第26話 自覚

 闘技場に着いた頃には、試合は始まっていた。

 到着が遅くなったのは、言うまでもなく料理屋でゆっくりとし過ぎたのが主な原因だ。アーシャ王女は民と話す事など殆どないので、店主から街についてのあれこれを訊いていたのだ。他にも、料理屋から闘技場までの道のりをなるべく人通りの少ない道を選んだというのもある。

 途中でアーシャ達を探していた私服衛兵達とも再会し、闘技場に入る前に無事に元の警護体制に戻る事ができた。

 アーシャが上手く警護の私服衛兵達を撒いた事は既に王女の側近にして近衛騎士のシャイナに伝わっているそうで、アデルの不注意に対して憤っている様だった。他の私服衛兵からは「ご愁傷様だな」と言われており、アデルは更に強い頭痛を覚えるのだった。

 そんなアデルの気などつゆ知らず、アーシャはぱたぱたと闘技場の最前列まで走って行く。


「あれ? 王族専用席に行かなくていいのか?」


 アデルが訊くと、アーシャはこくりと遠慮がちに頷いた。


「はい、一度ここで見てみたくて。あそこの席は、ちょっと遠すぎて」


 小人同士が戦っているみたいなんです、と王女は付け足した。

 警護する面では王族専用席の方が助かるんだけどな、とアデルは内心で思うが、その我が儘を聞くのも自分の役目だと思い、小さく息を吐く。

 幸い、周囲にも兵士はいる。アーシャの身に何かが起こる事は万が一もないだろう。


「あ、その目はまた私が勝手に動いていると思ってるんですね? お母様にはちゃんとアデルと行くと伝えてありますし、許可ももらっています」


 アーシャは少し頬を膨らませて、怒っている素振りを見せた。

 彼女の言うお母様とは、リーン王妃だ。王妃の許可があるのであれば問題ないだろうが、よく新人の王宮兵士に娘の警護を任せたものだ、とアデルは半ば呆れた。いくら冒険者で銀等級だったとは言え、やや不用心ではないかと思うのだ。


「別に、そんな事は思ってないさ。ただ、俺をそんなに信用していいのかって思うけどな」

「どういう事ですか?」

「俺がとても悪い奴だったらって話だよ。もし俺が悪い奴なら、アーシャを人質に取ってヴェイユ王国を脅す事だってできたんだ。それを、易々と俺に警護を任せるなんて……ちょっと危機感が無さ過ぎるんじゃないかって思ってさ」

「アデルは悪い人なんですか?」


 きょとんとしてアーシャが訊いてくる。


「いや、違うけどさ。もしそうだったらって話だよ」

「でも、アデルは悪い人じゃありません。それに、ずっと私の事を気に掛けてくれていました」

「いや、それはまあ……」


 皮肉を込めてたとえ話をしただけなのだが、真剣に言われてしまうと恥ずかしくなってしまう。

 アデルはこそばゆい気持ちに襲われて、視線をアーシャから逸らした。


「私だって、誰彼問わず信用しているわけではありませんよ?」


 試合を見ながら、アーシャがぽつりと言葉を漏らした。


「でも……私はアデルを信用していますから。信用したいから、信用しているんです。ダメですか?」


 そしてアデルの方を向いて、寂しげに微笑んだ。

 どうしてそうも寂しげな笑みを浮かべるのか、アデルにはわからなかった。そこにあったのは、孤独感だったからだ。

 彼女は生まれながらにして王族で、国の宝として愛されてきたはずである。その彼女がどうして寂しそうなのか、皆目見当もつかない。


「君主が部下を信用して、部下は主を信用する。別に何もおかしな話じゃないさ」

「……主として、ですか? 人としては、信用してくれないんですか?」

「え?」


 驚いてアーシャを顔を上げると、そこには相変わらず寂しげな彼女の顔があった。


「冗談だ。主としてっていうより、人として信用してる。じゃなきゃ……俺はこの島に来ようとは思わなかったさ」

「そですか。安心しましたっ」


 そこでアーシャはようやく顔を綻ばせた。


「私はアデルと過ごすのが好きです。アデルはどうですか?」


 優しい微笑みで、他意など感じさせない様子で彼女が訊いてくる。


「これを言って許されるのかどうかわからないけど……俺も、好きだよ」

「そですか。良かったです」


 彼女はアデルの答えを聞いて満足したのか、嬉しそうにはにかむと、再び闘技場へと視線を移した。


(……あんまり、期待させないでくれ)


 アデルは王宮兵士で、彼女は一国の王女だ。

 身分など釣り合うはずがない。この恋はあまりに未来がなかった。

 しかし、彼女と出会い、彼女に救われて新しい居場所を手にした今……彼女に恋をするなという方が無理だった。

 アーシャ王女と過ごせば過ごす程、その魅力に惹かれていく自分が、少し嫌になるのであった。

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