挿話 戦火の中で下した裏切りの決断

 ライトリー王国・ランカールの町が戦火に包まれていた。

 自由都市アイゼンを占領した旧ゲルアード帝国にして現ゾール教国──ゲルアード帝国はミュンゼル王国を滅ぼして以降、国名を『ゾール教国』へと改名したのである──は、ダリア公国とライトリー王国にまで手を伸ばしてきたのだ。ランカールの町はライトリー王国の中では東に位置するので、遂にゾール教国の魔の手が及んできたのである。

 ランカールの冒険者ギルドからは全冒険者に緊急依頼が出た。依頼内容は、『ランカールの防衛』。しかも依頼主はライトリー王国と領主だ。

 ランカールの町はそれほど大きな町ではない。警備兵もそれほど配備されているわけでもなく、軍勢が本気で占領しかかってくれば、数時間で町は占領されてしまうだろう。

 そこで、ライトリー王国は冒険者を頼った。町の冒険者全てに防衛の依頼を出したのだ。

 しかし、その狙いは上手くは転ばなかった。

 冒険者達は手練れが多く、要人の護衛なども務めているので、戦闘能力は高い。しかし、町を攻められるといった事を経験しておらず、しかも大規模な戦となると、経験者は限られてくる。今のアンゼルム大陸では、大規模な戦争など滅多に生じないからだ。

 しかも、敵はゾール教の司祭に操られた狂信兵達。人としての恐怖を知らぬ者が相手では、さしもの冒険者達も苦戦を強いられた。町の防衛は不可能となり、町民を逃がす方向へと指針を変えられた。

 冒険者達の活躍もあって、町の住人達の多くは外へと逃がす事には成功した。しかし、その時間稼ぎの間に何人もの冒険者達が敵に殺されて行った。


「上等だぜ、糞ッ垂れイカレポンチども! 死にやがれ!」


 オルテガの戦斧が赤色に染まる。

 ランカールの冒険者中で、唯一まともに戦えていたのはこの町唯一のSランクパーティーことオルテガ一行だけだった。

 オルテガの圧倒的な膂力を活かし、狂信兵達を下がらせ、そこで魔導師イジウドと盗賊ギュントが追撃を掛ける。

 しかし、それでも多勢に無勢。相手は軍である。Sランクと言えども、パーティーだけで乗り切るのは無理だった。


「ねえ、どうするの、オルテガ。このままじゃ私達も……」


 フィーナが声を潜めてオルテガに訊いた。

 彼らは家主を失った家屋の中に身を隠して、一旦やり過ごしている。

 他の冒険者達ともはぐれてしまい──その多くは敵に殺された──もはやオルテガ達は戦場で完全に孤立していた。


「いいから、黙ってろ」


 オルテガはフィーナにそう言うしかなかった。実質的には対処が難しく、逃げるのも難しい。

 隣の家には魔導師イジウドが待機しており、その隙に駿足の盗賊ギュントが今は逃げ道を探しに行っている。

 だが、もう完全に町は包囲されており、逃げ道はおそらくないだろう。その中に守りが薄いところはあっても、このパーティーに突破力があるのがオルテガだけだ。恐怖を知らない狂信兵相手に、突破できるとは思えなかった。


(糞ッ垂れ……こんな時にアデルがいれば──)


 一瞬だけ考えてはならい事がオルテガの頭の中で浮かんでしまった。

 彼だけはそれを考えてはいけない──そう思っていたのに、こうした危機的な状況に陥った時に、思わず自らが手に掛けた男の顔が浮かんでしまった。


(あのイカレポンチを消しちまってから、何もかもうまくいかない事だらけだ)


 オルテガは腹の中で芽生える怒りと劣等感を必死に抑え込みながら、歯を噛み締める。

 イジウドやギュントが「こんな時アデルがいればな」と難易度の高い依頼をこなしている時にぼやいていた時はあった。どの口が言っているのだとオルテガは思ったが、そう言いたくなるのもわからなくもなかった。

 アデルが以降、オルテガ達のパーティーは依頼の成功率は下がっていた。Sランクパーティー向けの依頼の難易度が高かったのもあるが、その原因はアデルがいない事だった。彼がいればできた事が、彼がいないせいでできない──そういった事から、採れる打ち手が少なくなり、結果として依頼失敗に終わった事も多かった。

 つい先日も、ギルドマスターから次の依頼で失敗すればAランクへの降格も考えると言われたところだった。


(糞が! 俺一人の力だと、Aランク留まりだったって事かよ!)


 彼らがSランクパーティーになれた理由──それは、アデルがいたからだったのだ。

 彼はその事に、今ようやく気付いたのだ。結局アデルがいなければ、Sランクとして通用しない。それがオルテガが思い知った事だった。

 今回の一件も、アデルがいれば打ち手はあった。アデルとオルテガの二人で敵将のところまで突破し、敵将の首を落とすといった博打も打てたはずだ。

 しかし、オルテガ一人ではむざむざと全滅しに行くだけである。


「オルテガ……?」


 金髪碧眼の回復術師がオルテガをじっと見ていた。

 フィーナはアデルの死から体をオルテガに明け渡しているものの、彼女の心の中ではまだアデルへの気持ちが残っている。それは体を重ねているオルテガが一番わかっていた。

 もはや回数だけで言うなら、アデルよりも圧倒的に多く交わっているだろう。しかしそれでも、彼女の心の中からアデルを消す事は叶わない。薬を飲ませて性に狂わせても、彼女の中にはアデルがいたのだ。

 オルテガはここでもアデルに負けていたのである。


(糞ッ垂れ、糞ッ垂れ、糞ッ垂れ! ここで死んだらそれこそ負けを認めたもんだ。絶対に負けねえ。こいつも俺の女にしてやる……!)


