Idol's Memory

香珠樹

Idol's Memory

 卒業式。


 卒業生たちが学校の前庭で記念写真を撮ったり、先輩と後輩で互いの絆を確かめ合ったりしている中、私は一人校舎裏へと来ていた。

 最後に手入れをしたのがいつなのかわからない程度に草木が生い茂っているこの校舎裏。普段は人気がないが、そのおかげで今は静かに心を落ち着かせられる。


 部活等でお世話になった先輩に話したいことはいくつかあったが、身近だった人がこの高校から去ってしまうという事に形容し難い喪失感を感じて、少し一人になりたいと抜け出してきた。


「感情の起伏は少ないほうだと思ってたんだけどなー……」


 門出の日にふさわしい青空を見上げながらそうぼやくと、不意に自分の横にあった窓が開き、そこから男子生徒が飛び出してきた。

 予想外の出来事に、私はその男を凝視する。

 すると男子生徒もこちらの存在に気がついたのか、「あ」と小さく声を上げた。


 見つめ合うこと数秒。


「……まいったな、待ち伏せされていたとは……流石にこれは予想外」

「……は? 待ち伏せ?」

「…………え?」


 やれやれといった風に頭をかいていた男子生徒の手が止まる。


「え、俺のこと待ち伏せしてたんじゃないの?」

「いや、全然違いますけど。というか待ち伏せって……」


 そこまで言って、突然の事態に一時停止していた頭が働きだし、目の前の男が誰なのかを把握した。


 天崎翔。一個上の先輩。つまり今年度の卒業生。

 高身長イケメンで文武両道。童話の王子様みたいなルックスに加えてキザったい性格。まさに、テレビの中のアイドルのような存在。

 当然女子人気はえげつなく、周囲の天崎先輩に対する盛り上がりは同性の私から見ても異常なほどだ。

 そんな先輩がなぜここに?


「あー、さっきまでずっと女子に追いかけられていたからね……だから君もそのうちの一人かと勘違いしたんだ」

「はぁ」


 確かに校舎裏に来るまでに、大量の女子生徒に囲まれている天崎先輩を見た覚えがある。あの量の人から逃げるとなると、容易ではないだろう。


「じゃあ、こんなところで油を売ってちゃいけないんじゃないんですか? 逃げないと見つかりますよ」

「まあ、そうなんだけどさ……流石に疲れた、休憩。不人気な校舎裏この場所ならしばらくは時間稼げそうだし」

「な、なるほど」


 本気で疲れた様子の先輩に、少し同情する。人気があるというのは、いいことばかりではないらしい。


「それで? 君はどうしてこんな場所にいるんだ?」

「……なんというか、心の整理をしたくて」

「心の整理って……もしかして告白でもするの? ごめん、俺今彼女とか募集してないんだ」

「なんで先輩に告白することになってるんですか! ……普通に、お世話になった先輩がいなくなるのが寂しいってだけですよ」

「ふーん、寂しい、か……」


 意味ありげにそうつぶやくと、天崎先輩は校舎に背を預けた。


「もしかして、泣いたりするの?」

「まさか! そんな感受性があれば私、ここにいませんよ」

「それもそっか」


 そう苦笑すると、天崎先輩は一瞬寂しそうな顔を見せた。

 気のせいだ、とスルーすることもできた。私の勘違いだったかもしれない。きっと相手なら、それが正しかった。

 けれども、私の口は問うてしまった。


「……どうしたんですか? そんな寂しそうな顔して」

「ん? 俺、寂しそうな顔してた?」

「一瞬ですけど」

「あはは、そっか。俺、寂しそうだったのか」


 天崎先輩の言っている言葉の意味がわからず、思わず首を傾げる。


「ふと思ったんだよ。俺が卒業して、寂しがったり悲しむ人ってどれくらいいるのかなって」

「え、そんなひと数えきれないほどいるじゃないですか」

「あー、うん、そういうことじゃなくてだな……例えば俺が卒業するとき、のために泣いてくれる人がいるのか、って言えば伝わるかな」


 それも一定数いるでしょうに、と言いたくなったが、きっと天崎先輩が言っているのはそういうことではない。

 もっと深いところにあるなにか。それを指しているのだろう。


「こうして逃げ回ってるくらいには、俺は色んな人に好かれているだろうね。恋愛的な意味でも。だけど、それは一時的なものなんじゃないか? 一方的に燃え上がって、時間が経てば熱が冷めていくみたいな。例えるなら、お気に入りのアイドルが卒業したときみたいにさ。結局ははみんなのでしかなくて、誰の大切な人にもなれていない。ぶっちゃけ、俺じゃなくても、他のアイドル的な存在ならだれでもよかったのかもね」

