第31話 誓い

「ありが、とう……ございましたぁ」


 ルーカスとカロンは同時にそう言うと、その場でぱたりと倒れた。


「あいよ、お疲れさん」


 アデルは訓練用の木剣を壁に掛けて、小さく息を吐いた。

 場所は夜の訓練場。アデルはここ数日、ルーカスとカロンに稽古をつけてやっていたのだ。

 理由は、言うまでもなく先日のミュンゼル王国の滅亡だ。いつ何時このヴェイユ王国も帝国に狙われるかわからず、戦火に襲われる可能性も有り得る、そうなった時の為に鍛えて欲しい、と二人から言われたのだ。

 戦争が起きる起きないについては、アデル達が実際にできる事など何もない。戦争が起きると言われれば嫌でも起きるし、起きたら戦わなければならない。その時の為に、こうして鍛錬をして備えるしかできないのである。


「じゃあ、今日はもうお終いな。明日、俺が朝早いんだ」


 アデルは明日の早朝から城壁付近の警備の任務が与えられている。ただ外を見ているだけで暇な任務ではあるが、万が一異変があった場合は知らせないといけないし、遅刻は言語道断だ。


「アデルさんは早朝の見回りでしたっけ。わかりました、僕らはもうちょっと休んでから帰りますー」


 カロンの返事を聞いて、アデルは嘆息を吐いてから「じゃあな」と訓練場を後にする。


(これだと、俺の腕が鈍ってしまうな)


 アデルは自らの手のひらを眺めて、強く握り締める。

 彼はカロン達との訓練では、まだ五分の一ほどの力も出していない。それは、他の兵士と訓練をしても同じだ。

 これは仕方のない事だった。ろくに実戦経験を積んでいない王宮兵団と、常に魔物や人と命の奪い合いをしていたアデルとでは、実力以外にも戦いへの覚悟等の心意気も雲泥の差がある。それは、カロンやルーカスが多少の戦いを王宮兵団に入ってからしたからと言って、簡単に埋まるものではない。

 それに、戦いと言っても、ここヴェイユに住まう賊や魔物など、大陸では到底生きていく事などできない程弱いのである。その程度の相手に実戦経験を多少積んだところで、それが大きく力を引き延ばす事などない。

 だが、それはヴェイユ島に国がひとつしかない事も大きく影響している。この島には国王直轄地の王都近辺の国王領の他、ダニエタン伯爵の統治するルベルーズ領と、ヴィクトル伯爵の統治するベルカイム領しか領土がない。そして、どちらの伯爵も国王に忠誠を誓っており、争いなど起きる気配もないのだ。実際に建国以来、ヴェイユ王国は内戦などした事がないそうだ。国政が優れているが故に、争いも生じない。ヴェイユ王国とはそういった国なのだ。

 この国が平和なのは良い事だ。それは疑う余地はない。

 だが、そのせいで兵士達は危機感を抱けず、訓練も訓練としか思えないでいるのも現実だった。本当に命のやり取りをするものという覚悟を持てていないのである。

 無論、賊や魔物とは命のやり取りをするし、命を奪う事もある。だが、賊は所詮賊だ。殺されそうになると降参もするし、すぐに敗走もする。謂わば、兵士達が圧倒的に有利な状態の戦闘しか生じないのである。

 逃げる事が許されない敵兵との戦いや、死の恐怖を敵兵や魔物との戦いとは、勝手が異なる。

 この国にも手練れの精鋭部隊はいるそうだが、それもロレンス王直属の部隊のみだ。もし、この国で内紛や外敵からの侵略が生じたらどうなるのか……アデルには、皆目見当もつかなかった。


(俺も自主練だけでもしておくかな)


 そう思って一度寮まで大剣を取りに戻ろうと思った時だった。

 中庭を通った際に、白い何かがふわりと舞ったのが視界の片隅に入った。そちらに視線を向けると──そこには、白銀色の髪を持つ少女がいた。

 アーシャ王女だ。彼女は中庭の噴水の縁に腰掛け、ぼんやりと水面を眺めていた。

 本当は、そのまま見て見ぬふりをしようかと思った。これ以上踏み込んでも、きっとアデル自身が身分の差に傷付くだけだ。それは一か月前の競技会の流れを鑑みれば、明らかだ。頭ではそれを理解しつつも──アデルの足は、自然と彼女の方へと向かっていた。

 アーシャの横顔が、あまりにも悲し気な色で染まっていて、見て見ぬふりなどできなかったのだ。


「……アーシャ王女」


 アデルが声を掛けると、アーシャはハッとしてアデルの方を見た。

 すると、少女は少し気まずそうにぎこちなく微笑み、「こんばんは」と頭を下げた。

 アデルも同じくぎこちない笑みを浮かべると、少女に歩み寄った。


「こんな時間に中庭に出ていて良いのか?」


 アデルは少女の横に立って、同じく噴水を眺めた。

 月明りがほんのりと水面を照らして、その水面を噴水が打ち付ける。

 彼女は返事をせず、ただ水面を見つめるだけだった。


「アーシャ王女?」

「……すみません。ほんとはダメです。でも……不安で眠れなくて」

「不安?」

「はい。アデルも、ミュンゼル王国については知っているでしょう?」


 やはりその事か、とアデルは嘆息して、彼女の横に腰掛けた。


「ああ。でも、クルス王子は無事だって」

「でも、クルス様のお父上は亡くなってしまいました……」


 アーシャは声を沈めて、顔を上げた。

 近くまで寄って気付いたが、その浅葱色の瞳は涙が零れ落ちそうな程雫を留めていた。


「クルス様のお父様……アルセイム様も、昔クルス様と一緒にこの国に遊びに来て下さったんです」


 それは、おそらくクルス=アッカードに遊んでもらったという十年程前の時の事だろう。

 クルスの父と、ロレイン王は共に大陸六英雄と謂われており、先の邪教戦争では戦友であるとも言われている。その関係上、アルセイム=アッカードがヴェイユ王国を訪れてもおかしくはない。


「その時、私……遊んでもらったんです。クルス様にも、クルス様のお父様にも……頭を、撫でてもらったんです……ッ!」


 アーシャの瞳から涙がはらりと零れ落ちる。

 アーシャは人生で初めて戦争や戦いで知人を亡くす経験をしたのだ。大陸では誰かの死など日常茶飯事だが、この国で住んでいる限り滅多に起こるものではない。


「私、覚えてるんです。アルセイム様の御声も、手のひらの感触も……思い出せるんです。でも……もう、アルセイム様は……ッ」


 アーシャ程心優しい者の場合、人の死はつらいだろう。アデルにとっては死は常に隣り合わせだった。親も殺され、自分が死ぬ事も、仲間が死ぬ事も常に有り得た。

 無論、身近だったからと言って悲しくないわけではない。親に死なれた時は、悲しかった。仲間に死なれても悲しいのは間違いない。だからこそ、死なせない様に戦った。


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