第5話 止まらない暴力

 死神局に行くとアザミはうさぎの端末を使って何やら仕事を受注し、転送ゲートを通って現世に飛んだ。

 転送の光が消えると、見たこともない街が広がっていた。路上の青看板を見てみると、静岡とあった。


「チビの家はこっちか。おい、ついてこい」


 うさぎのタブレットから予め調べていたのだろうか、自分のタブレットにうさぎの家の住所を入力したアザミがさっさと歩き出す。太陽はうさぎと手を繋ぎ、その後に続いた。


 うさぎの家は市営団地だった。

 アザミは部屋の位置を見定めると黒い翼を広げてベランダまで飛んだ。太陽もうさぎをぎこちなく抱えてアザミに倣う。

 部屋は所々にカビの生えたレースのカーテンで隠されていて、中はぼんやりとしか見えない。

 しかし、窓が開いているお陰で会話は聞き取ることが出来た。


「ハローワーク、どうだった? 新しい仕事は見つかりそう?」

「いや。どいつもこいつもろくな仕事紹介してこねぇ。半年もプーだからって足元見てんだろ」


 うさぎは穴が開くほどカーテン越しの二つの人影を見ている。間違いない、両親だ。


「そっか。あのね、私も何か出来ないかと思って、仕事、探してみたの。駅の向こうのマックスバリュなんだけど、総菜担当募集してるって」

「総菜? そんなの女の仕事だろ?」

「ううん、男の従業員さんも結構いるって。未経験でもちゃんと教えてくれるみたい。アルバイトだけど、ゆうちゃんもこれならきっと……」


 カシャンとテーブルを叩く音が聞こえ、窓ガラスに潰れた発泡酒の缶が当たる。父親と思われる人影が母親に覆いかぶさり、襟首を掴んで頭を揺さぶった。


「見下してんだろ。この一年ろくな稼ぎしてない俺のことを!」

「み、見下してないよ。ゆうちゃんは誰よりも頑張り屋で……」

「見下してるだろ! 俺がスーパーの総菜担当だと? やるわけねぇだろ、んなクソみたいな仕事!」


 ゴツンと鈍い音が聞こえる。どうやら母親が床に頭をぶつけたらしい。

 太陽の隣にいたうさぎが頭を抱えてうずくまった。うさぎにとっては見知った光景なのだろう。


(酷い。奥さんは旦那さんのために必死になって仕事を見つけてきたのに、こんな恩を仇で返すような真似……!)


 その後も一方的に父親が母親を殴っているらしく、ゴン、ゴンと鈍い音が続いた。母親は無力に丸くなり、振り下ろされる拳をしのいでいる。


「ゆ、ゆうちゃん。お願い、やめて!」

「クソ! クソ! 舐めやがって!」

「お腹の子に障ったら大変だから! ゆうちゃんの子だよ。お願いだから、大事にしてあげて!」


 うさぎがはっとした様子で顔を上げる。父親も我に返ったように殴る手を止め、今度は涙声になって母親を抱き起した。


「そうだ。奏のお腹の中には新しい命が宿ってんだよな。殴ってごめんな」

「ううん、本当はゆうちゃんが優しいの、よく知ってるから。私こそ、ごめんね。総菜担当のアルバイトなんて、ゆうちゃんには酷すぎたね」


 荒々しい状況から一変し、二人は絆を確かめ合うように腕を絡める。うさぎは安堵したように溜め息をついた。


「どんなに殴られようが、たまに見せる優しさこそ本性だと思い込み、許してしまう。DV被害者にはよくある話だな」

「信じられない。あれだけ殴ってきた相手なのに」

「珍しく意見が合うじゃねぇか。ま、当事者の気持ちなんざ、外野の人間には到底理解出来ねぇもんなんだろ」


 今度はチュッチュッとねちっこい音が聞こえてくる。

 アザミはそろそろ撤退だと言ってベランダから降り、団地のそばにある空き地まで飛んだ。


「もうわかっただろ? アンタがいようがいまいが、あのプー太郎は母親を殴ることをやめなかった。外へ行けば弱者でしかない自分に嫌気がさして、家の中にいた手頃な弱者をなぶることで自分を保ってる。正真正銘のクズだよ。死ななきゃ治らねぇほどのな」


