第32話 誓い②

(ああ、そういう事か……)


 アデルは長らく自分が一人で戦っていた理由に気付いた。

 彼は、両親の死で大切な人を失う悲しみを知った。仲間から裏切られる事は怖かったが、それよりも誰かを失う事が怖かったのだ。

 結果的に仲間から裏切られ、全てを失う事にはなってしまったが……アデルも、アーシャと同じ気持ちだったのだ。

 おそらく、アーシャは死そのものに慣れていない。アデルがキッツダム洞窟で死にそうになっていたのを見て、その死が目の前にある事を恐れて、彼女はただ懸命にアデルを治療してくれたのだろう。


「アーシャ王女……今だけは無礼を許してくれ」

「あっ……」


 アデルは涙する王女の肩をそっと手を置くと、そのまま自分の方へと抱き寄せた。彼女は小さく声を漏らしたが、それに抗いはしなかった。


「戦で誰かを亡くすというのは……これだけ辛い事だったんですね」

「ああ……」


 そっと彼女の背中を擦ってやると、アーシャは歔欷しながらも、そっとアデルの背に自らの腕を回した。


「私、怖いです。クルス様が亡くなるかもしれないという事も、この国もいつか攻め込まれて、たくさんの国民達が亡くなるかもしれないという事も……これまで考えた事もなかった事が急に現実味を帯びてきて、それを考えると、怖くて眠れなくなるんです」

「大丈夫……大丈夫さ。俺達兵士は、そういう時の為にいるんだ。国の民も、アーシャ王女も俺達が守るさ」

「そういう事じゃありません!」


 アーシャは声を荒げて、アデルを見上げた。


「私は……アデルを失う事も、怖いんです!」


 それは慟哭ともいえる心の叫びだった。

 予想外の言葉に、アデルは口をぽかんと開けて彼女を見つめる。

 少女はアデルの胸の中に顔を埋め、続けた。


「兵士だからとか、そういうのじゃなくて……私はアデルにいなくなって欲しくないんです。もう、あんな状態のアデルを見たくありません」


 あんな状態とは、おそらく洞窟での事を言っているのだろう。

 アデルは確かに死の淵にいた。アーシャによる治癒魔法がなければ、間違いなく命を落としていたのは明白だった。

 アデルは少し迷いながらも、彼女の細い肩を抱き締める。アーシャもそれに応える様に、アデルにしがみ付く様にして、腕にぎゅっと力を込めた。それはまるで、絶対に離さないと言わんばかりであった。


「アーシャ王女。初対面があんなザマだったから、不安かもしれないけどさ……俺、絶対に死なないから。もうあんな無様な姿は見せない。約束する」

「そんなの、わからないじゃないですか……」

「わかるさ」

「どうしてですか?」


 アデルは彼女の肩を優しく掴んで、そっと体を離して彼女を真正面から見つめる。


「俺がどうしてここにいるのか、もう忘れたのか?」


 アデルがそう訊くと、銀髪の王女は顔を上げた。


「え……?」

「俺は、ヴェイユ王国の王女・アーシャ=ヴェイユに居場所を作られて、ここにいるんだ。この国は俺にとってももう大切な居場所で、なくてはならない場所なんだよ」

「アデル……」


 王女の頬を伝う涙を指で拭ってやり、アデルは続けた。


「あなたは俺の為に居場所を作ってくれた。謂わば、俺にとっての主君はアーシャ王女なんだ。主君の厚意を無碍になんてできるわけがない。あなたがここにいろ、生きろと言ってくれるなら、俺はここにいるし、生き続ける。どうだ?」


 そう言うと、アーシャは目を赤くしたままくすっと微笑んだ。


「わかりました。では、アデルに命じます」


 こほんと咳払いをしてから彼女は微笑もうとしたが、失敗してくしゃっと泣きそうになってしまっていた。


「絶対に……死なないで下さい」


 小さく咽び泣きながらも、彼女はアデルの瞳をしっかりと見据えて、そう言った。


「承った」


 アデルはもう一度彼女を抱き締めると、そう呟いた。

 しかし、彼女は涙を浮かべたままくすっと笑ったかと思うと、すぐに「それではダメです」と言った。


「ダメってどういう事だよ?」


 体を離して彼女の顔を覗き込むと、アーシャ王女は顔を涙目のまま顔を赤らめて、悪戯げに笑った。


「えっと……誓いが足りません」

「誓い?」

「はい……ちゃんと、ここに誓って下さい」


 アーシャは言いながら顎を少し上げて、唇を遠慮がちに突き出した。


「ここにって……それって」

「はい。ちゃんと……誓って欲しいです」


 さしものアデルもこれには困惑する。それは、王女の大切なものを一つ奪うという事だ。そして、それは兵士としても、王女としても一線を超える事になってしまうのである。王族である彼女が、一介の兵士に過ぎない彼がして許されるものではない。

 更に言うと、その一線を越えてしまっては、アデル自身自分の気持ちの制御ができそうになかった。間違いなく、彼女をひとりの女として見てしまうだろう。


「……本気で言ってるのかよ」

「本気です。本気じゃないと、こんな事言えるわけないじゃないですか」


 アデルは鼓動が荒ぶるのを感じながらも、もう一度アーシャをじっと見つめる。

 少し冗談じみた口調で言ってはいるものの、彼女の表情は真剣そのものだった。


「後悔……するなよ」

「はい。絶対にしません」


 彼女が頷いたのを確認してから、そっと顔を近づける。

 彼女も、少しだけ顎を上げて瞳を閉じると……大剣使いと王女の唇が重なった。少しの間だけ重なり合い、そしてそっと互いの唇が名残惜しそうに離れる。

 二人は顔を見合わせると、互いに照れくささから笑みを交わした。


「これで、アデルは私のファーストキスを奪った人です。責任は重いですよ?」

「え、ええ⁉ 責任って言われても」

「はい。だから、絶対に……死んじゃダメです。ずっと私の傍にいて下さい」


 アーシャは言ってから恥ずかしくなったのか、アデルの胸に飛び込む様に顔を押し付けた。首根っこをしっかりと抱きかかえている。

 アデルは両手を彷徨わせているが、そっと彼女の肩を掴み、そっと彼女を抱き締める。


「アーシャ王女」

「その呼び方、今は嫌です……今は、名前で呼んで下さい」

「……アーシャ」

「はい」


 アデルの呼びかけに応じる様に、アーシャは顔を上げた。

 浅葱色の瞳が潤んでいて、頬は赤くなっていた。


「俺は絶対に死なないし、アーシャとこの国を守る。この口付けを以て、誓うよ」

「……はい」


 アーシャはもう一度顎を少し上げて、瞳を瞑った。アデルも瞳を閉じて、もう一度顔を寄せる。

 兵士と王女の、内緒の口付け。月明りも相まって、とても浪漫で溢れていて、幸福感に包まれていた。

 その幸福感を感じたくて、誓いを絶対なものにしたくて、二人は何度も口付けを交わす。

 だが、世界は──彼らが望む様には、動いてなどくれなかった。

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