たとえ悪魔に魂を売ったとしても君を愛す

樹 亜希 (いつき あき)

第1話

「喰らえ、恭也。でないと、俺が頂く」

 頭の中で低く、アルバートらしい男が僕にささやく。できるはずないじゃないか、そんな事。

愛する妹なんだ。そんな事してはならない。

「お前はもう、二度と香怜の動く様を見ることができなくてもいいのか?」

 もう何度もこのやりとりをしている。

 横たわる華怜の薄い胸は微弱に呼吸をしている。

 首筋にアルバートは黒髪を垂らして、薄い唇からはみ出る長い臼歯を突き立てて、

今にも華怜の首筋にかみつく勢いだった。それを僕が振り払えば簡単なことだが、

煙のように消えたと思えばアルバートは、僕の背後で更に唆す。

「さあ、今、早くしないと華怜は死んでしまい、永遠にお前の手の届かないところへ

行ってしまうぞ。俺が時を止めるから、早くやっちまえ」


 はじめにアルバートと名乗る異世界からの悪魔と出会ったのは僕が18歳の時。

 中学生の香怜が蜂に刺されてアナフィラキシーショックで死にかけた。

 僕が母から連絡を受けて病院に駆けつけた時には、心臓マッサージをしている。

 母の顔は青ざめ声を上げることもできすに父に肩を預けていた。

 医師、看護師などが忙しそうに動き回るシーンがまるで映画のように、

 ゆっくりとながれるように動いている時に長い黒髪に黒衣の外人が僕の方を見て笑っていた。

 およそこの場面には不釣り合いだが誰も、何もリアクションしない。

 銀色の長い杖に恐ろしく伸びた黒い爪はまさに異形の存在だった。

 これが死に神というやつか?

