第2章 純白の断罪者

第1話 新たなルームメイト

 石田和馬が死んだ。

 三年前、散々自分を苦しめ、屈辱を味わわせ続けてきたあの石田が呆気なく命を落とした。

 死神局に戻り、完了手続きを進めても、太陽はまだ夢でも見ているような気分だった。


 車が突っ込んでくる直前、片桐の手を取ったことで確かに運命が変わったのだ。その証拠に、受注時は片桐葉月と書かれた死亡予定者の名前がいつの間にか石田和馬にすり替わっていた。

 アザミは死神局の端末にはアクセスしていない。運命が変わったから名前も変わったのだとしか説明のしようがなかった。


 鳥籠に収めた石田の魂を端末横の円盤に置く。魂が提出され、『Mission accomplished』の文字が表示される。ここでようやく実感した。

 もうあいつはこの世にいない。転浄てんじょうの門を通って魂が真っ新な状態に初期化され、次の時代に生まれ変わるのだから。


(でも、こんなことしてよかったのかな……?)


 恨んでいたとはいえ、運命を変えて目的の人物の命を奪うというのは私刑でしかない。アザミは「死神が人を死に追いやって何が悪い」と気にも留めていない様子だったが……。


(裁きを受けろと言われたらちゃんと受けよう。でも僕は石田に復讐したことを絶対に後悔しない)


 もう誰かに踏みにじられ、軽んじられる人生は歩まない。死んでから三年経って、ようやく一人の人間として真っ当な尊厳を得られた気がした。


 既に時刻は夜八時を回っていた。

 そろそろ疲れた。帰って寝たい。

 アザミは先に帰ると言っていたのでここにはいない。また明日になればタブレットの位置情報を頼りに会いにきてくれるだろう。


 正面の自動ドアをくぐり、死神局の外に出る。全ての死神が日夜立ち寄るその役所は巨大な電波塔の形をしていた。たとえるならスカイツリーだろうか。

 実際のスカイツリーでは展望台となっている部分は資料庫となっているらしく、太陽達は立ち入ることが出来ない。

 しかしあそこへ立ち入れたとしても大した景色は拝めないだろう。死神の住む世界は村か、せめて町くらいの大きさしかないのだから。


 死神局の前に広がるのは寝転んだり弁当を食べたりしてのんびり過ごせる芝生の公園。近くには大きな池があり、その外周は散歩やランニングに適した特殊な柔らかいアスファルトで舗装されている。生前、運動を趣味にしていた死神達に向けて作られた場所だという。

 転浄の門をくぐる許可が下りるまで――正確には百個の魂を回収するまで――何年続くかわからない死神としての生活を充実させるため、この世界にはある程度の娯楽施設があった。噂によると海外の死神の拠点には遊園地もあるらしい。


 公園を突っ切り、昔懐かしいこじんまりとした商店街の目抜き通りを抜けると、その先は集合住宅の立ち並ぶ住宅街になっていた。一部の特別な死神を除き、全ての死神はここで寝泊まりしている。

 いわば寮のようなものだ。

 住む分だけなら費用もかからず、一人で住むのも複数で済むのも自由なため、死神の世界にはホームレスも家出青少年もいない。


 右から二番目に立つB棟の四階、そこに太陽の部屋はあった。詳しい仕組みは知らないが、生体認証システムでも搭載されているらしく、オートロックのドアは手をかざすだけで開錠された。


(あれ? 何の音だろう?)


 ドアを開けて太陽は異変に気づく。誰もいないはずの部屋からバシャバシャと水の流れる音が聞こえる。

 もしかして別の人の部屋に入ってしまったかと表札を確認するが、自分の名前で間違いはない。太陽は生唾を呑み込み、忍び足で音のする方へ近づく。


 音の出どころは風呂場だ。誰かがシャワーを浴びているらしい。

 一体どんな脱ぎ方をすればこうなるのか、風呂場のドアの前には脱ぎ散らかした紺色の制服が散乱していた。


(まさか、今シャワー浴びてるのって……)


