第28話 身分

「エトムート、負けてしまいましたね……」


 〝亡命騎士〟エトムートを応援していたアーシャは残念そうにそう呟いた。


「まあ、二人とも実力は拮抗していた。どっちが勝ってもおかしくなかったし、今回はたまたまロスペールの運が良かっただけさ」


 アデルは敢えてそう答えた。

 彼女は純粋にエトムートを応援していたのであるし、多くの観衆も彼女と同じく純粋な気持ちで両者を応援していただろう。その裏に政治的な意図があるとは思いたくないはずだ。

 実際に、本気で戦えばどちらに軍配が上がっていたのか、それもわからない。それこそ時の運で勝敗が決するのも間違いがないので、アデルとしては嘘を吐いたつもりもなかった。


「アデルなら、あの二人に勝つ自信はありますか?」


 アーシャが少し悪戯げに笑って訊いた。


「後ろから毒矢を刺されないなら、な」


 アデルは少しおどけてそう答えて見せると、アーシャもくすくす笑っていた。

 次の競技会への出場を王女から提案されたが、彼はそれに対して答えは濁した。本当の意味で実力が競い合えるのあれば、アーシャの為に最強を証明しても良いだろう。しかし、今回の様に政治的な意図を含んでしまうのであれば、結局のところは出場しても虚しくなるだけだ。

 例えばエトムートと戦う際に、『国の為に負けろ』と言われてしまえば、アデルには逆らう術がない。冒険者の立場であればそれを突っぱねる事もできるが、今や彼はこの国の王宮兵団に所属している。組織に所属する以上、その組織の意向には逆らえないのである。

 アーシャがエトムートの控室に行きたいと言うので、アデルはそれに付き添った。無論、控室に入る様な事などせず、外で待っていた。今エトムートとやらと会えば、間違いなく自分の嫉妬心が爆発してしまうのがわかっていたからだ。

 控室から出てきた王女は、やけにご機嫌だった。どうしたのかと訊いてみると、予想外の答えが返ってきた。


「アデルに買って頂いたこのネックレスを褒めてもらえましたっ」


 さすがはアデルです、と嬉しそうに微笑む王女。

 アデルは嬉しくなると同時に胸の奥がちくりと痛むのを感じるのだった。その笑顔が、アデルから貰ったものを褒められたから嬉しかったからなのか、エトムートから褒められた事が嬉しかったからなのかがわからなかったからだ。もし、自分が上げたものでエトムートから褒められて、それで彼女が喜んでいるのだとすれば、自分はかませ犬も良いところだ。


「そういえば、聞き忘れていたのですが」

「ん?」

「アデルって何歳いくつなんですか?」


 王宮への帰り道、アーシャが唐突に訊いてきた。


「二十歳だよ」


 アデルは特別隠す事もなく、素直に答えた。自らが仕える人に嘘を言う必要もない。


「二十歳ですか……それなら、クルス様と同じですね」

「クルス様?」


 エトムートだけでなく、新たに男の名前が出てきて、思わず息が詰まる。しかも、今度は様付けである。王女である彼女が敬称を付けるという事は、彼女と同等かそれ以上の身分のものだろうか。

 勘弁してくれ、というのがアデルの正直な感想だった。


「クルス様は、えっと……クルス=アッカード様の事です。ご存知ですか?」

「クルス=アッカードっていうと……ミュンゼル王国の王子か! 知り合いなのか?」

「はい! 昔、クルス様がヴェイユを訪ねられた事があって、その時に遊んで頂きました」


 と言っても十年くらい前の話ですが、とアーシャは付け足して笑った。

 ミュンゼル王国王子・クルス=アッカード──ロレンス王と同じく大陸六英雄のひとりにして名君主と謳われるアルセイム=アッカードの息子で、その有能さは父を超すとも謂われている人物だ。

 ミュンゼル王国はアンゼルム大陸の中でもかなり東に位置しており、アデルが住んでいたランカールの町からは離れているので、直接見た事は勿論ない。だが、遠く離れたランカールにまでその名が届いているのだから、当然その噂も事実なのだろう。

 その後、アーシャはクルスとの想い出を語った。想い出と言っても、小さな頃の話だ。少し年上の男の子と遊んでもらった、という程度の話で、何か色恋沙汰があるわけではない。

 しかし、アデルは内心兵士になった事を後悔していた。

 アーシャ=ヴェイユ……彼女は、ヴェイユ王国の王女で、〝ヴェイユの聖女〟とも謂われる程の人物だ。彼女にはそれ相応の相手がいる。一般人と同様に自由恋愛ができるわけではないのである。

 アデルはそこまで深く考えずにアーシャの言葉のままにこの国に仕える事を選んだ。しかし、彼女への気持ちを自覚し始めた今となっては、この身分の差が大きな弊害となって、彼の心を蝕む。

 アーシャにとって、アデルはただ話していて楽しい程度の存在なのである。将来どうこうなる関係ではないし、それが許される立場でもない。アデルは国の王子でもなければ、爵位があるわけでもなく……ただの兵士に過ぎないのだから。


「えっと……今日は一日付き合って頂き、ありがとうございました。それと……すみません」


 王宮が見えてきて、そろそろ任務を終えようとしていた頃、アーシャはアデルに対して、申し訳なさそうにそう伝えた。


「何で謝るんだ?」


 アデルは率直にそう訊き返した。

 彼女が謝る理由がわからなかったからだ。


「いえ……アデルがあまり楽しそうでなかったので。帰りも殆ど私ばかりが話していたので、無理をさせていたのかと思ってしまいまして」


 おそるおそる、と言った様子でアーシャはアデルを上目で見た。

 アデルは小さく息を吐いて、笑みを作った。


「無理なんてしてないさ。ただ、帰りは気が緩みがちになるから、いつもより気を張らせていたんだ。万が一があったら、せっかくご指名を頂いたとしては名折れだろ?」


 本音を言えば、少し違った。

 気を張って周囲には気を付けていたのは紛れもないが、アデルが言葉を発さなかったのは、それが理由ではない。ただ自らの立場と、そして身分の差を考えて、気持ちが沈んでいたのだ。


「本当ですか?」

「ああ、本当だ」

「それなら良いのですけど……」

「こんな用事でいいなら、いつでも付き合うさ。減給されない程度にな」


 アデルが笑ってみせると、アーシャも「それでは、またお願いします」と微笑んだ。

 それから王宮まで彼女を送り届けると、そこでようやく、アデルの任務は終わった。


(アーシャ王女は俺に居場所を与えてくれただけだ。それ以上を……望んじゃいけない)


 王女の後ろ姿を見送ると、アデルはそう心の中で自分に言い聞かせた。

 追放された大剣使いは、少しだけ〝ヴェイユの聖女〟に救われてしまった自分を怨んだのだった。

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