「いいや、違う。私の名前はアルバート・ウインザー。初めまして。

そして君の妹を貰いに来た。これも定めだ、悪く思わないでくれ給え」

「香怜!!」

 僕はその黒い悪魔の横をすり抜けて、妹である華怜の手を握る。


「分からないのか? 助かることはないのさ。

 ただ一つ、君が私の申し出を受けてくれれば助けることができる。

 もう時間はないぞ。あと5秒。君の心臓に少し細工させてもらうだけだ。

 永遠に生きることができる上に妹と結婚することもできるというありがたい特典も付いておる。

 ただ一言、YESと言えばいい」


 選択肢はないのだ、僕には。心の中でそいつの真っ赤な瞳を見て返事をした。

「YES」

 アルバートと名乗る背の高い男は真っ赤な瞳に真っ白の顔色で紫の唇を持つ。

 そして脚を動かすこともなく近くに寄ると、

 僕の首筋に長い爪をスラッシュさせて、赤い血を紫の唇をつけすすった。

 ひやりとする感覚に全身の血が逆流しそうなゾッとする感じ。

「契約完了。長かった、機は熟した。君ももう我慢することはない。

 あの子はもう君のモノだ。妹だなんて気にするなんて古くさい考えは捨てていいのさ。

 好きなだけ抱いてやれ。女はどれも同じだが、彼女は別だ。

 きっとそれを待っているはずだ。君だってそれを分かっているし、

君も彼女を愛している、だろ?」


 なすすべもなく、僕はその場にいる人達の中で

 誰にも認知されていない漆黒のマントを纏う外人に首を預けて立ち尽くした。

 予防接種のようなチクリとした痛みがあったが、さほどの苦痛はなかった、心臓ほど。

 その時の心臓は大きく,激しく打った。恐ろしいほどの心拍数だったと思うが、

 妹を失うかも知れないという恐怖と苦痛に比べればそんなもの何でもなかったし、

 呼吸ができないことなど恐ろしくもないのだ。


「契約終了、香怜は生き返らせてやる、

 だがイザベラの生まれ変わりの玲香には女の子を産んでもらわないとな。

 お前とのあいだに」


 擦れた声でささやくと黒いマントを翻した西洋の悪魔は、香怜の上に真っ白の胡蝶蘭で埋め尽くした。

 その花を纏うことで、玲香の顔色は元の色をとりもどして、唇にはいつものピンク色が灯った。

 胡蝶蘭には強い放香はない、これほどまでに白い大きな花がまるでウエディングドレスのように玲香のからだを覆い

 花が呼吸をしているようにざわめいていた。

 その光景は僕にしか見えていない。


 医師が驚いた表情を浮かべる。

 看護師の動きも緩くなる。両親といっても父は僕の本当の父であり、母は僕を産んでいない。

 彼女は香怜を産んだ人だから継母ということになる。先ほどまでの叫喚の場面はなりを潜めた。

 みんなが一斉にモニターを見た時に僕は香怜が死の淵からこちらへ戻ってきたことに安堵した。

 首に手を当てることなんかしない。どうせもう僕は人間ではないのだろう。

 所詮そんなもの、これは夢じゃない。

 何事にも代償が必要ならば、いっそこの場で死ねたらよかったのにと、後々後悔することになる。

「ねえ、お兄ちゃんと同じ高校に行きたいけど卒業していないなんてつまんない。どうしていつも同じ学校には行けないの?」

