第30話 動乱の予感②

「……糞ッ垂れめ。王宮がざわつくはずだ」


 アデルは額に手を当てて、舌打ちをした。

 彼が住んでいたランカールは、ライトリー王国の領内にある田舎町だ。ライトリー王国の王都からは少し離れているが、それなりに過ごしやすい。

 ライトリー王国はアンゼルム大陸の極西に位置している。ミュンゼル王国やゲルアード帝国は大陸の東側で、ライトリー王国とはほぼほぼ対極に位置していた事もあってミュンゼル王国については詳しく知っているわけではない。直接的な国交はほぼないし、アデル自身も行った事はなかった。

 アンゼルム大陸には、ライトリー王国やミュンゼル王国、ゲルアード帝国の他にも大小様々な国がある。

 ライトリー王国は大陸最西部に位置し、海との繋がりがある。王都からイーザイツ港までは十日程の距離にあり、港がある事から、比較的栄えている国だ。ランカールとミュンゼルの間には、リーン王妃の故郷・ダリア公国や自由都市アイゼン、その他小さな部族国家等がちらほらとある。

 ランカールから北東にダリア公国、真東の海岸沿いを歩いて行けば自由都市アイゼンに辿り着く。自由都市アイゼンを東に行ったところに、ミュンゼル王国があるのだ。ミュンゼル王国を南東に進み、イブライネ砂漠を抜けた先にあるのが海洋国家・バルムス王国だ。

 冒険者ギルドはその間にある小さな町々にあって、冒険者証があればどこでも仕事が引き受けられる事になっている。アデルはダリア公国や自由都市アイゼンの周囲にある小さな町でも依頼は受けた事はあるが、ライトリー王国で依頼を受ける事が多かった。自分が生まれた土地で、勝手がわかる事が大きい。それに、国が嫌いだと思った事はなかった。

 それぞれは小競り合いはあるものの、大きな戦争はなく、大陸の均衡を保たれていた。

 だが、ゲルアード帝国がその均衡を崩しにかかった。アデル達にはほぼ関係なかった大陸の極東──ミュンゼル王国の北東の地域──では、エトムートの祖国・ラトニア公国を始めとして、周囲の小国を滅ぼし、吸収し始めていたのである。

 アデルにとっては、大陸の極東で起こっている小さな戦争くらいにしか思っていなかった。だが、小国を吸収して力をつけたゲルアード帝国は、遂に大国ミュンゼルですら滅ぼしてしまったのである。

 ミュンゼル王国は、アンゼルム大陸の真ん中からやや東に位置し、大小様々な国と国交を行っていた。そのミュンゼル王国が滅びたという事は即ち、ゲルアード帝国は大陸西側を侵略する道をも手に入れた、という事になる。そして、クルス王子が逃げたと言われるバルムス王国までもが滅ぼされてしまうと、帝国は海路も手に入れる事となる。


(良くない……良くないぞ、これは!)


 アデルは自らの胸の中に浮かび始めた嫌な予感を否定し切れずにいた。そして、王宮中が騒がしくなるのもよくわかる。これは──大陸全土を巻き込んだ戦火の予感である。誰もがその予感を胸のうちでひしひしと抱き始めているのだ。

 アデル達が生まれる前に、大きな戦争があった。現ヴェイユ国王のロレンスや王妃のリーンが六英雄として数えられる切っ掛けになった、大陸のあらゆる国家を巻き込んだ戦争だ。それは邪教戦争と呼ばれていた。

 当時邪教戦争が起こった切っ掛けは、ワグナード帝国が大陸中を統一せんとして侵略を開始した事だ。邪教ゾールを国教として崇め奉り、その教えに沿って異教国家を滅ぼし、改宗させた。

 しかし、そこで大陸中の諸侯・英雄達が立ち上がり、打倒ワグナードの連合同盟を結んだ。ワグナード帝国はその同盟の前に討ち滅ぼされたのである。

 その後に出来た国が今あるゲルアード帝国だ。ゲルアード帝国は建国初期、ワグナード王の末っ子を幼帝として担ぎ上げ、ミュンゼル王国の傀儡王朝にした。

 しかし、その幼帝は父王を殺された恨みを忘れていなかった。幼帝が老帝となり、ゲルアード王は前身の王ワグナードの意思を継いでいたのである。密かに力を蓄えて、周囲の小国を吸収し、今大陸に向けて再び戦ののろしを上げようというのだ。