「それでも――」


 口を開いた瞬間、先輩に肩を掴まれて壁に押し付けられる。雑な手付きだったが、痛くはない。

 先輩の顔が眼前にあり、壁と先輩に挟まれている。いわゆる「壁ドン」という状態。



「――じゃあさ、俺のために泣いてよ」

「――――っ」


 ささやくように告げられたその言葉に、私はなにもできなかった。


「俺は自分の青春を無駄にした気がしてならない。女子に囲まれて、調子に乗ってたのかもな。そのおかげで俺には大切な思い出も少ないし、純粋に別れを悲しんでくれる人だっていない。もしいたとしても、その人の存在を俺は知ることができなかった。まったく、後悔ばっかの高校生活だったよ」


 そう言うと先輩は壁から手を離し、私を開放する。


「……邪魔したな。心の整理が終わったら、お世話になった先輩とやらのところにちゃんと行くんだぞ。そのほうが、見送られる側としても嬉しいからさ」


 手をひらひらと振って、この場を立ち去ろうとする先輩。

 その背中に、気がつけば私は叫んでいた。


「――私は! 私にとっては、今さっきまでの時間が、きっと大切な思い出になると思います。なんてったって、学校のアイドル様に壁ドンされたんですからね。一生友人に自慢できます」

「……だから?」

「先輩からしたらどうでもいいことでも、私にとっては忘れられない思い出になるんですよ。それは私以外のみんなもそう。先輩を追っかけて、それもあとから考えたらいい思い出になっていたりとか。先輩はみんなの思い出を作っていたんです。みんなの思い出の一部になってたんです。でもそれは先輩にも言えるでしょう? 友人と学校の帰り道にアイスを食べたりとか、休み時間の無駄話とか。そんなどうでもいいことばっかり、思い出として記憶に残る。確かに大切にしまっておきたい思い出は少ないかもしれません。けれど、ふとした時に、『あのときは楽しかったな』なんて思い出せれば、それで十分なんですよ」

「…………」


 まとまりがなく、自分でもなにが言いたいのかわからないような文章。それでも言葉は流れ出る。


「それに、まだ高校生活は終わっていません。まだ、大事な『締め』の部分が残っていますよ」


 卒業式。

 高校生活の最後を飾り、高校生活という括りの中に思い出を詰め込む、最後の機会。


「……君は、説教臭いことを言うんだな」

「すみません……」


 気分を悪くさせたかもしれない。そう少し不安になったが、振り返った先輩の顔には苦笑いが浮かんでいた。


「それにしても、君の説教のせいで、大事な思い出を作る時間が削られてしまった。どう責任を取ってもらおうか?」


 その苦笑いが、挑戦的な笑みに変わる。

 やっぱり怒らせたかもしれない、と冷や汗をかいていると、先輩が「なーんて。冗談さ」と笑った。


「……先輩の大切な思い出の一つが、後輩弄りですか」


 恨みがましい視線を向けるも、先輩は笑って受け流す。


「もっと早く君と出会えていたら、大切な思い出の一つや二つ、いや、それ以上の数を共有できたかもしれないね」

「あれ、もしかして告白ですか? 先輩」

「もしそうだって言ったら?」

「まさか。少なくとも私には先輩アイドルとの恋なんて、きらきらしすぎていて無理ですね」

「そうか? 君はこっち側かと思っていたんだが」

「それこそまさかですよ。冗談はよしてください」


 するとそこに、無数の足音が。


「あ、タイムアップですね、先輩。ランニング、応援してますよ」

「くっそ、また走るのか!」

「頑張ってください〜」


 先輩は走り出しかけて――足を止める。



「――俺、冗談言う時はちゃんと冗談っていうたちだから」


 そう言い残すと、再び足を動かし始め、一瞬にして遠くまで行ってしまう。


「「「「「待ってくださ〜い、天崎せんぱ〜いっ!」」」」」


 私は、走り去っていく先輩と、それを追っかける女子生徒に向かって、笑いながら手を振った。










「……それはズルいですよ、先輩」

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