「それは親に言えよ。お前と僕は三歳違うからあり得ない。小学校は同じだっただろ」

 口をアヒルのようにとがらせて、香怜はまた僕の背中にまとわりつく。

「なんで、お母さんは再婚なんかしたんだろう」

「知らないって、大人の事情とかいうんだろ。でも親が再婚しなければ僕たちは出会うことすらなかったんじゃね?」

 僕は香怜の細い腕を掴んではなすと、椅子から立ち上がって制服のシャツを脱いで、

 机の上に投げた。窓から差し込む日差しが最近は直視できない、サングラスが欲しいほどに。

 でも、大学生になれば、薄い色の付いた眼鏡に交換しようと思っていたのでちょうどいい。


 そう、あの時から。

 香怜が季節外れのまだ暑い十月に蜂に刺された時、病院で見た悪魔のような暑苦しい外人のことを思い出す。

 異形の者は時々夢に現れる。

「お兄ちゃん、受験なんか、塾なんていや。

 お兄ちゃんが教えてくれたらいいのに」

 上半身にまだまとわりつく妹を僕は部屋から追い出す。

 本当にこのままこの家にいてはいけない。

 本気で好きになってしまっているだけにここは敢えて邪険にしなくてはならない。

 すまない、香怜と僕は冷たい態度を無理に作り上げて厳しく突き放す。

 あの時、悪魔に魂とこの肉体を売り渡し、もうこの手でお前に触ることなど、できやしない。

 きっとあいつのように、アルバートのようにいつか赤い瞳となり、

 黒い爪を隠しながら生きるくらいなら、お前のいない場所で一人死を選ぶだろうと僕は思っていた。

 そう、ここよりも遠い四国の医大を受験して僕は一人暮らしをするつもりだった。

 新幹線も通らないし、交通手段の便利ではない場所ならそれでいい、場所なんてどうでもいいのだ。

 簡単に妹が近寄れそうもない場所なら……。悪魔との約束なんて、果たすはずない。

 僕が一人命を差し出すつもりでいた、そう心に堅く決めたのだ。かわいい妹に敢えて冷たく、

 強くこれからは接して行くことが妹を守ることになると思っていた。

 白い香怜の首すじや、手首の裏に自分の爪を立てて一筋でもいいから、

 たとえ一滴でもいい、その血を飲ませてくれないかという乾きを我慢することが困難になり、

 夢で現れるアルバートが差し出す女の手首からながれる血を啜る。

 

「僕だって、大学受験の勉強があるんだ。迷惑なんだよ!! 出ていけ」


              ◇◇◇


「お兄ちゃん、でもどうしてもお兄ちゃんのそばから離れたくないのに。

 この前も同じクラスの榊くんに付き合って欲しいと言われたけど、断ったの」

お兄ちゃんに部屋から追い出された私は渋々廊下から階段へと向かう。

 わざと大きな音を立てて降りるけれど、いつものようにドアを開けて私を見て笑ってはくれない。

 本当はこう言うはずだったのに、ものすごい勢いで背中を押されてしまった。

 そう、あの時、蜂に刺されて死にかかった時から、

 お兄ちゃんは私にとても素っ気なくなってしまったことが理解できないし、

 とても哀しい気持ちの私をどんどん突き放す。

 こんなにも好きなのに、私の気持ち分かっているでしょう?

 気が付かないフリなどもうしなくてもいいじゃないと思っているのは私だけ? 

