第3話 涼子の執念

 時は五分ほどさかのぼる。

 アザミは死亡予定地からほど近い雑居ビルの中の事務所にいた。そこには死んでから一日たりとも忘れたことのない憎い相手がいた。

 澤村とその部下の男が二人、紛れもなくアザミを死に追いやった三人組だった。


 部屋の隅には椅子に縛りつけられた少女がいる。彼女こそ死亡予定者の娘、岩倉涼子だとアザミにはわかっていた。


「あいつ、ちゃんと来ますかね?」

「もう向かってるよ。見てみぃ、これ、あいつのスマホの位置情報だ」


 澤村はスマホの追跡画面を部下達に見せる。すると部屋の隅にいた涼子が震えながら問いかけた。


「お父さんのこと、どうするつもりなんですか?」

「さぁ、俺達はどうもしねぇよ。ただあんたのお父さんは工事現場で偶然鍵の外れたドアを見つけて不法侵入し、そこで不幸な事故に巻き込まれて死ぬだけだ」

「死ぬ? お父さんのこと、殺すつもりですか? 話が違うじゃないですか!」

「そいつはこっちの台詞だ、お嬢ちゃん。人から借りたものはきっちり返してもらうのが筋というもの。けどあいつはもう返せない。なら保険金でまかなってもらうしかないだろ」

「嫌だ! お願いします。お父さんを助けてください。なんでもしますから!」

「なんでも? それなら一つお願いしようか」


 そう言って澤村は涼子のスカートに手を入れる。

 両手を拘束された涼子は抵抗出来ず、無力にも悲痛な悲鳴を上げる。

 澤村はニタリと下品な笑みを浮かべ、いやらしく手を動かし続けた。


「チッ、見境なしかよ。まるであの日のデジャブだな」


 アザミは澤村の後頭部に思いっきり唾を吐きつけた。


 これまでの経験で、死神が現世に干渉する方法は主に二つあることがわかっている。死亡予定者に直接働きかける方法と電子機器のハッキングによって人を導く方法だ。

 太陽のように死亡予定者の運命を変える場合であれば一つ目の方法で事足りるが、狙った人物を死の運命に追いやるには適さない。

 うさぎの両親のように、運命そのものを引き寄せるほどの決定的な事象を引き起こせれば必ずしも相手に死神の姿が見えていなくてもいいが、死産のような限定された状況はそうそう作れるものではない。


 そこで二つ目の方法が肝要となる。

 アザミが一週間近くも澤村達を張っていたのは、彼らのセキュリティ状態や連絡相手、連絡をするタイミングなどを詳しく調査し、各端末にハッキングに必要なウイルスを仕込むためだった。


