第1章 灰色の復讐者

第1話 シスターとブラザー

 世の中は不平等だ、なんていう考えは自分の不甲斐なさを慰めるための言い訳でしかない。

 心の中で弱音を吐く自分を叱りつけ、霧島太陽きりしまたいようは再び底辺をさまよう自分の成績表に向き直り、深く溜め息をついた。


「うーん……今月もあんまりだったみたいね」

「すみません……」

「まぁ、そういう時もあるわよ。ほらほら、過ぎたことを考えても仕方ない! 次成功すれば大丈夫だから、ね?」


 そう言って鳥海智里とりうみちさとは花のような笑顔でウィンクする。今日も美人だなぁと霧島は傷ついた心が癒されていくのを感じた。


 死神、現世で自殺という禁忌を犯した人間が転生したものである。実体はなく、幽霊のように現世と死神の拠点である『境界』を行き来する。

 死神達は自分を殺したという罪を償うため、魂の循環を手伝わされる。すなわち死亡予定者から魂を刈り取り、集めてくるという汚れ仕事を請け負っているのだ。

 三年前、学校の屋上から飛び降りた太陽も死神としてその任に携わっていた。


 しかし太陽は引き受けた任務の多くで魂の回収に失敗していた。その失敗数は群を抜いており、成績表を見た死神という死神が絶句するほどの劣等生だった。


「はぁ、どうして僕ってこんなに失敗ばかりなんでしょうか?」

「霧島君が受け持つと、死ぬはずの人が生き残ってしまうのよね? それって裏を返せば凄い才能だと思うわ」

「人を生かす死神がどこにいるんですか。昨日だって、予定者の家族は延命装置を外すことに皆賛成してたはずなのに、うっかり僕が大鎌を落として予定者の手に当てたら、「今手がビクッとしたから装置を外すのをやっぱりやめて!」って全員が騒ぎ出して。死神が触っただけですよ。あの人が動いたわけじゃなかったのに」

「無理もないわねぇ。死ぬ予定じゃない人間には死神は見えないし、死神が触れるのも見えている相手だけだもの。予定者が殺さないでくれって訴えたようにしか見えないでしょう」

「実際そんな感じでした。はぁ、鎌さえ落とさなければなぁ……」


 肩を落とす太陽の手を智里が励ますように握る。智里の細長い指先には海を思わせる青色のマニュキュアが塗ってある。耳たぶで光るピアスも、控え目な化粧も、大きな胸も、太陽にとっては大人を表す象徴のように思えて、胸が早鐘を打った。


「溜め息ばかりついてたら、幸せが逃げてしまうわ」

「いや、僕、そもそもあんまり幸せじゃないんです、けど……」


 智里はたしなめるように握る手に力を込め、微笑みかける。

 嘘だ、今とても幸せだ。


「あのね、私は霧島君を担当してるだし、三年間ずっと面倒を見てきたわけだから霧島君にはちゃんと次の時代に生まれ変わってほしいの。贖罪に失敗して塵になるなんて、私悲しいんだから。腐らずに、頑張ろ?」

「でも、どうやったら上手くいくのか全然見当もつかないんです。せめて失敗しないコツだけでも掴みたいんですけど……」

「そうよね。だからね、私、いいことを考えたの」

「いいこと、ですか?」

「うん! おかしいな。そろそろ来るはずなんだけど……」


 茶色いボックスソファーから立ち上がり、智里は人でにぎわうロビーを見渡す。視線につられて太陽もそちらを見た。

 誰かこちらへ近づいてくる人がいる。

 腰まで伸びた黒い髪、紺色のセーラー服。雰囲気からして中学生だろうか。

 この年齢の死神は特別珍しいわけではないが、太陽の目を釘付けにしたのは彼女の瞳だった。髪と同じ黒い目はどこまでも深い闇を湛え、それでいて絶望に屈することなく、鋭く前を見据えている。