 

 私はそう言いたかった。

 大きくため息をついて、それまでの行動がいかに空虚で、

 好きな人を苛立たせているのかが分かっているだけに涙が浮かぶ。


 でもやらずにいられない自分を止めることができない、

 触れていたい、一瞬でもずっとでも。

 時が止まらないのは知っている、そんな魔法などどこにもないことも。

 いつもそう、お兄ちゃんは子供の頃はあんなに優しかったのに。

 泣いてばかりの私を。

 急に新しい家族になじめずに部屋で一人の私の頭を優しく撫でてくれた。

 お兄ちゃんだけを見てきたのに。

 私が眠るまでそばにずっといてくれた人はどこへ行ってしまったの、お兄ちゃんは別の人に?

 大学だって、どこか遠いところへ行くつもりなんでしょうと何となく分かっていた。

 最近の態度を見ていれば分かる、あからさまに私を遠ざけている。

 初めて出会った時は私は5歳でお兄ちゃんは8歳だった。

 あれからもう10年過ぎて、私たちが離ればなれになるなんてありあえないから。

 そんなこと絶対にさせない。

 こんなにもお互いに強く思い合う私たちが離れるなんてあり得ない。

 お母さんに聞いたらそんな事すぐに分かるはず、海外でもどこへでも

 私はお兄ちゃんについて行くと決めた。

 お金のことは心配しなくていいはず、留学するだけの勉強だって

 本当はできているし、塾なんて行く必要もない。

 そうだ、お母さんとお父さんが離婚すればいい。

 確かに私たち、他人に戻れる。

 そうだ、お父さんは私のお父さんなんかじゃない。

 いっそのこといなくなればいいのに……。

 お兄ちゃんのお父さんだから哀しむのかなあ、でもしょうがない、

 私たちがずっと一緒にいるためならいいよね。

 私はいけないこととしりつつ、あのお父さんと呼んでいる継父が

 消えてくれればなどと簡単な引き算をしてしまった。


「お呼びになりましたか?

 お嬢様。誰を消したらいいのです? 聞き捨てならないですわね」


「ええっ!! だれ?」

「我が名はイザベラ。お嬢様の味方ですよ。

 どんなことでも叶えて差し上げます。

 思い切ってお話ください、別に些細なことでも良いですけれど」

 ゴスロリのお姉さんは強い百合の香りを纏い、

 光沢のある漆黒のドレスが峰不二子のようで

 はじけそうな白い胸をかろうじて包んでいる、そっと。

 私は自分の部屋に音もなく侵入してきた侵略者のことを

 髪の毛が触れるほどの近さでも恐ろしいとは思わない。

 むしろ女のあまりの美しさに私の視線は吸い込まれた。

 彼女の陶器でできているような白い肌はきめ細かくて触れたくなった。

 長いまつげにブルーベリージャムのような瞳に撃ち抜かれる男は多いだろう。

「触っていいのよ。むしろ、あなたの肌にも触れたい。私たち似たもの同士なのよ」

「どこが? あなたは異国、そうこの世のものではないでしょう。私とは

 美しさが違うわ」

「いいえ、人を愛する気持ちに境界などあるものですか。

 あなたはお兄様を愛している。私もそんなあなたが大好きよ」

 そういうと、黒くて長い爪で香怜の髪に触れるとフッと笑った。


  奔放な愛は純粋であればあるほど、強くそして残酷なこともいとわない。

  それは真実の愛で前が見えなくなるから。

  イザベラの手にかかれば、香怜の心を操ることなどなどたやすい。

 華怜はイザベラの生まれ変わりなのだから、残忍さ愛する気持ちの強さは時空を越えて符合する。

 イザベラはアルバートのように肉体を持たない、不条理な生き物の魂、

 宿主である香怜が成長するのを待っていた。

 そして、自分たち種族の存続の為により強靱で

 純潔な女王バチとなる女の子を得ることだけの為に何百年も待っていた。  

 私はこの異形の女、確かイザベラとか名乗っていたが、

 先ほどまで考えていた思いを伝えていいものか少し首をかしげて考えた。

「あら、信用してくれていいのに。約束は絶対に守るわ。

 むしろあなたが私と約束してくれるの? 少し心配だわ」

 私は自分のベッドの手前に浅く腰掛けて、

 余裕のあるフリをして答えたが、心を読まれていることが途轍もなく不気味だった。

 ということもきっと彼女は察知しているはずだ。

 もう遅いがお兄ちゃんへの愛のイメージを膨らませて

 暗幕を張ろうとしてもきっとそれも、バレている……。

「ねえ、お姉さん。約束は守るとして私はあなたに何を対価として渡せばいいわけ?

