第2話 命は金なり

 アザミがたっぷり十時間パックマンで遊んだ後――

 太陽とうさぎはアザミに連れられるまま白いパネルで囲まれた工事現場に来ていた。近くに地名を確認出来るものがないが、遠くに赤々と光る東京タワーが見えたので、東京のどこかであることはわかった。


「予定者の場所はこっちだ。ついて来い」


 タブレットを弄りながらアザミが歩き出す。三度目ともなればどこへ向かうのかなどという野暮な質問は不要だと学んでいた。


「今、予定者って言ってたけど……」

「今日、アタシを殺したヤクザ達が、借金を抱えたある男を殺すことになっている。まぁ死神局では事故扱いになっていたがな」

「事故扱いなのに、どうして殺されるってわかったんだ?」

「ヤクザ達が言ってたんだよ。アタシが隣にいることにも気づかず、あいつは債務不履行だ、保険金を受け取るために事故死に見せかけて殺すとベラベラ話してたよ。死神局もずぼらなもんだぜ。殺意があろうが、直接手を下さなければ事故扱いにしているらしい」


 お陰で階級を『凡』に上げれば十分だったから楽出来たがと、アザミは付け加える。


「なるほど……。それで、僕はどうすればいいの?」

「予定者とヤクザの一人との運命を入れ替える。アンタはチートの力を使って予定者が死なねぇように干渉しろ。あとはアタシがなんとかする」

「どうやって?」

「知るか。アンタの力の発動条件はアンタが運命を変えたいと願うことだ。自分で考えろ」

「それならせめて予定者の情報を教えてよ。今のままじゃあ誰が予定者なのかもわからないよ」

「チッ、仕方ねぇな……」


 アザミはタブレットを操作し、ある中年男性の画像を表示して太陽とうさぎに見せた。


岩倉喜朗いわくらよしろう、二年前まで町工場を営んでいたが、不況の煽りを受けて倒産。倒産する前、銀行からの融資を断られてしまったんで、とある親切な男の提案に乗り金を借りた。その男こそ澤村権太さわむらごんた、アタシを追い詰めたヤクザだ。身なりはチンピラそのものだが、人の懐に入って心を開かせることについては天才的なセンスがあり、ヤクザのボスにも気に入られている。そうして様々な人間に融資と称して借金をさせ、高額な利子を課しているらしい。要するに闇金だ。岩倉は利子を返せず逃げ回る生活をしていたが、昨日大切な一人娘が澤村に捕まってしまった。そして今日、姿を見せなければ売り飛ばすと脅されて渋々ここへ出てくる。そして呆気なく事故死するという筋書きだ」

「そういうのってドラマの世界だけかと思ってた」

「こんなのは可愛いもんだぞ。世の中にはもっとえげつないことをしてる奴らがごまんといるからな。インビジブルは完全犯罪のスペシャリストだと言ったが、他にも麻薬売買や人身売買をして、きたねぇ金を稼ぎまくっている。人を金稼ぎの道具としか思ってねぇんだ」

「そうなんだ……」

「さぁ、予定者の情報は渡した。後はロリ島とチビでなんとかしろ。アタシはやることがあるから邪魔するなよ」


 そう言うとアザミは翼を広げてどこかへ飛び去った。


  ◇


 死亡予定地は今太陽達がいる工事現場らしい。

 ヤクザ達はここに娘がいると偽って岩倉を呼び出し、予めクレーンで吊っておいた鉄パイプを落下させて、岩倉を殺めるつもりでいる。

 鉄パイプをくくっているワイヤーに敢えて切れ込みを入れておくことで、狙った時間に鉄パイプを落とせるようになっているらしい。

 単純なようで巧妙な手段だ。確かにこれならば事故発生時に現場にいる必要はなく、事故に見せかけて完全犯罪を完成させることが出来る。

 しかし一分一秒でもタイミングが狂えば、或いは立っている位置がずれれば失敗してしまう。かなり不確定要素の多い方法とも思えるが……。


(こんな方法でも確実に殺せるって確信出来るのはなんでだろう? 僕だったらターゲットを見ながらクレーンを操作しないと心配で仕方ないけど)


