第5話 復讐の時

 日が沈んだ住宅街は一定距離に設置された街灯に照らされ、段差に足を取られない程度には明るく、現実感を隠すには十分暗く、居心地がよかった。

 どこかあどけなさの残る二人は、互いの繋がりを確かめ合うように指を絡めて歩いていた。小一時間、あてもなく付近を歩き回った後、車の行きかう交差点で足を止める。ここが二人の家路の分岐点だった。


「信号、青だぞ」

「かず君見送ってから帰る」

「もう、甘えん坊なのはいいけどさ」


 石田はそっと片桐の肩を抱き寄せ、トントンと指先で叩く。


「俺は次の信号で行くからな」

「信号、ずっと変わらなければいいのに」

「明日になったら会えるだろ」

「でもかず君忙しいから、一緒に出掛けてくれない。今日だって一ヶ月記念なのに……」

「ちゃんと時間作るから。な?」


 右手にある歩行者信号が点滅し、赤になる。まもなく車の信号も黄色を経て赤へ。そして進行方向の信号が青に変わった。

 誰かが悪戯で音響ボタンを押していったのだろうか、視覚障害者用の電子メロディーが突然鳴り出す。


 とーりゃんせ、とーりゃんせ、こーこはどーこのほそみちじゃ?


 メロディーに合わせて誰かが歌っていると気づき、片桐は顔を上げた。いつの間にか横断歩道を挟んだ向かいに紺色のセーラー服を着た少女が立っていた。この辺りでは見かけない制服だ。