 お兄ちゃんと私の若さと命は渡せない」

「うん、そうね。私はあなたの大事なお兄ちゃんには興味があるけれど欲しくないわ。

 私にはアルバートがいるからね。でも欲しいモノは一つよ。あなたが産んでくれる女の子が欲しいのよ」

 イザベラは私の目の前に音もなく椅子を持ってきて座るでもなく立つでもなく、

 黒い爪を見せびらかすように両手を置いて顔を近く寄せてきた。

「子供?」

「そう、お兄ちゃんとの子供」

 私はこの女が何を考えているのか意味が分からずに問い返したが、即答して妖艶に微笑んだ。

「こども……」

「そう、分かるでしょ。あなたはお兄さんと結ばれたいわよね。でもお兄さんは頑なに拒んでいる。

 それはこの世の常識に縛られているから。

 私が、そしてアルバートがその縛りを切ってあげようってことよ。分かるでしょ。

 もうすでにアルバートは仕込んであるけれど、

 お兄さんはまだあなたを愛するが故に巻き込まないように必死なのよ。

 笑っちゃうわ」

 私は目の前の女の頬を左手で思い切り叩いた。

「黙れ、くそ女!! お兄ちゃんをそんなふうに言うことを私は許さない」

「ああん、ごめんなさい。私の言い方が悪かったのよね」

「分かればいい」

 興奮した私は思わず出した手を右手で包んだ。

 なぜならあんなにきれいな顔は柔らかそうなのに、とても堅く石みたいだったからだ。

「あ、手が痛い? そう私はこう見えて600歳を軽く超えているし、おまけに三回死んでいるの。

 不死のはずなのにねえ。困っちゃうわ」

「あんたは何者なの?」

「あ、聞いてない? お兄さんから。吸血鬼って感じ。

 お兄さんも、この前アルバートが吸血鬼にしちゃった、知らないの?」

「うそ……。バカ女なにを……。でたらめ言ってんじゃない、ぶっ飛ばすわよ!」


 その時、ドアをノックする音がした。

「香怜、何を一人で大声だしているんだ? どうした?」

 私は入ってこないでと思った時にイザベラが耳元で囁いた。

 彼女の香水が強すぎて眩暈がする。

「お父さんがいなくなれば、お母さんもついでにいなくなれば、

 あなた達が兄妹であることを知る人なんていなくなるわ。

 もともと他人じゃないの。約束は守るわ。だからあなたの赤ちゃんを頂戴よ。

 大事に私が育てるから。あなた達は永遠に二人で愛し合うことができる、いつまでも、ね」


 ドアが開いたとき、私はイザベラにキスをされて、唇の端を噛まれたことに気が付いた。

 自分で唇を甘噛みした程度の痛みとバラの香りが口腔に広がる。

きっと涙を浮かべているに違いないと私は思っていたが浮かべていたのは微笑みだったようだ。

「どうしたんだ、大きな声を出して」

「ごめんね、勉強の邪魔だった?」

「いや、別に。おい、唇の端から血がでているぞ」

 お兄ちゃんは眉をひそめて私の顔をじっと見るとなんだか太ももの間がぞくぞくとした。 

 正確にはウールのコートを直接当てたようなぞわっとした感じの方が

 ふさわしかったのかも知れない。

「いつもの癖で、爪を噛んでいたら唇も……」

「誰と電話で話していたんだ?」

どうしたんだろう、お兄ちゃんはいつになく優しいと思ってしまう、私はもうどうなってもいいと思った。

 別の私が私の中にいて、つき動かされてしまうと思ったときに、私はお兄ちゃんの腕の中にいた。

「何やってんだよ」

 お兄ちゃんは優しく、私の頭を包み込んだ手を緩めるとキスをした。

 そうか、この血がお兄ちゃんを引きつけたのかと思った時に私はようやくすべてが理解できた。

 私たちはこうなる運命でここにいるのだと。


  これは夢ではないのかしらと思うほどのキスは息もできないほどの激しさだった。

 十五歳の私に、これは激しいのかそれとも普通なのか。

 こじ開けられた歯と歯の隙間から柔らかい舌がスルッと入り込む。

 気が遠くなる、待ち望んだはずの……。

 思わず吐息が漏れると、私はガクッと力が抜けた。

 でもお兄ちゃんのキスはとまることはない、

 しっかりと腰を支える手は万力のように強く掴んでずれることはないし、

 私の舌の裏をそして、何度も絡めて捉えやめなかった。


 そのうちに同じく私もそれに応えるように舌を絡めるとお兄ちゃんは舌を抜いて私の唇を優しく噛みしだいた。

 口の端にある傷の場所を何度も舌先でなめるとようやく長いキスが終わる。

 激しい呼吸の後に心臓が痛いほどの拍動をするのが分かる。息を止めていたわけじゃないのに、

 不整脈というやつだろうかと私が思っていると、

「しばらくすると慣れてくる。はじめだけはこうなるんだ」

 お兄ちゃんは苦悶の表情を浮かべた。

「私……」

「何も言わなくていい、しばらく横になったらいい。ここにいるから」

「あのね」

「香怜、愛している。初めて会った時からずっと好きだった」

 私の額に優しくキスをしてまぶたの上を大きな手の平で覆うと、否応なしに眠りに落ちた。

 バラの香りのお兄ちゃんはどこにと私が手を伸ばすとその手を優しく握ってくれた、ような気がした。

 もうどうなってもいい。今ここで死んでもいいと思えるほどの幸福感が私を包んでいた。 

 今までの思いをぶつけ合うことに悪魔や吸血鬼などの存在が必要だったのだろうか。

 嘘であって欲しい、イザベラの言ったことや、存在なんて。私はそんな事を思っていたに違いない、

 それはお兄ちゃんも同じだと思う。

 愛していると言ってくれた。

 疼く心に心地の良い低い声が何度も響く、さざ波のように何度も……。

 確かに聞いた、愛していると言ってくれた、お兄ちゃんが。

 好きだとずっと思い続けてきたことが報われた瞬間が今なのだ。


           ◇◇◇

 僕は覚悟を決めた。

 吸血鬼として生きることやそれ以外のすべてを鴻上恭也は香怜を一生愛することを、

 そしてそれ以外のすべての障害を取り除くことに迷いがないことをアルバートに告げると

 心を固めた。そうせざるを得なかったのだ。


「呼んだ?」

「ああ……」


 自分の部屋に戻ると窓の外を見ながら僕は後ろで立ちながらニヤニヤしている

 アルバートの顔を見ないようにしていた。夕焼けがとってつけたように空々しい。

 安物の映画のようだった。

「どうだい? 妹とのキスは? これからは望めばいつでもできる。悪くないだろ? 