 勝率0.01%の勝負を100%の勝利に変える強者。それがあのアザミを死へ追い詰めた敵。

 そう考えれば一見ずさんな方法でも確実に人を殺められるのかもしれない。


 工事現場全体が見渡せるよう、太陽達は建設中のビルの足場で待機することにした。

 死亡予定時刻まで残り十分を切った時、工事現場の入り口に一人の中年男性が現れた。暗いせいで顔はよく見えないが、スマホを片手に懸命に入れる場所を探しているところを見ると、岩倉で間違いないだろう。


「いわくらさん、なかにはいれるの?」

「多分、鍵が壊してあるんだと思う。その場所をメールか何かで伝えてるんじゃないかな」

「ふぅん。あしどめってなにするの?」

「さっき工事現場を隅々まで見て、誰もいないのを確認したでしょ? だからこの中なら僕達も普通に予定者と話をしても大丈夫だと思うんだ。僕がヤクザの仲間のふりをして、娘さんの監禁場所が変わったからすぐに帰るよう説得してみるよ」


 太陽は以前アザミに教わったデベロッパー向けのページを開き、姿の項目を押して年齢の数字をタップした。二十歳くらいの見た目になればメンバーに見えるだろうか。折角ならピアスも開けてしまおうかと考えながら、ページをスクロールしていく。


「せっとくって?」

「えっと……お願いするってこと」

「おねがいすればいいの? わかった! うさぎ、いわくらさんにおうちかえろうっていってくる!」

「あ、待って! 話しかけるのは、中に入ってからで……」


 うさぎは白い翼を広げると、扉を固定するチェーンと外している岩倉の後ろに降り立った。


「いわくらさん、もうすぐゆうれいさんのじかんだよ。おうちかえんなきゃだめだよ!」

「え? 女の子……? どうしておじさんの名前を知ってるの?」

「たいようおにいちゃんがおしえてくれた! いわくらさん、ここにいるとしんじゃうの。だからかえろう?」

「死んじゃう? おじさんが?」


 台無しだと太陽は頭を抱えた。

 いきなり死ぬから帰れと言われて信じる人間はいない。だからこそヤクザの仲間のふりをしようと思っていたのに。


 太陽はタブレットを消し去り、結局姿は変えないままうさぎの隣に降り立った。

 突然空から灰色の翼を広げて現れた少年を見て、岩倉は目を白黒させた。


「一体どうやったんだ? 君達はマジシャンなのか?」

「えっと……信じてもらえないと思うんですけど、死神なんです、僕達」

「死神? 嘘を言うんじゃない。あんなのは空想上の存在じゃないか」

「それが実在してるんです。僕達の姿も、岩倉さんにしか見えてません」

「そんなはずがないだろう。悪いけど、君達の話なら後で聞くから。時間までに行かないと大変なことになるんだよ」


 そう言うと岩倉は太陽を押しのけ、南京錠の外れたチェーンを巻き取り、白いパネルをずらして工事現場の中に入った。太陽達が入って来られないようすぐにパネルの位置を戻してからスマホの画面に視線を落とし、目的地の位置を確認する。