 少女は青信号になっても道を渡ろうとしないで、まるでお遊戯でもするように両腕を振って歌っている。無邪気なようでどこか異様だ。

 ぞわりと背中に悪寒が走る。石田の腕に絡めていた手に自然と力がこもった。


「なぁ、俺そろそろ道渡りたいんだけど……」

「あ、ごめん。それじゃあ、また明日ね」


 片桐は石田を解放し、控え目に手を振る。石田は爽やかに微笑んだ後、正面を向いて面倒臭そうに鼻を鳴らした。

 セーラー服の少女――アザミはタイミングを見計らったようにニヤリと笑う。やや大袈裟な動作で両手を構えると、身の丈ほどある大鎌が現れた。


「かず君……!」


 片桐は咄嗟に石田に駆け寄り、腕を引いた。片桐の鬼気迫る声に石田は思わず飛び上がる。


「どした、急に大きな声出して?」

「だ、だって! 危ないから!」

「は? 危ない?」

「危ないじゃん!」


 明らかに怯えている様子の片桐を見て、石田は眉を吊り上げて視線を辿る。片桐が注視する道の向かいには


「いいから離せよ。帰れねぇだろ」

「ダメ! これ以上行っちゃ……!」


 タン、タンとローファーの軽い靴音が近づいてくる。片桐は石田の背中越しに前を見て悲鳴を上げた。

 大鎌を構えたアザミが手の届く所まで迫り、ご馳走でも見るような猟奇的な目を二人に向けていた。


「運命のときが来た。今宵、アタシはアンタらに死の裁きを下す。己が罪を悔いるがいい!」

「あ、ああ……」

「どうしたんだよ、片桐? 何をそんなに怯えて……」

「なんで? わかんなかったの? あの子、私達を殺すって言ったんだよ!?」

「あの子……? 誰のこと言ってんだよ?」


 通りゃんせのメロディーがプツリと途切れ、信号が点滅を始める。赤信号になる前に道を渡りきろうとする石田を片桐は必死に引き留める。


 アザミは大鎌の柄を地面に突き立てた。街灯に淡く照らされた大鎌の影があやしくうごめき、次の瞬間カマキリの鎌のような無数の刃を形作って、アザミの背後に仁王立ちした。


「やばいやばいやばいやばい!」

「やばいのはお前だって」

「走って! こっち!」

「おい! 引っ張るな!」


 片桐は石田を連れて元来た方へと横断歩道を駆け、交差点から離れる方向に逃げようとした。

 しかし行く手を塞ぐように黒い影が立ち上り、中からアザミが現れる。

 喉が張り裂けそうなほどの悲鳴を上げ、片桐はまだ赤信号のままの横断歩道を――片桐が一人で行くはずだった家路、死亡予定地である駐車場の方角へ――渡った。


 走りながら後ろへ振り返る。アザミは悠然と後を追いかける。

 道から現れたトラックがアザミを正面から捕らえても、実体のない体は音もなくすり抜けた。


「ゆ、幽霊なの……?」


 足取りは遅いのに、その体は滑るようにスライドし、じわりじわりと距離を詰める。

 影の刃が一本伸び、片桐の肩すれすれを切り裂く。バチッと静電気が弾けて鋭く発光し、片桐は半泣きになって走る速度を上げた。


「ハハハハハ! 逃げられるとでも思ったか! 食われるだけの下民どもが!」

「やだ! 来ないで! 来ないでー!」

「なぁ、本当に幽霊がいるのか? 俺、霊感ないからわかんないんだけど」

「私だってないよ! けど、追ってきてるの!」


 二人は片桐の死亡予定地、スーパーの駐車場入り口前に差し掛かる。すると駐車場からふらりと一人の人物が現れた。片桐は咄嗟に足を止め、石田を掴んでいる方とは逆の手で口を覆った。


「霧島君……?」


 グレーの制服に身を包んだ冴えない表情をした少年。

 三年前と全く同じ姿をしたクラスメートを見て、片桐は言葉を失った。


「霧島って高校の時の? ここにあいつがいるって言うのか!?」

「うん。目の前……こっち見てる……」


 太陽は黙って片桐の前へ足を進める。片桐は息を呑み、へなへなとその場に座り込んだ。


「そっか……これ、きっと報いなんだよね……霧島君を死なせた、私達の……」


 石田を固く掴んでいた手がするりと離れる。片桐はアスファルトに額がつきそうなほど、深く頭を下げた。


「ごめんなさい。私、ずっと見て見ぬふりをしてた。不幸を振りまいてくる霧島君がいけないんだって思ってた。でも、死ぬほど苦しかったんだよね……恨むよね、普通に……」

「片桐……」


 まさか謝られるとは思っていず、太陽は狼狽うろたえる。

 一方、その横に立つ石田は虚空に向かって謝罪する片桐を冷ややかに見下ろしていた。


 あの目を知っている。


 ミミズ入り焼きそばを口に押し込んできた時、或いは階段から突き落としてきた時、石田は同じ目をしていた。

 目の前の人間が格下だと蔑む目。異常者だと排斥する目。

 自分だけは安全圏にいると信じ切っているが故の、嘲笑しているような憎たらしい目。


(石田、お前って奴はどこまでも……!)


 ブルルルン。

 道路を挟んだ向かいのクリーニング店で銀色のワゴン車がエンジンをふかす。あの運転手がアクセルとブレーキを踏み間違え、今片桐達の場所に突っ込んでくる予定だ。


 運命の刻が迫る。

 運命とはなんだ? 誰がこんなでたらめな筋書きを決めたのだというのだろうか?

 神か? 何の神だ?

 死の神はここにいるというのに。


 バチッ。


 太陽の茶色い瞳の中で火花が弾けた。それを正面から目撃したアザミが勝利を確信したようにほくそ笑む。


「片桐、こっち!」


 太陽は片桐の手を取ると、強く引っ張り上げた。つんのめりながらも立ち上がり、片桐は太陽と一緒に走り出す。

 その様子を不思議そうに見ていた石田を、車のライトが照らした。眩しさに細められた目が驚きで大きく見開かれる。

 それからは、たった一秒の間に起きたことだった。

 パニックになった運転手はアクセルを踏み込み、車は急加速し、進行方向にいた石田の体をすくい上げた。そしてガシャンという爆発音にも似た金属の潰れる音とともに、一番手前に駐車していた車に突っ込んだ。


「ってぇな……あ?」


 呻きながら目を開いた石田は自分の体をみて戦慄した。自分の腹部は車と車に挟まれ、大量に出血し、買ったばかりのブランド物のTシャツを赤く染め上げていた。

 自分の状態を認識したことで、脳が受け止めきれなかった痛みが一気に押し寄せ、体がちぎれるような激痛が神経を焼いた。


「きゃああああ! かず君!」


 惨状を目にした片桐が石田に駆け寄ろうとする。それを片桐の前に現れたアザミが阻んだ。手には大鎌はなく、先程までの狂気じみた表情も消えていた。


「そいつのスマホ、見てみな」


 アザミが顎で指した先には、衝突の衝撃で吹っ飛んだらしい石田のスマホが落ちていた。片桐は言われるがままスマホを拾い、画面をつける。

 ロック画面に並んだLINEの通知内容を見て愕然とした。そこには大学で同じサークルに所属する女の名前と、週末に控えた遊園地デートを楽しみにする文面が表示されていた。