 イザベラはSだからなあ。香怜ちゃんにキツく言ったみたいだな」

「そんな事はどうでもいい、まだ十五歳の香怜にはきちんと言い聞かせないと。周りが」

 僕はやはりこんなことすべきではない、血の誘惑が自分を狂わせたことに激しく後悔していた。

「後悔なんか、君らしくないね。今月のうちに君たちの両親は離婚するよ。

 今までうまくいってなかったんだ。知らなかっただろ、

 イザベラの分身が君のお父さんをたぶらかしていたし、

 香怜のお母さんはそれに気が付いていて、離婚する段取りを整えた。

 なあに、人間の男と女なんてこんなもんだ。

 お前さんは父について、妹は母親と。出会う前の二人に戻るんだ」

「それでいいのか、本当に」

「本当の意味で消して欲しいのか? 見ための美しさよりも残酷な面を持っているんだなあ。

 ふふっ、嫌いじゃないよ、だって吸血鬼の継承者、仲間となり何百年も生きていくんだからな。

 後々面倒ならあの二人はいつでも消せる」


 時は流れ、僕たちは親から独立して沖縄の小さな島に移り住んだ。

 お互いに仕事や金儲けに関してはリモートでできるので、一日の半分ほどは海を見て暮らした。

 華怜の父の遺産を元手にして始めた株の運用もうまく運び、生きるために必要な現金は

十分すぎるほどあった。

 華怜との愛の日々、解き放たれた愛欲に終わりはない。

 すみずみまで華怜の体をほぐすたびに新しい驚きが見つかることに僕は充足していた。

 女性の体の奥深さに終わりはない。誰が教えたわけでもないが、熟れた胸はどれだけ強く握っても

壊れることはないし、華怜の中心に僕自身が埋没してもその先端は止まることがない。

そう、底なしの華怜の歓喜の声を止めることはできないし、僕も終われない。

めちゃくちゃに濡れるばかりでとどめることは誰にもできない、腰骨が痣になるまでぶつけ合い、叫ぶ。

 獣のような交わりは飽きることはなく、まさに底なし沼のようだ。

 お互いの首を最後に噛んで小さな傷から血を吸えば、また次の日も夜ごと交わり声を上げる。

 ただ、暗闇の中で赤く光る眼がいつも僕たちの交わりを見られている感じがした。


「……ちゃん。恭ちゃん、いつまで寝ているの、もう」

 僕は眠ってしまったのだろうか、紅茶のような香りがする。

 甘い、香りは僕の鼻腔をくすぐる。

 くしゃみが出そうになって鼻をこすりながら、体を起こそうとした。

 柔らかいふにゃふにゃした小さい何かが僕の頬を押している。

 なんだこれは? 目を開くとそこには真っ白の饅頭のような、そう赤ん坊の顔がある。

 夢中で僕の鼻に指を入れて、満面の笑みを浮かべている。この子は誰だ?

 半年ほど、おきなわに来てから毎晩するものだから華怜はすぐに妊娠して一年後には

子供が生まれた。

「ああ?」

「恭ちゃん、もう、自由(みゆ)のお守りを頼んだのに何で自分が寝てるのよ。

 パパになったのだからしっかりしてよね」

 僕は体を起こすと赤ん坊のお尻と股の間に手を入れて抱き上げて自分の膝に置いた。

 なぜ、躊躇いもなくこんなスムーズに扱うことができているのだろう。 

 香怜は、僕の知っている妹はいつの間にこんな大人になってしまったのだろうか。

 笑顔のかわいい薄い唇に黒目がちの大きな瞳は僕を恭ちゃんと呼ぶことに違和感を抱く。

 大学に行くはずの僕と高校生になる妹の間に、赤ちゃんがいる理由も全く分からないしと思っていると

 大人っぽい香怜は、僕に近寄ると耳元でささやいた。

「何も不安に感じることなんてないのよ。これでいいんだから」

 その後ろにはアルバートとイザベラと思われる女の二人が妖艶に微笑み不気味だ。

 すっかり吸血鬼たちとなじんでいるじゃないか。


「さあ、早くその子を渡してくれないか」


 窓の外は漆黒の空が見える。僕は赤ちゃんを強く抱きしめた。

 自由は僕と香怜の間の……。いやだ!!

 渡さないと思ったが音もなくアルバートは僕の背後に立っていた。

「子供なんてまた作ればいい。イザベラが長年待っていたんだ。

 これでやっとイザベラは永久の眠りにつける、この子がイザベラ、私の妻になる」


 僕は夢であればいいのにと思っていた自分の浅はかさに嫌になった。

 この窓から飛び降りたらどうなるだろうか。

「恭ちゃん、案外弱いところあるんだから」

 僕たちは三人家族であると信じて疑わないけれど、愛している華怜との間に子供がいるのに

 その子をあいつらに渡すことが約束だった、華怜の命を助けるためには。

「ダメだよ、恭ちゃん。自由(みゆ)ちゃんはイザベラに渡そうよ。約束は守らないと」

 二人の後ろにはアルバートとイザベラが立っている。

 僕は華怜の手から自由を抱き上げると強く抱きしめた。

「さようなら、僕の娘。こんな悪魔との契約で不幸な目に……」


「何が不幸なものか。むしろこの先この子は老化もしないし、病気にもならない。

 むしろ幸せなんだ。死ぬこともなく永遠を生きることができるのだからね」

 アルバートは自由を片手で抱き上げるとマントを翻してまるで煙のように消えてしまった。

 僕は初めて見た、自分の娘の顔を自分の瞳に焼きつけることもできなかった……。

「お兄ちゃん、恭ちゃんには私がいるから。ね、大丈夫。泣かないで」

「ごめん、辛いのは華怜のほうなのに、僕があんな約束をしたばかりに」

 華怜は妖艶に微笑んで言った。産後とは思えないほどの美しさ、むしろ女らしさは増すばかりだ。

「これからいくらでも時間はあるわ。私たちの世界は永遠なのよ」

                             

                              了

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たとえ悪魔に魂を売ったとしても君を愛す 樹 亜希 (いつき あき) @takoyan

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