鉄槌

牛盛空蔵

鉄槌

 よう。遠いところからよく来てくれたな。

「いや、それほどでもないよ」

 いやいや、埼玉からだろ、前祝いのためだけに来てくれるなんて、俺はいい友達を持ったもんだな。

「ハハハ。それはどうも」

 調子はどうだ?

「いや、僕が君の調子を聞きたいよ。なんせ訴訟なんだろ、起こしたってのは」

 そうだな。俺も悩んだ。すごく悩んだけど、やっぱり戦うべきなんだよ。それが運命だったんだ。

「僕もあまり詳しく聞いていないからね。できれば隅々まで話を聞きたい」

 そうか。少し長くなるぞ。飯は冷めない程度に食えよ。

「ありがとう」


 どこから話そうかな。

 まず始まりから話すか。

 ……俺の所属は「法務一課」で、隣には「管財課」があるんだが、その管財課に二人の女性社員がいた。

「ほう」

 その二人を仮にA、Bとしよう。そいつらは俺が法務一課に入ったときから気に食わなかったようで、盛んに「キモい」を連呼する人間だった。俺に聞こえるようにな。

「それはひどい」

 まだひどいところに話は進んでいないぞ。

 まあ、その時点では俺も別段そんなに気にしていなかった。俺がそう言われるのはいつものことだし、俺は人生において敵が湧いてくることを知っていた。

「万人に好かれる人はいないと?」

 その通りだが、特に俺はそういう星のもとに生まれたらしい。

 それはともかく……。

 ところで当時の俺は、ちょっと席を離れるときなんかに、スマホを席に置く癖があった。

「ほう」

 んでもって、当時の俺はスマホのロック解除にあまりこだわりがなく、つまり……破れるなら破れるぐらいの脆弱な設定しかしていなかった。

 まあ、ここまで言えば分かるか。

 女性二人のうち、Aが隙を突いて、スマホのロックを突破、各種データにハッキングをした。

「そんな……そんな技術が『管財課の女子』なんかにあるの?」

 あったらしい。えてして、人は意外な面を持っているよな。

 そして、スマホをハッキングされたということは、必然、私生活も丸見えなわけで。

「おいおい、どう考えても」

 そう、盗撮盗聴だ。

 家の中でしか言っていない会話が筒抜け。どこへ行ったか位置情報が漏れまくり。私的なデータは全て掌握された。

 果てには、俺が自慰行為をしている場面まで、克明に相手の手元へ届いていた。

 俺のイチモツのスペックとか、自慰中の間抜けな様子が相手には大好評だったようで、下卑た声でひたすらに笑っていたよ。

 んでもって約数ヶ月間、俺はそれを悟れなかった。自分が卑劣な手段で攻撃されていることを、己の尊厳にかかわることを、察知できなかった。

 俺は、全然、頭が良くなんかなかった。アレな様子を見られたことより、むしろその、自分の愚かさが俺には悔しかった。俺がただの間抜けであることを、これ以上なく思い知らされた。

 ともあれ奴らは邪悪だ。この世界にいてはならない邪悪だ。

 そこで俺は訴訟を決意した。こっちにも電子戦に詳しい自衛隊技官の友達がいたから……。

「松永だね」

 そう、松永に依頼して、ハッキングをせき止め、その証拠となるデータを無力化しつつ保管した。

 同時に、敏腕の弁護士に依頼した。俺の祖父の代から世話になっている、信頼できる人間だ。

 俺本人だけで訴訟するには、敵はあまりに人格が破綻しているからな。弁護士バッジがないとどこまでも俺の側を舐め腐るタイプだ。

「知見は充分なんだね」

 なにせ専門職の法務だからな。やろうと思えばできなくもなかったが……。

 だが示談には応じなかった。そんな覚えはないの一点張り。

「そうだろうね……」

 そして同時に、AとBは、本当は俺のことが好きだったという言説を流し始めた。

 彼女ら自身がだ。俺に聞こえるようにな。

「それは……」

 俺にも分かった。法的責任をかき消すための方便、悪辣な計略だった。悪魔の言葉だった。

 だけども……。

「どうした」

 俺は、それが計略であることを頭では分かっていても、心はそれが本音であることに、とめどなく期待を掛けようとした。

 俺がモテない人間であることはお前も知っていると思う。

 女性に縁がなく、ましてや好きだなどと言われたことのない男だ。そんな甘美な言葉を浴びたら、どうしようもないほど、ぐらつくんだよ。一度は戦うと決めた心が、その鉄槌を投げ出そうとするんだ。

 どうせ虚言で、それを信じて訴訟をあきらめたら、またいじめの日々が始まる、そんなの頭では分かっているんだ、でも俺の心は藁にすがろうとするんだよ。

 百万言を費やしても、この心境は理解されない。手の届くところに大団円があるかのような錯覚。まるで悩みなんてなかった子供のころの記憶が、不意に目の前に現れるあの感じだ。

 頭と心が、卑怯な策略によって引き裂かれる。

「でも……きみは決意したんだろう?」

 泣きながら決意したよ。弁護士から心配されるほどに。

 訴訟自体は、民事も刑事も粛々と進んだ。AとBは計略をさっぱりとあきらめ、当たり前のように応訴と攻撃を始めた。

 俺の心は、その様子に痛みを感じた。すがりたかった気持ちは、案の定、ただの謀事に過ぎなかったんだよ。

「そうか……」

 でも、それも明日で一区切りだ。刑事訴訟の最終弁論期日だからな。検察官が論告求刑を行い、相手側弁護人が最後の抵抗を行う。

「相手……被告人も結構防戦したんじゃないの?」

 そこは松永と弁護士のおかげだな。徐々に切り崩していった。少なくとも無罪はありえないほどにな。

 とにかく明日でまずまず片付く。卑劣な計略に対する、公平な負の配分が下される。正義は勝つというより、勝たなければならない、そういう宿命だからな。

「そうか……」

 今夜はその前祝いだ。松永は仕事で出席もリモートもできなかったけど、盛大にやろうぜ。

 あとで松永にも報告しよう。改めて乾杯!

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