 まずは自らの飼い主であったミュンゼル王国を滅ぼしたのはその始まりに過ぎない、と言わんばかりである。


「待て、待ってくれ、カロン。どうして極東の小国・ゲルアード帝国ごときが大国ミュンゼルを滅ぼせるんだ。有り得ないだろ」


 ゲルアード帝国は決して大きな国ではない。公国を侵略できても、大国ミュンゼルを滅ぼす事は不可能だ。そもそも傀儡のが飼い主を食い殺す事などできようはずがない。その様な戦力を飼い主が与えるわけがないのである。


「ゾール教ですよ、アデルさん」


 ぞっとする宗教名をカロンが言った。それにはアデルも言葉を失くすしかなかった。


「おいおい……冗談にしては笑えないぞ、それは。センスの欠片もねえ」

「僕も、センスのない冗談であって欲しかったと思ってますよ」


 ゾール教──それは、ワグナード帝国が国教とした、邪神ゾールを奉る宗教である。

 ゾール教に入信すると魂を乗っ取られるという逸話があり、主の為に死をも恐れぬ兵士となる。死を恐れぬ兵士が大軍で襲い掛かってくれば、数の利をひっくり返す事もある。そうして領土を広げていったのが、先のワグナード帝国だ。

 先の大戦が邪教戦争と名付けられたのも、これが理由だと言う。文字通り、邪教と戦う戦争だったのだ。


「ゲルアード帝国は禁止されていた邪教の教えを水面下でそっと広めていたんです。そして、教徒達は老帝に洗脳され、狂信的な信者となりました。恐怖を知らぬ狂戦士軍団の完成です」


 ゾール教は戦後、その布教と活動を禁じられたはずだった。

 だが、ゾール教は基本的に弱者の為の宗教であり、真なる自由の為には略奪や殺人をも良しとする。密かに信仰するものは多かったと噂には聞くが、まさかここに繋がってくるとは思わなかった。


「糞ッ垂れゲルアードは、もう一回邪教戦争をおっぱじめようって事かよ」


 アデルの問いに、カロンが「おそらく」と答えた。


「ただ、バルムス王国にはロレンス王と同じく大陸六英雄に数えられている〝海賊王〟バハヌスがいます。そこに、ミュンゼル王国のクルス=アッカードが加われば、そう簡単にやられるとは思えません」

「甘いぞ、カロン。パンケーキが焼けるほどにな」


 アデルは嘆息して、首を横に振った。


「どういう事です?」

「大事な事を忘れてるって事さ」


 カロンがアデルの疑問に「何をですか?」と首を傾げる。

 アデルは溜め息を吐いて、その答えを用意した。


「クルスの父王アルセイム=アッカードも大陸六英雄の一人だったろ」


 アデルの言葉に、カロンは「あっ」と顔を青ざめさせた。

 クルス=アッカードの父王・アルセイム=アッカードもロレンス王やリーン王妃と同じく大陸六英雄の一人として数えられている英雄だった。もはや六英雄だから大丈夫、という問題でもないのである。

 それに、ゾール教の強いところは、その洗脳力だ。侵略した国々の国民を改宗させ、洗脳する。狂戦士はどんどん数を膨らませて、バルムス王国へと襲い掛かるのだ。〝海賊王〟バハヌスと言えども、負ける可能性もあるだろう。


「僕達、どうなってしまうんでしょうか……」

「さあな。それは俺達が考えたところでどうしようもない問題だろ。せいぜい大地母神がを祈るしかないさ」

大地母神フーラ様はうんこなんて漏らしませんよ……」


 カロンが呆れた様子で笑って、嘆息した。

 実際に、これはアデル達がどうこうできる問題ではなかった。

 おそらく大小の王国が連合を組み、邪教戦争の時と同じ様な連合軍が出来上がるだろう。そして、ゲルアード帝国はワグナード帝国の時と同じく、連合軍によって滅ぼされる。同じ道を辿るだけだと思われた。

 いや、アデル達は、そう信じるしかなかったのである。

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