 右へ進めばいいと理解した岩倉が顔を上げた時、目の前に大きな翼を背中に携えた少年が立っていた。


「パネルは閉めたはずなのに……!」

「さっきから言ってるじゃないですか。僕達、死神なんです。壁くらい通り抜けられます」


 死神は、死神が見える状態にある予定者以外に触れようとしても体がすり抜けてしまう。

 その性質を逆手にとって回り込んだのだが、死神はすり抜けた時に内臓を撫でられるような独特の不快感を覚えることになる。

 そのため太陽は殆どこの方法は取らない。

 うさぎもすり抜けるのは嫌なのか、わざわざパネルを飛び越えて太陽を追いかけてきた。

 岩倉は観念したように溜め息をつき、頭を振った。


「わかった。君達が死神だということは認める」

「ありがとうございます」

「だがおじさんはここで人と会う約束をしているんだ。話ならその後で聞くから」

「駄目です。さっきうさぎちゃんが言いましたけど、岩倉さんはここで事故に見せかけられて殺される予定なんです」

「は……? 僕が殺される?」

「はい。というか、だから死神のことが見えてるわけなんですけど」

「何故殺されるんだ? 確かに請求額より少ないが、僕は澤村さんにお金を渡しに来たんだ。殺したら返済出来なくなるじゃないか」

「殺すのは保険金目当てだって聞いてます」

「保険金? まさか、借入する時に契約させられたあの生命保険か……!」

「多分それです」

「なるほど。確かにそれなら、僕が今出せる額よりずっと高いな……」


 岩倉はショックを受けた様子で頭を抱えると、太陽を押しのけて死亡予定地へ向かおうとした。


「な、なんで行くんですか!? 行ったら死ぬんですよ!?」

「構わないよ。僕が死ねば借金が返済出来る。涼子の学費も払える。だったら何も心残りはない。この命を喜んで差し出すよ」

「何を言ってるんですか? 死ぬんですよ?」

「君達子供にはわからないことだよ。世の中には生きていても仕方のないクズがいるんだ。僕がそうだ。中卒で、父の築いた工場すら守れない無能で、いても人の迷惑にしかならない。負け組も負け組なんだ。そんな僕にも一つだけどうしても守りたいものがある。娘だ。娘には僕のような苦労はさせたくない。だからせめて高校だけは出て、ちゃんとした会社に就職して、幸せになってほしい。そのためなら僕は死んだっていいんだ」

「そんなの、おかしい!」


 うさぎの甲高い声が周囲に足場の鉄パイプに反響し、キーンと微かな余韻が響く。

 大きな声に驚いたのだろう、岩倉はビクッと肩をすくませ、うさぎを見下ろした。


「いわくらさんは、こどもにいたいことしないでしょ? いいおとうさんなら、いきてなきゃだめ! しんじゃだめ!」

「いいお父さんなんかじゃないよ。迷惑ばかりかけて……」

「いいおとうさんだよ! うさぎ、わかるもん! いわくらさん、うさぎのおとうさんとちがう! だからしんじゃいけないんだよ! むすめさん、しにがみじゃないんでしょ? いわくらさんがしんでも、たましい、あつめられないんだよ?」


 いつしかうさぎの目からは涙がこぼれていた。太陽も岩倉も驚き、互いに顔を見合わせた。


「どうしたというんだ?」

「その……うさぎちゃんは色々事情があって、一週間前に両親の魂を回収していて……」

「魂を回収している?」

「それが死神の仕事なので。僕もうさぎちゃんも自殺した人間なんです。魂を集めるのは、自殺した罪を償うためなんです」


 太陽は両手を前に出し、大鎌を出す。


「これで人を斬ると、体と魂を切り離せます。すり抜けるので体に傷がついたりはしません」

「そこのうさぎという子は、この大鎌で両親の命を?」

「はい」


 うさぎは両手で目をこすり、静かに泣いていた。子供ならもっと煩く泣きそうなものだが、うさぎはもう声を上げずに泣く方法を身に着けていた。

 何か胸にグッとくるものがあったのだろう、岩倉も目に涙を浮かべて、うさぎの前に屈むとそっと頭を撫でた。


「こんなに小さいのに、可哀想にな……。おじさんがしようとしていることは、自殺と何も変わらないのかもしれないな」


 それでも、と岩倉は苦々しく表情を歪める。


「僕は、僕が情けない。借金まみれで、いつも頭を下げてばかりで、おまけに顔も悪くて髪も薄い。それでも娘は僕を父親と認めてくれるだろうか? 借金まみれでも一緒に生きたいって言ってくれるんだろうか?」

「言ってくれます。きっと」


 力強く太陽が言い、スマホを握った手をそっと取る。


「娘さんに電話して、直接訊いてみましょう。借金を背負ってでも一緒に生きたいか、お金をもらって一人で生きたいか」

「しかし、娘は今澤村さんに捕まっているんだ。さっきも電話をしたが、繋がらなかった」

「大丈夫です。電話なら繋がります」


 運命が変わるなら。願いにも似たその想いを太陽は自分に言い聞かせるように心の中で呟く。


「もう一度だけでいいです。僕を信じて、電話をかけてみてください」

「……わかった」


 連絡先から『涼子』と書かれた電話番号を選択し、耳に当てる。微かにコール音が聞こえてきた。

 一回、二回……五回以上聞こえてきたが、誰も出る気配がない。

 そのまま十回、十五回とコール音が続く。


(繋がれ、繋がれ……お願いだ! この人がこのまま食われる側で死ぬくらいなら、運命よ、変わってくれ!)


 バチッ。


 太陽の目の中で火花が始める。するとコール音が途切れ、泣いているような呼吸音が聞こえた。


「もしもし、お父さん……?」

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