「見たけりゃ会話見てみな。ロックは解除してある」


 アザミの淡々とした声を聞き、片桐はアプリを開いた。

 中を読み、石田が片桐にしていたより遥かに贅沢でキラキラしたデートを彼女としていたことを理解する。


「私は遊びだったってこと?」


 問いかけようと顔を上げると、アザミの体が急速に色を失っていた。隣に立つ太陽も透けて消えかかっている。


「え? 成仏するの?」

「アンタが見えなくなってきてるだけだ。死神の姿は死が近づいた人間にしか見えない」

「死神……?」

「ハッ、死ななくなってよかったじゃねぇか。頭おかしくなったって思われたくなきゃ、今日見たことは綺麗さっぱり忘れろ。わかったな?」

「待って! まだ訊きたいことが……!」


 伸ばされた手はアザミの体をすり抜けた。もう完全に見えなくなったようだ。

 片桐は酷く取り乱し、髪がグシャグシャになるまで頭を掻くと、逃げるように走り去った。


「おい、落ちこぼれ。さっさとの所へ行け。そろそろ死ぬぞ」

「あ、うん……」


 自分の仕事は終わったとばかりにアザミはロリポップを出し、口にくわえる。

 太陽は灰色の大鎌を出現させると、深呼吸し、石田の所へ歩き出した。


「血が、酷いんです……はい、はい、車は、動かさなくていいんですね……?」


 車外で泡を食って一一九に電話する運転者を横目に、太陽は足を進めた。そしてボンネットに突っ伏す石田の横に静かに立つ。

 気配に気づいたのだろう、石田は呻きながら顔をこちらに向け、苦しそうに顔をしかめた。


「誰だ……?」

「……霧島、太陽」

「は……? 俺をからかってるのか? あいつは死んだ。俺が怖くて逃げ出して、勝手に飛び降りたんだ」

「そうだよ。僕は自殺した。だから死神になって、君の魂を回収しに来た」

「誰が信じるかよ、そんな、オカルト……うぅ!」


 痛みに歪む顔に大鎌の先を突きつける。気持ちがたかぶったせいか、灰色の翼がひとりでにバサッと広がった。


「おい、何の冗談だよ? 下ろせよ、それ!」

「僕は間違ってた。僕が目の前で死ねば、きっと君は酷く後悔して、一生苦しんでくれると思ってた。けど君は最初から救いようがない、根っからのクズだった! だから僕は君に復讐する。僕が君のために死んだように、君も僕のために死んでくれ!」

「わけわかんないこと抜かすんじゃねぇ。早く、俺を助け……」


 大鎌を掲げ、振り下ろす。

 死神になってから何度もそうしたように。ありったけの怨念を込めて繰り出す。


 死ぬ時の恐怖を、痛みを。

 死んだ後の後悔を、失望を。


「うあああああ!」


 三年間抱えてきた全てを清算し尽くしたい、その一心で太陽は恨んだ相手の命を穿った。


「あれ? 目が……。俺、本当に、死、ぬ……?」


 本能が死を悟ったのだろう。石田の顔は恐怖に染まり、縋るような手で太陽の裾を掴んだ。

 そうだ、もう無視出来るはずもない。

 石田が太陽に向ける目はまさに弱者が強者を見上げるそれだった。太陽が石田にとって、初めて強者になった瞬間だった。


「い、やだ……死にたく、な……」


 石田が目を白黒させて喘ぎ、やがて沈黙する。体が淡く光り出したかと思うと胸の辺りで凝縮し、ふわりと体から離れた。太陽は黙って大鎌から鳥籠に持ち替えると、魂を回収した。


 人を見下し、軽んじ、踏みにじってきた少年・石田和馬。

 その最期は潰され、血にまみれ、実に凄惨なものだった。

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