 少女は太陽と目が合ったことに気づくと、淑やかに口元に弧を描き、髪を耳にかけた。


「あ、いたいた! 影咲さん! こっちこっち!」


 影咲と呼ばれた少女は頷くと、ゆったりとした足取りで進む。

 どこかのお嬢様だろうか? とても気品があるように見えた。


「遅くなってすみません。局内には面白い物が沢山あるから、見ているうちに迷子になってしまって」

「いいのよ。さぁ、私の隣に座って」


 少女は言われた通りに腰を下ろす。


「霧島君、彼女は影咲かげさきアザミさん。死神に転生したばかりの新人よ」

「そうなんですね。初めまして」

「初めまして」


 アザミは恭しく頭を下げる。


「影咲さんは十二歳だから……霧島君の六個下ってことになるかな? まぁ死神になってからの年齢は数えないから、三個下って感じか」

「あの、どうして影咲さんを呼んだんですか?」

「霧島君、新人の頃、先輩死神と組んで半年くらい仕事の仕方を教わっていたのは覚えているわよね?」

「はい。シスター・ブラザー制度ですよね。覚えてますけど……」

「この度、霧島君にもシスターが出来ることになりました! それが影咲さんでーす!」

「ええ!? 僕にシスター!?」


 太陽は思わず立ち上がる。アザミは知っていたようで、嬉しそうにしている。


「そんなに驚くことないじゃない。死神になって三年って言えば中堅の始まりだわ。後輩を持つのだって珍しくないし」

「だからって、この僕に後輩なんて……」

「大丈夫よ! 人に物を教えるって、凄く勉強になるのよ。霧島君がスランプを抜け出すのにもきっといい機会になるわ」

「でも……」

「それに、影咲さんって新人研修プログラムをたった三日で終えた凄い子なの。霧島君のサポート役にもなるかもしれないわね」

「み、三日で!?」


 アザミは手を口元に添えて淑やかに笑った。

 謙遜しているようだが、このプログラムは『境界』で生活する上での基礎知識や大鎌の使い方、魂の循環と生まれ変わりにまつわる勉学と翼を使った飛行訓練といった具合に内容が多岐にわたり、太陽が二週間かけてようやくクリアしたものだ。それを三日でやってのけるなど、本当の話とは思えない。


「知識は一人前だけど、まだ実務経験はないから、仕事の受注や報告の仕方なんかは霧島君が教えてあげてね。影咲さんも霧島君から色々教わって、早く一人前になってね」

「わかりました。先輩、今日からよろしくお願いします」

「は、はい、こちらこそ」


 突然のことで面食らったが、新しく出来た後輩は優秀で礼儀正しくて手がかからなそうだ。きっとなんとかなるだろう。

 太陽は先輩らしくあろうと居住まいを正した。


 早速今日から一緒に仕事をしてくればと智里が言うので、太陽とアザミはロビーの奥に置かれた端末の前に移動した。端末はコンビニや映画館で見かける券売機によく似ており、初めて見た時はこんなメカが死後の世界にあるのかと太陽も驚いたものだ。


「えっと、死神の仕事だよね……。死亡時刻になるまでに死亡予定者のところに行って、死を看取って魂を回収するっていうのが仕事内容なんだけど、仕事を受けたり、報告したりっていうのはこれでします。影咲さん、タブレットはもらってますか?」

「もらってますよ。っていうか私後輩なんですから、敬語じゃなくていいですって」

「あ、あははは……そうだよね。なんか慣れなくて……」


 アザミは肩を竦めてはにかみ、物を受けるように両手を前に出す。

 すると手の中にB5サイズのタブレット端末が現れた。


「これを使うんですか? 先輩」

「うん、そう。そしたらタブレットを端末のセンサーにかざして。影咲さんのアカウントで自動ログインされるから、メニューから受注を選んで……」


 端末のタッチパネルには『死亡予定者リスト』という表題の下にずらりと人の名前が並んでいる。名前の横には死亡予定時刻と予定死因、死亡予定地が記載されていた。

 太陽に指導されるまま、アザミは一番上の人物をタップした。その後、確認画面を経て正式に受注が完了すると、アザミのタブレットに情報が転送され、『Mission accepted受注完了』の赤い文字と一緒に詳細情報が表示された。


「そしたら、転送ゲートから現世に飛ぶ。転送ゲートはここ死神局内にあって……」


 ロビーからエスカレーターを上り、死神局の二階へ。

 二階は高層ビルのエレベーターホールのような作りになっている。但し、エレベーターの代わりに電子回路の基盤のような模様の描かれた青いブースが設置されている。

 ブースの中に入り、壁の基盤に手をつけると、周囲の光景が青白い光に塗り潰され、瞬く間に現世の日本そのものに変わった。


「うわぁ、こんな一瞬で移動するなんて! まるで光になったみたいですね!」

「そうだね。帰る時はタブレットの『Return帰還』ボタンを押せばどこからでも死神局に戻れるから」

「便利ですね。これってどういう仕組みなんですか?」

「さぁ……? 何もないところからタブレットを取り出せるのと同じで、死神が使える魔法みたいなものじゃないかな?」


 死亡予定地までの道案内はタブレットがしてくれる。地図上にルートが表示されるのでその通り道を進めば到着する。こうして太陽とアザミはとある総合病院を訪れ、死亡予定者のいる病室の場所を確かめた。

 死亡予定時刻までにはまだ少し時間がある。患者もよく眠っているようだったため、太陽達は一旦病院の屋上へ移動した。

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