに死神の存在を知っている貴重なサンプルだ。むざむざ死なせたくはない。
指示を出し終わると今度はタブレットを消し去り、代わりにポケットからトランプくらいの大きさの金属板を取り出した。
「センパイの力の正体がわかった。センパイの基盤にだけこいつが組み込まれていて、どうやらこいつが放つ乱雑な周波数の電波が運命に干渉していたらしい」
「それって、鉄ですか?」
「ああ。つってもまぁ『境界』の物体だから素粒子レベルで物性が違うだろうがな。理論上は強磁性体なら何でもいい。センパイの基盤についていたのは二十年経っていたせいか少し錆びていたから、アンタに装着するのも『境界』の雑貨屋で売っていたアンティークなランプから頂戴した」
「待ってください。ボクに装着って……?」
「そのままの意味だよ。今日アタシがここに来たのはこいつをアンタの基盤に組み込むためだ」
昴は思考停止したように固まった後、急に我に返ったように両手を前に突き出して、とんでもないと激しく振った。
「なんでだよ? センパイの力が手に入ればインビジブルの追手を怖がる必要もなくなるんだぞ」
「だ、だとしても、PACさんの話だと魂の基盤って心臓にくっついてるんですよね? そこに細工をして、本当に大丈夫なんですか?」
「さぁな。失敗したら死ぬかもしれねぇ」
「ですよね!? やっぱり!」
「別に断ったっていいんだぞ。その代わり、今日センパイは魂を集めるために日本にいるからここには来ねぇ。このまま時間になればアンタはインビジブルの奴らに手をかけられてどちらにしろ死ぬ」
「う~、PACさん、やり方が酷いです。それってボクには選択肢がないってことじゃないですか」
「最初からそう言ってんだろ。いいから組み込むぞ」
アザミは昴の胸倉を掴むと、金属板を持った右手をみぞおちの辺りに突っ込んだ。昴が椅子のへりを掴み、ひえ~と絶叫した。
「PACさん、やばいです! なんか物凄くやばいですって!」
「肉体が邪魔で基盤の位置が見えねぇ。手の感覚で探すしかねぇが、どこだ?」
「ういい……! 変に動かさないでください! 胃袋がひにゃってしてます! ひにゃって!」
「あ、そっか。生きてる時は心臓の位置だからもっと上だな」
「そこ間違えたんですか? 絶対にわざとですよねぇ!? さっき言ったばかりじゃないですか!」
「んだよワーワーうるせぇな。男だろ。これくらい耐えろ」
「男でも体の中触られて平気な人はいませんよ!」
アザミの手が激しく脈打つ生暖かい物に触れる。心臓を傷つけないよう気をつけながら付近をまさぐると、柔らかい肉体の中に明らかに角張った硬い物が指先に触れた。
基盤に触れられたことで何か感じるものがあったのだろう。昴が身震いして背もたれに仰け反った。
「窪みの位置は……ここか。よし、はまったぞ」
指先で基盤の形状を確認しながら、器用に金属板をはめ込む。しっかり固定されたことを確認すると、アザミは体から手を引き抜いた。
嫌な感覚が消え去ったのだろう、昴はみぞおちの辺りをさすりながら、ふぅと深く溜め息をついた。
「し、死ぬかと思いました……」
「体に違和感はあるか?」
「いえ、ありませんけど……。これって本当に大丈夫なんですかね? 『境界』の物とはいえ、金属を体の中に入れるなんて……」
「別に平気だろ? センパイはその状態で十五年間ピンピンしてたんだ。魂と同質だから体に害があるわけじゃねぇし、弊害があるとすれば自分の周りの運命が変わってしまうことくらいだろ」
「さらりと言ってますけど、太陽さんはそれでずっと辛い思いされてきてるんですよね?」
「安心しろ。実験が済んだらその金属板は外してやる。現世にあるアンタの体で死の運命を弾き飛ばせることが証明出来れば、運命操作の準備が整ったも同然だからな。ジャックした電波塔にこいつを組み込み、パラメータを調整して観測されない電波を飛ばす。これでもどんな奴でも病死させられるようになるはずだ」
アザミはグッと拳を握る。それを聞き、昴は羨望の眼差しを向けてにこりと笑った。
「それでボスに復讐を果たして、インビジブルが崩壊すれば、ボクは自由の身なんですね」
「ああ。その後は好きに生きればいい。アタシも生まれ変わって次の人生を始めるさ」
「新しい人生ですか。想像もつきませんね。PACさんが死んだって聞いた時も最初は実感が湧かなかったものですけど」
「そんなにアタシのことを意識してたのか?」
「当たり前じゃないですか。あのパックマンがバクバクとデータを食い荒らしながら全ての情報を抜き取っていく特徴的なウイルス、それでインビジブルの支部も結構やられたわけですから。敵ながら、ボクもPACさんみたいになりたいって思ったんですよ」
昴はPCのメモ帳を開き、『CHERRY1613』と入力した。
「そいつはアンタがビデオ電話で使ってるIDだな」
「この1613……正確には、16・1・3なんですけど。なんだかわかりますか?」
「うーん? ああ、アルファベットのAから数えていってそのナンバーをピックアップすると、PACになるな」
淡々と言うアザミに、昴は照れくさそうに笑いかけた。
「そうです。それくらい憧れていたんです。だからボク、PACさんと組めて本当に嬉しいですよ」
「そうかよ。IDの数字について教えてくれたついでにもう一つ聞かせろ。なんでコードネームをCherryにしたんだ?」
「ああ、それですか。そうですね……」
昴は少し考える間があってから、自分の目を指差した。
「ボクの目、ルーツは日本のはずなのに、少し赤いでしょう? 赤い目が二つ並んでるのがさくらんぼみたいだって思ったんです。それで」
「なるほど。赤い目、ねぇ……」
「変……ですか?」
「いや、別に」
アザミから探るような目を向けられ、昴はドキリとした表情を浮かべて、プラスチックのタイヤのついた椅子を僅かに引く。
アザミはそれ以上の追求はやめることにしたらしく、ポケットから新たに金属板を取り出した。
「え? なんで?」
「センパイの体の中には三枚残ってた。条件を揃えるためにあと二枚、装着するぞ」
「そそそ、そんなぁ! さっきのをまたやるんですか!? 二回も!?」
「ああ。死にたくなければ、アタシがミスらねぇようじっとしてろ!」
「待って! 心の準備が出来て……!」
アザミは問答無用で昴の胸倉を掴むと、金属板を持った右手を体の中に突っ込んだ。昴は再び、うひぃと情けない悲鳴を上げるしかなかった。
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