 アザミはタブレットを手早く操作し、メールを送った。

 澤村がスマホを開き、メールを確認する。差出人欄には『C』と書いてあるが、メールアドレスはアザミが入手したフリーメールだ。

 ハッキングした時にアザミのメールアドレスを『C』で登録したため、本物のCから来たメールとは見分けがつかない。

 Cが何を意味するのかは不明だが、メールの内容から察するにインビジブルのメンバーであることは間違いなかった。

 当然差出人名をタップすればメールアドレスが違うことに気づくはずだが、頻繁にやり取りしている相手のアドレスをわざわざ確認する人はいない。


 澤村が足元に置いていたスマホが鳴る。通知ウィンドウに表示された差出人の名前を見た瞬間、澤村は表情を引き締め、涼子を放り出してメールを開いた。


「なんだと?」

「アニキ、何があったんですか?」

「ガキ二人が岩倉を工事現場に入らないよう止めているらしい」

「それってまずいんじゃないですか? パックをった時だって、絶対に指示通りに行動しないと失敗するって散々釘を刺されたじゃないですか」

「わかってるよ! だから夜の工事現場っつう誰も寄りつかねぇ場所を選んだんだろうが。こうなったらガキどもをとっ捕まえに現場に行くぞ! お前らも来い!」

「人質はどうしますか?」

「ほっとけ。こっちが先だ!」


 澤村は部下の男二人を連れて事務所から出ていった。

 ここまでは予定通りだ。

 アザミはタブレットの画面を切り替え、死亡予定者の情報を開く。名前は相変わらず岩倉喜朗のままになっていた。


「おせぇな。まだチート能力使わねぇのかよ。まぁいいや。とりあえず澤村を死亡予定地に誘い込むことは出来そうだし」


 一人残された涼子は父親の安否を心配しているのと、男に嫌な場所を触られたショックとで情けなく泣いていた。

 アザミが舌打ちをして事務所を離れようとすると、不意に長テーブルに置かれたスマホが振動し始めた。

 涼子が顔を上げ、スマホに注目する。画面には『お父さん』の文字が書かれていた。


「お父さん! くう……!」


 涼子は拘束から逃れようと椅子に縛られた体をバタバタとさせる。しかし余程きつく縛ってあるのか、どんなに強く手足を引っ張ってもびくともしない。

 それどころか激しく動いたせいでバランスを崩し、顔面から倒れてしまった。


「痛っ。電話に出なきゃ! お父さんに言わなきゃ!」


 そこからは執念だった。

 涼子は根性で体をくねらせながら少しずつ長テーブルの方に体を寄せた。

 そして長テーブルに何度か体当たりを食らわせ、スマホを床に落とした。


「すげーな。アタシには無理だぞ、あれ」


 後は丸いアイコンをスライドさせるだけ。

 しかし手足を拘束されたせいでスマホを操作出来ない。

 涼子は舌や顎でなんとか電話に出ようとしたが、どうしても上手くいかなかった。


「嫌だ! お父さん! お父さん!」


 その時、アザミは持っていたタブレットの画面が妨害電波を受けたように一瞬乱れたことに気づいた。

 改めて死亡予定者の名前を確認すると、文字化けして読めなくなっていた。


「やっと力を使いやがったか。急いで澤村を追わないと」


 アザミは黒い翼を広げて窓から外へ飛びだった。その後ろで身をくねらせていた涼子が急に何かを思い出したように目を見開き、スマホに向かってはっきりと呼びかけた。


「オッケー、グーグル、電話に出て!」


  ◇


 スマホから涼子の声が聞こえてきたのがわかり、太陽とうさぎは顔を見合わせて頷いた。

 岩倉は涼子から自分が殺されそうになっている話を聞くと、この際死んだ方がいいんじゃないかと弱音を吐いた。


「お父さんの馬鹿! 何言ってるの!?」

「りょ、涼子……?」

「お父さんが死ぬなんて嫌に決まってるでしょ!? お金があれば私が幸せになれるなんて、そんなの大間違いだから! 私、アルバイトするよ。一生懸命働く。借金取りが来たっていい、家にいられなくたっていい。でもお父さんは私のたった一人のお父さんだから! 死んだら絶対に許さないから!」

「涼子……」

「だから、お願いだから今すぐそこを離れて! 私は警察呼んで助けてもらうから。お父さんはお父さんのことだけ考えて!」

「ああ、ああ。わかった。お父さん、死なないよ。逃げるよ」

「それから、お父さんのスマホ、位置情報が追跡されてるから今すぐ電源切って。持ったままだと追いかけられる」

「電源を切ればいいんだね? わかった。電話を切ったらそうするよ」


 それから簡単な会話をやり取りして、岩倉は電話を切った。

 たった二、三分の電話の間に岩倉の脂ぎった顔は涙でびしょ濡れになっていた。


「ありがとう。君達のお陰で僕は過ちを犯さずに済んだ」

「はい。よかったです、本当に」


 太陽は確かにそう答えた。

 しかし顔を上げた岩倉は驚いた様子で、周囲を見渡した。


「死神さん? どこへ行ってしまったんだ?」


 その反応で理解した。どうやら運命を変えることに成功したらしい。

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