第29話 動乱の予感

 競技会から、一か月の月日が過ぎていた。あの日以降、アーシャとアデルは会話を交わす事はなかった。

 アーシャの近衛騎士にしてお目付け役のシャイナに競技会前の事について報告が行き、アーシャはかなり絞られた様だ。暫くは外出が禁止され、半ば部屋に軟禁され、座学等に打ち込んでいるのだと言う。

 アデルとて、何のお咎めもなかったわけではない。王宮兵団としての自覚がないだの、一人で守り切れる等と思い上がるなと散々ラノン兵長からは叱られた。それからこの一か月間は王都郊外の見回りと警備をさせられ、王宮から遠ざけられていたのだ。ほぼ罰に等しい扱いだった。

 無論、アデルは思い上がっていたわけではなく、彼女の安全を第一に考えていた。ただ王女の意思を尊重しただけなのであるが、それでも彼はその罰をしっかりと受け入れた。

 としては、彼の行動は間違いに他ならない。あそこはアーシャを無理矢理引き留めてでも、護衛を撒くべきではなかったのだ。アデルにはその選択肢もあったはずだった。

 しかし、アデルはアーシャに任せる事を選んだ。守り切る自信もあったが、それよりも……彼女と二人で過ごす時間が欲しかったからだ。その後に身分の違いで苦しむ事になったのは、そんな欲望を抱いてしまった事への罰だろう。

 王宮に戻ってくると、アデルは文官へと報告を済ませて、一週間程度の休養を言い渡された。この一か月間は休みなくヴェイユ島を走り回っていたので、その分の休暇だそうだ。


(休暇なんて要らないんだけどな)


 アデルは内心ではそう思いつつも、「ありがとうございます」と礼を言って、執務室を退出した。

 仕事をしている間、アデルは色々な事を忘れる事ができた。

 フィーナの事や、オルテガの事、そしてアーシャ王女との身分の違い……そういった、自分を苦しめる要素は労働によって忘れ去っていたのだ。

 一週間も休みをもらっては、その間どう過ごせば良いのかわからない。誰か知り合いの王宮兵団でも探して町で飲みにでも出かけようかと思って王宮内をふらふらしていた時である。

 ヴェイユ王宮内がやけに騒がしい事に気付いた。騒がしいというより、浮足立っている。

 アデルが王都近郊の警備の任務に出る前とは、まるで様子が違っていた。


(……何かあったのか?)


 寮まで戻ると、まずは顔見知りを探した。新参のアデルに詳しい内情を話してくれる者はそう多くない。顔見知りを探して教えてもらうのが早いだろうと思ったのだ。


「あ、カロン!」


 寮の談話室に居たのは、カロンだった。他の兵士と何やら真剣な面持ちで話をしている。

 カロンはアデルに気付くと、その会話を終わらせてこちらに駆け寄ってきた。


「お疲れ様です、アデルさん。今回の任務、長かったですね」

「ああ。まさか一か月もの間、島を走り回る事になるとは思ってなかったよ。一苦労だ」


 アデルが軽口を言って肩を竦めると、カロンは「相変わらずですね」と苦笑いを見せた。


「それより、何だか王宮が騒がしかったんだけど、一体何があったんだ?」


 アデルが声を潜めて訊くと、カロンも表情を真剣なものに変えた。その表情から察するに、あまり良い事ではなさそうだ。


「今ちょうど他の兵士達とのその事について話してたんですが……」


 カロンがそう言うと、部屋に戻ろう、と手で合図する。

 あまり大きな声で話す話題でもないのだろう。アデルはカロンの指示に従い、彼らの部屋へと戻った。

 部屋にはルーカスはいなかった。彼は今日は町の警備に当たっているらしい。


「それで? この王宮の話題を独り占めしてるのは、一体どこのどいつなんだ?」


 アデルが訊くと、カロンは呆れた様な溜め息を吐いた。


「話題になるのが王宮だけなら良かったんですけどね、いずれはこの国全体に及ぶかもしれない程、アレな話なんですよ」

「どういう事だ?」

「ミュンゼル王国が滅ぼされました。ゲルアード帝国に」

「……何だと?」


 あまりにも適時な話題な事もあって、アデルも驚きを隠せなかった。

 ほんの一か月前、アーシャ王女からミュンゼル王国の王子の話を聞かされたばかりである。それどころか、ダニエタン伯爵の息子・エトムートもゲルアード帝国に祖国を滅ぼされて、ヴェイユ王国に亡命をしてきた身だ。

 アーシャと関係のある人間が、次々とゲルアード帝国によって人生を変えられている。


「王子はどうなった」

「王子?」

「ミュンゼル王国の王子だよ。ミュンゼルのクルス=アッカードと言えば、冒険者の俺の耳に入るくらいの逸材だろ。あいつもやられたのか?」

「ああ、物知りなんですね、アデルさん」


 カロンは少し感心した様子で続けた。


「クルス=アッカード王子は無事です。ただ、彼の父王アルセイム=アッカードは王都で……」

「亡くなったのか」

「はい。アルセイム王はクルス王子に全てを託して彼を同盟国バルムスに逃がし、自身は王都で最後まで帝国に抗った、との事です」


 クルス王子が無事ならば、アーシャが悲しむ事もないだろう。

 だが、今回のミュンゼル王国の滅亡は彼にとっても衝撃だった。ミュンゼル王国はアンセルム大陸の中では大国に分類されている。

 それに、クルス王子が逃げ込んだとされるバルムス王国が問題だ。バルムスは海洋国家……距離こそ離れているが、このヴェイユ島とも海で繋がっている国でもあるのだ。

 それによって、別の心配ごとがアデル達の脳裏に過ぎる。


「万が一、バルムス王国も陥落したら……」

「はい。帝国の矛先は、ここ、ヴェイユ島に向く可能性もあります」

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