 フィーナを見て、オルテガは改めてそう強く思う。

 アデルに勝つには、自分が生き残るだけだ。それまで死んでやるわけにはいかなかった。

 オルテガはフィーナの手を握り、そして彼女にを渡した。

 それは、オルテガも持っている。先程敵の狂信兵を殺した時に、こっそりと奪い取ったものだ。


「オルテガ、これって……!」

「宗教を偽るぞ、フィーナ」

「で、でも……それは大地母神フーラ様を裏切る事にッ」

「もうそれしか俺達が生き残る道はねえ!」


 オルテガがフィーナに握らせたもの。

 それは、邪神が彫られたゾール教徒の証たるネックレスだった。しかも、宝石も埋め込まれている。

 幸い、宝石が埋め込まれた邪神のネックレスは、二つ手に入った。この証を持っているのは、かなり敬虔な信者の証だ。この証を持って敵の前に出れば、助けてもらえる可能性があった。


「待って、それに私達は今まで敵を倒してる。今更出ていっても」

「……大丈夫だ、それも考えてある。安心しろ、お前だけは守ってやる」


 フィーナは不安そうにしているが、オルテガは頷く事しかできなかった。


(へっ……人生ってのは糞みたいなもんだ。まだ糞の方がマシなのかもしれねえ)


 オルテガは内心で大地母神フーラに唾を吐きつけた。


(邪魔者がいなくなった途端、転げ落ちるみてぇに自分が腐っていく道しか残ってやがらねえ。こいつは一体何の冗談だ、糞女神)


 自嘲的な笑みを浮かべて、ギュントの報告を待つ。

 この時彼は、ある決断をしていたのだった。


       *


「お、おい……嘘だろ? オルテガ……やめてくれよ、俺達仲間じゃねえかよ!」

「貴様、そこまで堕ちたか!」


 ゾール教国の陣営のど真ん中で、盗賊ギュントと魔導師イジウドは縛られて座らされていた。

 あの後オルテガはギュントとイジウドを殴って気絶させ、ゾール教国側への陣営に向けて、白旗を上げたのだ。また、その際に自らとフィーナが隠れたゾール教徒の信者であったが、仲間の前ではそれを表に出す事ができず、無理矢理戦わされていた──と、ゾール教国陣営には伝えてある。

 しかし、今は違う。その証拠として、ギュントとイジウドが首謀者だとして、司祭の前に突き出したのだ。

 そして今──縛られたギュントとイジウドの前に、戦斧を持って立っているのだった。


「どうした、同志オルテガよ。汝が敬虔なる信者と言うのであれば、この者どもの首を撥ねよ。我はまだ汝を信用したわけではないぞ」


 ゾール教国の司祭が尊大な物言いで言う。

 彼らとてオルテガの話を全てが全てを信じたわけではなかった。そうでないというのであれば、その達の首を撥ねよ──そう、彼はオルテガに命じたのである。

 フィーナもそう命じられたが、彼女は回復術師だ。殺す事はできないと説得させ、代わりに先程まで戦っていた信者達の傷を治療する事で、殺しは免れた。

 その代わりに、オルテガが二人を殺せと命じられたのである。


「オルテガ、お願い……やめて」


 フィーナが他に聞こえない様に、小さな声で言う。

 しかし、オルテガはフィーナを無視したまま引き攣った笑みを浮かべて、斧を振り上げた。


「へっへっへっ、ようやく異教徒どもをぶっ殺せる時が来て、せえせえするぜ」


 信じられない、という様な顔をして、イジウドとギュントがオルテガを見上げていた。その瞳には絶望色で染まっている。


「こんの糞裏切り者のイカレポ──」


 ギュントが叫んだが、その言葉を最後まで言う事はなかった。オルテガの斧が振り下ろされたのだ。

 そしてそのまま、イジウドの首も撥ねた。

 オルテガの顔に、かつての仲間の血が飛び散った。フィーナは体を後ろに向けて、顔を覆っている。

 オルテガは自らとフィーナを守る為に、仲間を裏切って、殺したのである。


「見事だ、同志オルテガ! 見事な異教徒への鉄裁であった! 汝を我らの仲間として迎えよう!」


 ゾール教国の司祭が嬉しそうに言った。


「おいおい、司祭さんよ。甘く見てもらっちゃ困るな?」

「む?」

「これで終わりじゃねえ。どもが使ってる逃げ道と領主どもの隠れ家も教えるっつってんだよ。そいつらを叩いた方が増援までの時間も稼げる。そうだろ?」


 オルテガが言うと、ゾール教国の司祭は嬉しそうな笑みを浮かべて、手を叩いた。


「見事だ、同志オルテガ! 汝と、フィーナにはそれに相応しい地位を与えようぞ!」

「へへっ、ありがてぇ。頼むぜ、旦那」


 オルテガはそう言って、フィーナの手を握った。妻という事にした方が、彼女がゾール教国に何かをされるという危険がなくなると思い、咄嗟に嘘をついたのだ。

 こうしてオルテガとフィーナはゾール教国軍に寝返り、母国ライトリー王国の敵となった。

 一度仲間を裏切ってしまえば、その後はもう裏切るしかない──オルテガはこの時、その事実を知ってしまったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る