 半開きになったドアを指先で押して中を覗き込むと、そこには女物の下着が落ちていた。ひっと短い悲鳴を上げて慌てて視線を逸らす。

 何も見なかった。見ていない、何も。


「あー、生き返る~! 脳天からシャワー浴びるのってこんなに気持ちいいのかぁ!」


 浴室を仕切る半透明のシャワーカーテンの向こう側で、黒と肌色のシルエットが大きく伸びをし、シャワーを止める。間髪入れずにシャワーカーテンがサッと開かれた。


「お」

「いい!?」


 全身からしずくを滴らせた少女が太陽を見ている。胸まで伸びた髪の下から雪見だいふく程度の大きさの二つの膨らみがちらりと見えた。


「ご、ごめん! わざとじゃなくて!」

「ちょうどいいところに帰ってきた。タオルどこにあるかわかんなくて困ってたんだよ」


 アザミはシャワーカーテンを体に巻きつけると、浴槽から出て太陽に歩み寄った。


「待って待って、なんで出てくるの!? びしょびしょだよ!? てか透けてるから!」

「あと着替えくれ。アンタの寝巻で我慢してやるから」

「お願いだから近づいてこないで! 目のやり場に困……うわっ!?」


 後ずさるうちに落ちていたスカートを踏んづけてしまい、つるりと滑る。咄嗟に大勢を立て直そうとして更にバランスを崩し、世界が百八十度ひっくり返る。

 気がついた時には太陽は仰向けになったアザミの上で四つん這いの格好になっていた。


「ああ、ご、ごめ……!」


 コンコンと玄関ドアを叩く音がする。太陽は四つん這いのまま肩をビクッとさせた。


「霧島君、ちょっとお話があるんだけど、開けていいかな?」

「鳥海さん!? あ……ちょっと、今は手が離せなくて……!」

「あらそう? ならマスターキーあるから、開けちゃうね」

「ま、待ってください! 手が離せないっていうのはそういう意味じゃなくて……!」


 鍵の開く電子音がし、玄関ドアが開く。

 シャワーカーテン一枚のアザミの上で四つん這いになる太陽を見て、智里は一瞬きょとんとし、すぐに笑顔になった。


「あらまぁ、霧島君ったら大人しく見えて大胆なことするのね」

「違うんです! これは、事故で!」

「大丈夫よ~。霧島君も年頃だし、死神の体ならうっかりデキちゃったなんてことにもならないものね! あ、でも、相手の同意はちゃんと取らないと駄目よ?」

「だからそういうんじゃないですから!」

「ほぉーん、デキねぇっつーなら面倒事が減っていいな。なぁセンパイ?」

「君も、誤解を招くようなことを言わないで!」


 そんなことよりまずはタオルだ。太陽は弾かれたように立ち上がり、洗面台の上の棚からバスタオルを取り出すとアザミにかけた。


 ひとまずアザミには太陽が寝間着にしているジャージを貸し、びしょ濡れになった床をバスマットで拭いた後、太陽達は居間にしているフローリングに腰を落ち着けた。


「ごめんなさいね。私ったら変に勘違いしてしまって」

「もうその件はいいです……。それで、どうして影咲さんが僕の部屋にいるんですか? 鳥海さんが知ってるってことは、侵入してきたわけじゃないんですよね?」


 鳥海は太陽に定期的に面談を行う指導者の立場であると同時に、太陽の住む集合住宅の管理者でもあった。誰がどこに住んでいるのか当然把握している。


「夕方頃、影咲さんから直々に連絡があって、今日から影咲さんには霧島君と同室になってもらうことにしたの。影咲さんから霧島君も同意してるって聞いてたし、シスターやブラザーが同室になるのは珍しいことじゃないから、私も手続きを進めてしまっていて。でもその様子じゃあ、手違いがあったみたいね」


 そのため、アザミも手をかざすだけで玄関のロックを解除出来るようになっていたらしい。

 アザミはうっかりしてましたと後輩モードになってわざとらしく肩を竦めた。


「手違いだったならすぐにでも元に戻してあげたいところなんだけど、生憎影咲さんが使ってた部屋は新しい死神が入っちゃったし、空き部屋はあるけど、この時間だとベッドや家具の手配は難しいのよね。申し訳ないけど、今夜だけは影咲さんを泊めてあげられないかしら?」

「ええー……。僕男ですし、鳥海さんの部屋の方がいいと思いますけど」

「嫌ですよ、先輩! もうジャージに着替えちゃいましたし、先輩ドライヤー持ってないから髪もびしょびょですし、こんな姿で外に出られません~」


 アザミは弱々しく手を組み、潤んだ目で太陽に訴えかける。君が勝手にやったことじゃないかと喉まで出かかったが、智里が同情するように深く頷いたのを見てこらえた。


「そうねぇ。死神の体なら風邪は引かないけど、私もお風呂上がりの格好で外を歩くのは嫌かな……」

「そういうもんなんですか?」

「そうよ。影咲さんだって女の子だもの、だらしない格好で外には出たくないはずよ。だから霧島君、私からもお願い! 今夜だけでいいから、影咲さんを泊めてあげて」


 鳥海は両手をパンと合わせて頼み込んできた。茶色い垂れ目でじっと見つめられ、心臓がトクンと跳ね上がった。

 必死な顔もなんと可愛らしいことか。


 ……断われない。


「今夜だけなら、いいですけど……」

「ありがとう。さすがブラザーね!」


 鳥海は頼りにしていると言わんばかりに太陽の肩を叩くと、自分のタブレットを取り出した。


「それじゃあ、一日だけでも同室になったってことで、霧島君もサインもらってもいい?」

「はい。わかりました」


 太陽は指先でタブレットの署名欄にフルネームを書いた。これで手続きは完了らしい。智里はそれじゃあ仲良くと言って軽やかに手を振ると、玄関ドアから帰っていった。


「つーわけだ。これからよろしくな」

「……明日になったら本当に新しい部屋に移ってもらうからね」

「嫌だ」

「は!?」

「アタシは一人では暮らせない。こっちに来てから痛感した。だからアンタをアタシの世話係に任命してやることにした。喜べ」

「世話係って、何それ?」

「そのまんまだよ。食事の準備から着替えの手伝い、必要な機器の手配に事務手続き、なんでもやってもらう。まぁシモの世話までしろとは言わねぇよ。死神の体じゃあ出ねぇからな」

「それくらい、君なら自分で出来るでしょう……」

「生前は世話係が全部やってた。アタシは特別だからな」


 一体どんな育ち方をすればこんな横暴になれるんだ。太陽は深く溜め息をついた。


「悪いけど、僕にも都合ってものがあるから。ここでの暮らし方についてはアドバイスするけど、プライベートは分けさせてもらうよ」

「不可能だよ。転居手続きには転居者本人の署名が要る。そう、本人のだ。アンタは嫌がってるアタシからどうやって署名をもらうつもりだ?」

「そ、それは……」


 嵌められた。アザミは完全に転居システムを理解した上でごねていたのだ。

 太陽は髪の毛をわしゃわしゃと掴み、声にならない声を上げて悶絶した。

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