7章 終わりと旅立ち

第51話 決戦の朝

 決戦の日の朝は、いつもよりすっきりと目覚めた。もしかしたら人生で最後の睡眠で、最後の目覚めかもしれないというのに、その朝はあまりにもいつも通りで、アデル自身今日が決戦だというのがいまいち実感を持てないのでいるのだった。

 解放軍はルグミアン川を攻略し、ここ王都を目指して進軍中である。あと一時間もしないうちに、この城下町も戦場となるだろう。

 町民達には非難指示すら出されていない。グスタフ宰相も自分の最後が迫っているのをひしひしと感じ、町民達の命どころではないのだろう。為政者失格である。

 おそらくグスタフ宰相が最後の心の支えとしているのが、ゾール教国の援軍である。援軍が僅か五〇騎である事をグスタフ宰相は知っているのだろうか。もし知れば、その少なさから怒り狂うかもしれない。

 だが、彼がそれを知る事もない。

 アデルはゾール教国の援軍全てを一人で片づける気概でいたからだ。

 万が一抜かれれば、解放軍の後方が叩かれる。解放軍の後方には、おそらくアーシャもいるだろう。彼女の安全を守る為にも、一人たりともサイユの森を通してやるわけにはいかないのだ。

 アデルはむくりと起き上がると、兵士寮共有の井戸で顔を洗い、用を足してから、鎖帷子を身に着ける。

 あまりにいつも通りの朝で、本当にこれから死闘が始まるという緊張感が全く持てなかった。

 緊張感を通りこして、諦観が芽生えているのかもしれない。

 アーシャやアモットには生きて帰ると言ったが、正直なところ、生き残れるかどうかは半々といったところだ。敗残兵と言えども敵は正規軍だ。その五〇騎の強さと、それらを率いている元Sランクパーティーの強さ。サイユの森の立地を利用しても、完勝は危うい。


(まあ……元々、一年前に失っていたはずの命か)


 ふと初めてこの島に来た時の事を思い返す。

 オルテガのパーティーとしてこの島に来て、キッツダム洞窟で裏切られたのが全ての始まりだった。

 そこで途絶えるはずだった命が、偶然〝成人の儀〟で洞窟に入っていたアーシャが通り掛かって、〝ヴェイユの聖女〟の力を以てして、アデルを救ってくれた。そして、彼女の『あなたの居場所になる』という言葉から、彼はもう一度この島を訪れ、王宮兵団に所属するに至ったのだ。

 ヴェイユで暮らす日々は楽しかった。アデルの人生で最も穏やかだったといっても過言ではないかもしれない。

 そんな中で、兵士の身でありながら、王女と気持ちを交わしてしまった。それは、一年前に死んだはずの命にしては、あまりに幸福な時間だった。

 今日の戦いでは、その幸福を使い切る事になるのかもしれない。

 もともとこの命はアーシャに救われ、アーシャの為に使うと決めたものだった。それを今日、この決戦で使うだけなのである。

 生きて帰れる保証などなかった。生存するのは、かなり困難だ。どれほど続くかわからない王都解放戦争の間、正規軍五〇騎と戦うなど正気の沙汰ではない。

 無論、アデルとて死ぬつもりはない。生きて帰ってきて、アーシャとの未来を勝ち取るつもりだ。だが、それが叶わない可能性もある。アデルの想定よりも敵が強ければ、或いは解放戦争が長引けば長引く程、彼の生存率は下がる。

 もうアーシャの顔を見る事も叶わないかもしれない──それを考えると、思わず胸から何かが込み上げてきて、瞼の裏が熱くなった。だが、すぐに頭を振って、その感情を拭い去る。


「やれやれ、良くないな。何だか知らないが、弱気になってしまっている」


 自嘲的な笑みを浮かべると、アデルは自らの大剣を抜き放ち、その刀身を眺めた。

 身幅四寸・長さ五尺の刀身が真っ黒な魔剣は、いつもと変わらず怪しい輝きを放っている。この〝竜喰いドラゴンイーター〟があれば、鎧など羊皮紙に同じだ。敵の数など関係がない。そう信じるしかなかった。

 

「俺は必ず生き残る。間違いなく、だ。俺には大地母神フーラよりも、もっと強い女神様がついてるんだ。面白がってたまに汚い言葉を遣うけど、そいつはきっと俺に勝利をもたらしてくれる。それだけは、決まってるんだ」


 刀身に映った自分にそう語り掛けてから、剣を鞘に収める。

 その女神の姿を思い浮かべてから、大きく息を吐いた。みるみるうちに、身体から恐怖が抜けていった。


(……よし。もう大丈夫だ)


 覚悟は、決まった。もう長居は無用である。

 もはや自分に残された道は修羅となり悪鬼となり、命尽きるその瞬間までただ剣を振るい続ける事だけなのだから。

 それからアモットに指定された場所に行くと、軍馬が一頭繋がれていた。アデルはその馬に乗り、解放軍と遭遇しない様に町の南側から回って、一気にサイユの森へと向かう。

 北側の門街道を通れば、解放軍と遭遇する事も可能だった。そこにはきっとアーシャがいて、最後に彼女を見る事ができるかもしれない。

 ただ、それでは彼女をもっと見ていたいと思ってしまう。悪鬼となる覚悟が鈍ってしまう。アデルとしては、その覚悟だけは揺るがせたくなかった。

 これは自分だけで遂行せねばならない依頼だ。それはリーン王妃との約束で、だからこそその報酬も大きい。

 アーシャを任せる──それは、王妃にとっても、いや、このヴェイユ王国にとっても一番の宝を差し出すも同然なのである。王妃とて、今日は最悪命を落とすかもしれない日だ。皆が皆、それぞれ決死の覚悟で、今日という一日を臨んでいる。

 それならば、自分も腹をくくらなければならない──アデルはそう思うのだった。

 それから街道を走り続け、サイユの森には予定より一時間近く早く着いた。おそらくもう、王都でも戦闘が始まっているだろう。これから何時間耐えなければならないのか、定かではない。

 ただ変わらない事実として、五〇騎と戦わなければならない事だけだ。

 アデルはサイユの森に入って、森の中を確認する。

 アモットの言う通り、サイユの森は一本道になっており、多くても人は二人までしか横には並べない。馬を連れていたならば、一頭が限界だ。左右の森は木々が生い茂っており、真ん中の道以外からの移動は困難だろう。

 アデルは馬をサイユの森の入り口に繋ぎ、森の中央あたりまで進んで、その道に仁王立つ。なるべくこの位置を保って、一~三人と戦う様にさえすれば、時間は可能な限り稼げるはずだ。

 罠などを仕掛ける事も考えたが、変に罠に意識が行って攻撃や防御が遅れる方が危ない。とにかく一人でも敵を倒して、自分は可能な限り傷を負わず、そして時間を稼ぐ──それに集中するのが一番だろうと判断したのだ。

 それから一時間ほど経った頃……森の反対側の方から、人の気配がしてきた。地面に耳を当てると、何十もの人の足の振動を僅かながらに感じた。

 数的に農家や賊ではない事も確実だった。間違いなく軍隊だ。


(……さあ来い。ここから先は誰一人とも通さない)


 アデルは息を整え、その瞬間を待った。

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