第25話 デート?

「はいはいいらっしゃい、今は誰もいないから好きな席に──って、アーシャ様⁉」


 気怠そうに安料理屋の店主の男が出てきたかと思うと、アーシャを見るや否や、吃驚きっきょうの声を上げた。今は慌ててひれ伏して地面に頭をこすりつけている。

 町人が王女殿下に気付いたら、普通はこういった対応になるだろう。


「あ、あの……頭を上げて下さい。困ります」

「お、お、お、王女殿下が一体うちに何の用事で⁉」


 アーシャの声など聞く様子がなく、ただ店主は震えていた。

 これも仕方がない反応だと思えた。


「えっと……私達は、料理を食べにきました」


 丁寧にアーシャが説明するが、店主は言葉を理解できないと言った様子で、おそるおそる顔を上げた。


「あの……今、何と?」

「ですから、私達は料理を食べにきました。ここは、料理を提供しているお店ですよね?」


 丁寧にアーシャが来店の目的を言うが、店主の頭には疑問符が浮かんでいる様子だった。

 料理屋に料理を食べに来るのは至極当然な事なのだが、王女殿下がとなれば、話は変わってくる。しかも、ここは王族や貴族が来る様な店ではなく、大衆向け──しかもかなり低価格な店だ。王女殿下が来る意味がわからない。


「王女殿下が、うちにですか?」

「はいっ」


 アーシャが嬉しそうに頷いた。

 店主が混乱し切った顔でアデルを見てくる。説明を求めているのだろうが、説明のしようがない。アデルは無言で頷くしかないのだった。

 店主はもう一度アーシャへと視線を移して、下から上までもう一度じっくりと見て、ぶるぶると首を振った。


「いえいえいえ! 王女殿下に出せる料理などうちにはございません! うちは庶民向けの安料理屋でして! 王女殿下のお口に合うものなどありません!」


 店主は首を横に振ってもう一度ひれ伏した。

 アーシャは困った顔でアデルを見たが、アデルに何か言えるはずがない。店主としては当たり前の反応なのである。自分の料理を出して、万が一まずくて食えぬなどとなって、王女の気分を害したらどんな目に遭うかわからないと考えているのだろう。おそらくどの料理屋に行っても反応は大差ない。

 アーシャはひれ伏す店主を見て暫く考え込んでいると、すぐに何かを閃いたという顔をした。


「えっと、店主さん。私は、その……今、お忍びで殿方とデートをしています」


 アーシャが照れながらとんでもない事を言う。

 彼女のとんでも発言に、アデルは思わず咳き込んで否定しようとするが、王女殿下がそれを手で制す。


「ですから、今はヴェイユ王国の王女ではなく……そうですね、冒険者の御供、という事にして、お料理を提供して下さいませんか? 私、こうしたお店でお料理を食べた事がないんです」


 店主が泣きそうな顔でアデルを見るが、アデルもアデルで額を手で押さえていた。

 言い訳にしては酷過ぎる。わざわざデートと言う意味がわからなかった。


「ダメ……でしょうか?」


 おずおずと王女に店主が訊くが、店主は店主でおそるおそる顔を上げてアーシャを見る。


「いけないといった事はないんですが、その……王女様のお口に合うとは思えません」

「でも、このお店は一般の方もよく利用するんですよね?」

「はい、今日は表通りで出店が出ていますので、この通りからっきしですが、普段は……」

「それなら、皆さんが普段食べているお食事、というのも食べてみたいです。私はその……恥ずかしいながら、ずっとお城の管理下で暮らしていましたから」


 買い食いどころか外食の経験もないんです、とアーシャは微苦笑を浮かべて言った。

 もしかすると、彼女は彼女で外食というものをしてみたかったのかもしれない。


「悪いが……料理を出してやってくれ。王女がこうなってしまったら引きそうにない」


 アデルは嘆息してそう言うと、店主は顔を真っ青にして固唾を飲んでいた。

 そのまま「承知致しました」とまるで処刑台にでも向かう顔色で、厨房へと入っていく。

 アデルは窓がついておらず、店内を見渡せる席に座ると、溜め息を吐いた。一方のアーシャ姫は全く気にした様子もなく、店内を珍しげに眺めている。


「あのな、アーシャ王女」

「はい、なんですか?」


 にこにこと天使の様な微笑みを見せているが、その声色にはどこかからかう様な響きもあった。

 そんな王女を見て、アデルはもう一度深い溜め息を吐く。


「お忍びでデートって何だよ」

「違うんですか?」

「違うだろ! 俺は護衛であんたは護衛されてる姫君だ」

「わあ、ナイトとお姫様みたいで素敵ですね。おとぎ話で読んだ事がありますっ」

「俺は騎士じゃなくて兵士だ!」


 盛大にツッコミを入れるが、王女は楽しそうにくすくす笑うだけである。もう一度眉間を押さえる他ないアデルであった。

 王女がアデルをからかっているのは明白なので、言い返すだけ無駄なのだ。


「アデルは冗談だと思ってると思うんですけど──」


 アーシャは水が入っている瓶に向けて浄化の魔法を掛けてから、コップに水を注いでいく。

 何も考えていない様で、万が一を考えてしっかりと毒の対策を行っているのがこの王女だ。もしこの水に毒が入っていたら、或いはこの水のせいで腹を壊してしまったら店に迷惑が掛かる。彼女はそこまで考えてこの行動に出ているのだ。そこまで対策をしているのであれば、アデルからすれば文句すらいえないのである。


「こうして殿方と一緒にお買い物をして、外のお料理屋さんでお食事をしたいというのも……私の本心で、憧れだったんですよ?」


 王女はアデルのコップにも水を注ぐと、少し照れた様に首を傾げて微笑んだ。


「露店で安物の装飾品を買って、安料理屋で飯を食べてるだけじゃないか」

「それでも、私にとっては人生で初めてのデートです」


 自分で言って恥ずかしくなったのか、アーシャ王女は頬を染めて俯いた。


「……そんな大層な役割を、一介の兵士に任せないでくれ。荷が重すぎる」


 そんな彼女を見てアデルも恥ずかしくなってしまい、視線を逸らす。

 彼女の口からデートと言われてしまうと、本当にデートの気分になってしまう。朝にカロンからからかわれた言葉が現実味を帯びて蘇ってしまうのだ。そして、自分の中にある秘めたる感情にも、気付いてしまう。

 アデルは必死にその感情を押し殺した。それは、一介の兵士が王女殿下に抱いて良い感情ではなかったからだ。


「一介の兵士じゃなくて、アデルだから任せたんですよ……?」

「え?」


 物凄く小さな声でアーシャが何かを言ったので聞き返すが、彼女は「何でもありません」と顔をそっぽ向けた。

 結局それからアデル達は、料理が出てくるまでこそばがゆい空気の中を過ごした。

 なお、料理は思った以上に美味しく、アーシャは大のお気に入りだった。また城を抜けだして食べにきたいと本気で言っているものだから、余計にアデルは頭を抱える羽目になるのだった。

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