 うさぎは首を強く振った。タブレットには『おとうさんはくずじゃない』と書いてある。


「ハッ、やれやれ。こいつも立派な当事者だったな。完全に価値観がイカれてやがる」

『おとうさんをわるものにしないで』

「だがアンタの母親を傷つけてるのは父親だ。その事実はアンタだってわかってるはずだ」


 うさぎは涙目になってタブレットのキーボードを打つ。

 しかしその途中でアザミがタブレットを取り上げてしまった。


「いい加減喋れないふりはやめろ。言いたいことがあるなら直接言え! アンタの口で! 声で!」

「……!」


 うさぎは悔しそうにアザミを睨んでいる。

 太陽はたまらずうさぎの前に立ち、アザミに詰め寄った。


「もうやめてくれ! 僕相手ならともかく、うさぎちゃんはまだ本当に子供なんだぞ!」

「子供じゃねぇ。死神だ」

「好き好んで死神になったわけじゃない。わざわざ両親のことだって見せることはなかったじゃないか! 無神経すぎるぞ!」

「なんだよ。ちょっとは根性見せたかと思えば、また弱者に逆戻りか」


 アザミは翼を広げると、太陽の胸ぐらを掴み、ブロック塀に追い詰めた。


「勝手に弱者って決めつけてんじゃねぇ! そうやって弱い者扱いするからこいつはいつまで経っても食われる側なんだろうが!」

「だからってこんなの酷すぎる! 全部君の押しつけじゃないか!」

「押しつけだぁ? 寝言は寝てから言え、ロリ島! こいつはたった四歳で死神になった。。文字通り右も左もわからねぇような歳で自分の人生を決めたんだ! アタシやキサマなんかより、よっぽど強者寄りだろうが!」


 太陽は言い返そうとしてその口を噤む。胸ぐらを掴むアザミの後ろで、うさぎが大鎌を構えて立っているのが見えたからだ。

 色の薄い茶色い目は真っ直ぐアザミの背中を捉え、威嚇するように歯を食いしばっている。


「ほぅ、いい顔するじゃねぇか」


 アザミは太陽にうさぎのタブレットを押しつけてから離れると、うさぎの大鎌を押し戻し、耳元で囁いた。


「一ついいことを教えてやるよ。死神の大鎌は死神には効かねぇ。構えても無駄だ」


 うさぎは悔しそうに唇を噛んで大鎌を下ろした。

 アザミは勝ち誇ったように犬歯を剝き出しにした。


「ところでロリ島、さっきチビのアカウントを使って受注した仕事だが、三十分後にこの近くの交差点で起こる交通事故だ。助手席の妻が突然車内で破水し、慌てた運転手の夫か信号無視して交差点に侵入、そこへ大型トラックが突っ込むとある。更に言えば、チビの両親はあと二十分もすれば買い物のために車に乗ってスーパーに向かうことになっている。何が言いたいかはわかるな?」


 太陽は渡されたうさぎのタブレットを見て、今アザミの言った内容が表示されていることに気づく。


「まさか、この夫婦とうさぎちゃんの両親の運命を取り替えろってことか?」

よくできましたW e l l  d o n e

「そんなの、あんまりだ! うさぎちゃんに両親の命を奪えだなんて!」

「決めるのはあくまでそこのチビだ。外野がとやかく言うことじゃねぇ。だがそのチビに運命を変える力はない。もしそいつが心を決めたら、アンタ、手伝ってやりな」


 アザミはそう言い残すと、黒い翼を広げてどこかへ飛び去ってしまった。

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