第6話 幼子の願いは
ひとまずうさぎのアカウントで仕事を受けてしまっている以上、死亡予定者の所には行っておいた方がいい。
太陽とうさぎは団地を後にし、タブレットの地図に表示された予定者の現在地に向かって移動を始めた。
「さっきの話、どうするの?」
うさぎは考え込むようにして傍の通りに目を向けた。
片側一車線のどこにでもある車道だ。夫婦はこの通りを運転中に死ぬらしい。ここから三つ先の信号のある交差点が死亡予定地だ。
「あの人、ちょっと頭おかしいんだ。自分勝手というか、人の気持ちがわからないというか。だから無理に聞く必要なんてないからね。僕には運命を変える力があるらしいけど、変えないでいることも出来るから。多分」
うさぎはタブレットを取り出し、『だいじょうぶ』と打った。
しかしその表情は暗い。
アザミの言葉を気にするなという方が無理な話だろう。
事故死の案件を受けられるということは、うさぎの階級は少なくとも『凡』に上がっていることになる。それがブラザーの援助によるものだったとしても、少なくとも人が死ぬ現場は目にしているはずだ。
幼くても、人が死ぬということが何を意味するのか、わからないわけがない。
(もうこうなったら、僕が代わりに予定者の魂を回収して……)
そんな考えが頭をよぎった時、うさぎがおもむろにタブレットに文字を打った。
『おかあさんをどうしたらたすけられる?』
それは太陽に対する問いかけだった。
答えは簡単だ。しかし言えない。言えるはずがない。
『おとうさんをころすしかない?』
「え?」
『おかあさん うさぎがしぬまえとおなじだった。うさぎはおかあさんをたすけられなかった。おとうさんをころせばたすけられる?』
「それは……」
太陽が口に出来なかった答えを、この幼子は淀みなく記した。
そのことに驚いた。
うさぎは全てを受け止めた上で、自分のなすべきことと正面から向き合おうとしているのだ。
(そっか。影咲さんの言った通り、この子は死神なんだ。四歳で自殺を選択出来たほど強くて、無謀すぎる子なんだ)
――勝手に弱者って決めつけてんじゃねぇ! そうやって弱い者扱いするからこいつはいつまで経っても食われる側なんだろうが!
今になってアザミの言った言葉が理解出来る気がした。
確かに子供だから出来ないと勝手に決めつけていた。
この子は殺されたのではなく、自分で自分を殺したのだ。その重大さがようやく理解出来た。
「ねぇ、あの男の子の背中、羽あるよ。なんかのコスプレ?」
「さぁ。女の子がしてるなら可愛いけど、私服に羽ってどんな趣味だよ」
ふと声が聞こえて顔を上げると、先頭で信号待ちをしている赤い軽自動車に乗った夫婦が太陽達に怪訝そうな目を向けているのに気づいた。
死神の姿が見えている。
慌ててうさぎに死亡予定者の現在地を表示させるように言うと、やはりその夫婦が死亡予定者であることがわかった。
(死亡予定時刻まであと三分しかない。ここで車が発進したら確実に事故が起きる)
太陽が考え込んでいると、うさぎはタブレットを手早く操作した。
七十センチも身長差があるお陰で、少し覗き込めばうさぎの手元が見えた。
うさぎは文章を打っていたのではなく、デベロッパー向けのページにある『姿』の項目を弄っていた。
声帯 薬傷による深刻な損傷
状態を示す項目をタップして文字を消し、別の項目にあった『異常なし』の文字列をコピーすると、そこに貼りつけた。右上の確定ボタンを押すと、うさぎの喉の辺りが淡く発光した。
強い違和感に驚き、うさぎの手からタブレットが滑り落ちる。タブレットは地面にぶつかる直前で光となって霧散した。
「……もう……」
「え?」
「……もうしゃべれないふり、しない! おとうさんにまけてばっかのうさぎはやめる!」
甲高い声ではっきりとそう言った。見た目から想像した通りの可愛らしい声だった。
それは反逆の決意なのだと嫌でも理解出来た。うさぎは奪われてばかりの弱者から、力をふるう強者に這い上がろうと固く心に決めた。
戦うことを選んだのだ。
「本当にお父さんとあの人達の運命を入れ替えるの? お父さんが死んでもいいのか?」
「いい! うさぎはおかあさんをたすける!」
「絶対に後悔しない?」
「しない! だからうんめい、かえて!」
当事者であるうさぎがそう願うのなら、太陽に止める権利はない。
太陽も心を決めた。
「どうすれば運命を変えられるかはわからないんだけど……。このまま発進したら多分あの夫婦が死ぬ。だから足止めしないといけないと思う」
「あしどめ……。ならうさぎ、いいこと思いついた!」
うさぎは大鎌を扇風機の羽のようにクルクルと回し始めた。気がつかなかったのだが、うさぎの大鎌の柄には紐が通してあり、うさぎは紐を持って大鎌を回していた。
ヒュンヒュンと半月型の刃が風を切る音が次第に高くなり、音色自体も変わっていく。そして耳慣れたある音に変わっていった。
ピーポーピーポーピーポーピーポー。
死亡予定者の夫婦が周囲を見回し、一体どこから音が近づいてくるのか見定めようとする。うさぎは徐々に回転速度を上げ、少しずつ音を強めた。
「救急車の音?」
「これきこえたら、おとうさん、くるまとめるの。とおりすぎるまで、とまってないといけないんだって」
「よく知ってるね」
「うさぎ、おとがだいすきだから。ピーポーもウーウーも、ぜんぶおぼえてるよ」
小さな子供はびっくりするほど親の行動を観察しているという話は聞いたことがあるが、目の当たりにするのは初めてだった。
それにしても、一体どうやって音を出しているのだろう?
不思議に思ってうさぎの大鎌をよく見ると、刃の部分に縦笛のような穴が開いていることに気づいた。
(大鎌の変形!? こんな小さな子にも出来るのか!?)
思っていたより立派に死神だった。この幼子、侮れない。
自分が落ちこぼれすぎるだけなのかもしれないが。
前を見ると、夫婦が救急車の姿を探して交差点を覗き込んでいるのが見えた。
後続車の青年は何故発進しないのか苛々してクラクションを鳴らした。
信号は既に青に変わっていた。
(このまま……信号が赤になるのを待てば……)
うさぎは大鎌を振り続ける。薄い茶色い目は真っ直ぐ夫婦を見据えていた。
強者の瞳だ。
この幼子は純白な心のまま、真っ黒な大鎌をふるって断罪者になるつもりなのだ。
(変われ……。僕にその力があるなら、運命よ、変わってくれ!)
太陽は強く願う。
自分の罪すら理解出来ない愚か者は、皆等しく葬られるべきだ。石田の件でそう学んだじゃないか。
バチッ。
太陽の瞳の中で火花が弾ける。その瞬間、夫婦の後ろでクラクションを鳴らしていた青年がしびれを切らしてアクセルを踏み、夫婦の車に追突した。
「何するんだ!」
「信号が青になっても発進しねぇのがいけねぇんだろうが!」
途端に死亡予定者の夫と青年が車外に出て言い争いになる。夫に続こうと外に出た妻が急に腹を押さえて倒れ込んだ。
大量の液体が妻のスカートを鈍い色に染めていく。破水したのだ。
このような混沌な状況に陥れば、この夫婦が三分後に死亡予定地に辿り着くことは万に一つもないだろう。
運命が変わったんだのだ。
呆然とする太陽の顔をうさぎが目を丸くして見上げ、嬉しそうに笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます