挿話 ヴェイユ島へ向かうとある男女の話

 二人の男女が船室のベッドで肌を重ねて横になっていた。船が揺れてたまに気分が悪くなるが、気候は穏やかなせいか、それほど悪い船旅ではない。

 女は少しだけ体を起こして、水を口に含んだ。

 

「ねえ、もうあんまり無理させないで」


 女はベッドで大の字になって眠る大男に言った。


「ああ、わかってる。だから今のうちに、十分にしてるんじゃねえか」

「……お腹が大きくなったら襲ってこないでね。私も拒否するから」

「わかってるって言ってんだろ」


 女の叱責する様な声に、男は怠そうに答えた。


「なんてったって、その体には──もう俺のガキが宿ってるんだしな」


〝紅蓮の斧使い〟にして〝ゾールの聖戦士〟オルテガは満足げに言った。


「……ええ、そうね。だから、無理はさせないで」


 今では〝ゾールの聖女〟と呼ばれている金髪碧眼の回復術師・フィーナは彼から視線を逸らすと、お腹を撫でた。

 まだその腹は膨らんでなどおらず、以前と大差がない。しかし、このお腹の中には新たな命が宿っている事が、医師の診察によって判明した。

 彼らはゾール教国内では夫婦として認識されている。無論、結婚式を挙げた事もなければ正式に婚姻の許諾をした覚えはない。しかし、彼らは自らの命を救う為に仲間の命を犠牲にし、更に夫婦であると言う事で、ゾール教国に受け入れられた。

 それから彼ら夫婦は、ゾール教国軍として戦闘に参加した。祖国の兵・ライトリー王国軍と戦い、屠り、そして自らの祖国を攻撃する者達の傷を癒した。

 理由は、そうする他彼らに選択肢がなかったからだ。

 これでも彼ら夫婦の扱いは良い方だ。オルテガは大きなものに巻かれる、というある種の才能を有しており、ゾール教国の司祭に上手く取り行った。

 戦果を挙げる事で、二人で過ごせる様にゾール教国内でもある程度の自由を持たせてもらえて、尚且つ元から信徒であったと嘯いた事で、洗脳も免れている。ゾール教国に侵攻を受けた側の生存戦略としては一番正しい方法だった。

 しかし、そこにはもう『生存する』という以外に意義を見いだせなかった。冒険者としての誇りもなければ、人としての仁義もない。ただ生き残る為に仲間を裏切り、信じていた神を裏切り、そして祖国の者達を傷付ける。それが今の彼女達だった。

 そうして得た称号が〝ゾールの聖戦士〟と〝ゾールの聖女〟だ。フィーナにしてみれば、皮肉にもほどがある称号だ。


「お腹の中の子の為にも、従軍もこれが最後にしたいわ。本当はもう今回も参加したくなかったけど……」

「行先がヴェイユ島、だからか?」


 オルテガの問いに、フィーナはこくりと頷いた。

 彼女らはとある任務の為に、兵を率いてヴェイユ島に忍び込み、敵の背後から奇襲をかける事となっている。

 ヴェイユ島は今内戦状態にあり、王国軍と王都解放軍が衝突しているそうだ。王国軍は、加勢して解放軍を撃退してくれたなら、無条件でゾール教国の傘下になる事に同意した。

 そこで、今回は〝ゾールの聖戦士〟オルテガをリーダーとしたゾール教国の増援がヴェイユ島に送られているのではあるが──数はたったの五〇騎。オルテガは状況次第では戦う必要はないとさえ部下には伝えていたし、彼自身戦う気はあまりないようだ。

 ゾール教国の司祭からも、『奇襲が成功しそうならしろ、無理はしなくて良い』という指示を受けている。要するに、建前で増援は送っているが、今ヴェイユ島に戦力を送れる程、ゾール教国の西部は安定していないのだ。度重なる戦争でゾール教国の内側はぐらぐらで、特に旧ライトリー王国領に関しては、統治できるほどの余力もない。〝洗脳〟に関しても司祭の数が足りずに追い付いていないのだ。今回の五〇騎も、ゾール狂信兵ではなくただの敗戦国の騎士団で構成されているので、士気も低い。


「ねえ……私、アデルのいる洞窟に行きたいわ」


 フィーナが迷いつつも、自分の要求を口にした。

 彼女がこの従軍に参加した大きな理由……それは、アデルが死んだ場所に行く事だった。今はこうしてオルテガと結ばれたが、婚姻に許諾した覚えもなければ交際関係になった覚えもない。彼女の心の中には、未だにアデルがいた。

 オルテガとはただ体の関係になってしまい、彼女は彼女でアデルの死を忘れる為にそれを利用していただけにすぎなかったのだ。

 それは、こうして彼の子を身籠った今も変わらなかった。

 だが、そんな気持ちのままこの子を産むわけにもいかない。生まれてくる子には何ら罪はなく、の子供だとは言え、母が子を愛さないのは罪であり、そして子があまりにも可哀想だ。

 だが、もしアデルの死んだ場所に行き、心の整理がつけば変わるのではないか。後ろばかりみていたこの一年もの間に見切りをつけ、前を向けるのではないか。そう思ったのだ。


「あそこは危険だ。お前まで死なれちゃ、俺が何でこんな糞ッ垂れたイカレポンチな宗教の国に身を置いてるのか、意味がなくなるだろ」


 オルテガがフィーナの要求を拒否する。

 彼の言い分としては尤もなので、フィーナはそれには同意せざるを得なかった。

 オルテガもフィーナも、生き残る為に自らの宗教を捨て、祖国も捨て、そして仲間も捨てた。その中で授かった命は、彼女にとっても唯一の救いだった。今、その救いを失うわけにはいかない。


「それなら、洞窟の前まででいいから、行かせて欲しい。せめて、彼の前で祈りを捧げたいの。そこで、もう終わりにするから……」

「……ああ、わかったよ。今や、どっちの神の祈りを捧げればいいのかわかったもんじゃねえけどな」


 オルテガはどこか不満そうにそう言うと、寝返りを打って顔を背けた。

 ヴェイユ島の到着まで、もう間もなくだ。

 その島で、彼らは予期せぬ再会を果たす事になるなど、予想などできるはずもなかった。

 彼らの進軍の前に立ちはだかったのは、だったのだ──。

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